第十四話 髪長姫(ラプンツェル)

「ラプンツェル」


 呟くように遙が言葉を落とす。それは狭い石造りの螺旋階段に良く響いた。蝋燭の灯りがゆらりと揺れる。現れたのは下へと伸びる階段で、少女は躊躇うことなく白い脚を進めて行く。


「ここに来る度に思い出すんですよ、井上先生がよく話してくださいました」


 上にあがるのと下にさがるとの違いだけで。


「あぁ、『ラプンツェル』か。千太郎も、昨日同じ感想を漏らしていたよ。確かドイツのお話だったかな。『グリム童話集』に入っているよね」


 忠治は殊更明るい声を意識した。


「……あの日から先生に会いに行く度に、あの話に出てくる王子のような浮かれた気分になるんです。私のこと待っててくれるかな。反省して悔いてくれているかなって、そんなことばかり考えて幸せになる。私には『あの人』の他には、先生しかいないから」

「何を言っているんだ、和臣先生だっているし、看護婦さんたちだって君を想っているに違いないよ」

「看護婦」


 遙はせせら嗤う。


「彼女たちは『私たち』のことなど、『人』などと思ってやしないんですよ。私はホラ、見てくれだけは良いからまるでお人形さんのようにしてもらっていましたけれど。階下の『検体』さんたちは家畜以下の扱いを受けていましたの」


 忠治は言葉に詰まる。


「だから同情を引くのがとても上手になりましたわ、先生も昨夜、同情したでしょう」

「いや、俺は……」


 忠治は何とか話題を変えようと必死になった。暗がりから魔女でも出かねない雰囲気だったからだ。何より遙が恐ろしい。


「でも俺はアレだよ。『ラプンツェル』より『白雪姫』とかの方が好きだな」


 それを聞いて遙は吐き出すように笑った。


「同じことを『あの人』も前言いましたよ。『あの人』も、本当は私のことを少女だなんて見ちゃいない、見ようとしているだけですの。『女』として見ていますわ、それなのにいつまで経っても子供扱いするんです」

「……それは井上先生のことか」


 衝撃の事実に、忠治の声は固くなる。正直内容にドッキリしていた。まさか遙がそんな辛辣な真実を言い出すとは思ってなかったからだ。遙はため息を吐く。


「『あの人』の恋情が親愛から来るものだと、私は私なりに納得してたつもりなんです。でも私の方は最初っから違った、それが今でも寂しいのかもしれません」


 思わず忠治は沈黙した。遙が照らす階段の先に、青黒い鉄の扉が姿を現した。それを先ほどと同じ鍵で開けながら、遙は振り返ってうっすらと笑った。


 忠治はもう、彼女を励ます言葉を思いつかなかった。自分はどちらかと言うと国寄りの人間だ。彼女を閉じ込め、人としての当たり前の幸せを奪った側の人間だ。


「私はでも『私だけ』を想ってくれる人が欲しかった。『あの人』だけじゃ駄目なんです。私だけの……」


 そう言って、その場に蝋燭の灯りを置くと、フラフラと暗闇に入って行く。あぁしまった。こんなに思い詰めた子の言うことを信じて、こんなところまで来てしまった。


「おい……」


と声を掛けるが、遙はするするとその石の部屋に入って行った。


「井上先生、忠治さんが来られましたよ。『お怪我』の具合はどうかしら」

「……彼を『君たち』はどうしたんだ」


 忠治は入り口で立ち止まる。


「井上先生はね、私のこと『愛している』って仰ってくれたんです。だからお返しに私はわたしを差し出しました、それが『あの人』には本当は嫌だったみたいなの」


 石畳に遙の布靴の音が響く。忠治はすえた匂いのするその部屋に入りたくなくって、入り口の所でわだかまったままだ。ふと、耳に金属が擦れ合うようなわずかな軋みが聞こえた。忠治はそれを聞くと我に返ってすぐにそちらへ踏み込んだ。


 井上が本当に地下にいるのだ。気づいたからには助けないと、きっと遙も今の状況をどうにかしたくて忠治をここへ呼び寄せたに違いない。この期に及んで『彼女は純真である』と、忠治はそういう風に信じたかった。


 石の部屋に入って目の前に唐突に現れたのは鉄格子で、その脇に扉がついている。檻だ。何と塔の地下には牢屋があったのだ。


「ちょっと、君。これは駄目だ。君はきっと優しくて……こんなことする子じゃないはずだ」

 冗談じゃない。この子が犯人だったなんて。忠治はかぶりを振った。

「ねぇ井上先生。まだ私のこと想ってくれてますか、育ててくれたこと。覚えていますか」


 いつの間にか忠治も大分部屋に入り込んでいた。


「しっかりしろ井上先生だって君のことが……」


 『一番』と続けたくて言えなかった。『一番』かどうかは当人にしか分からない。この子に嘘をつきたくなかったのだ。忠治にだって大切な物は山ほど増えすぎた。あとを追って来た妹、そして自分を誘惑した娘、その娘が生んだ息子。でも全員消えたのだ。


 忠治は、失った人たちを思い出して、両腕を伸ばして俯き気味に震える遙を抱きしめた。遙は背中に忠治を張りつけたまま、一歩二歩と、ゆっくりと後ろの暗がりに下がって行く。少女は震えてもいなかった。奥の方でジャラリと金属音がする。


「井上先生」


 忠治は思わず抱きしめていた遙の肩をゆっくりと押しやって、より暗がりに一歩踏み出した。すると今度は背後でガチャリと金属音がしたのだ。


「ちょ、何しているんだ」

「何って、施錠ですよ」


 いつの間にか自分は檻の中に入っていて、そして遙の方は牢の外側に出ていたのだ。薄明かりを背に纏って、紫色の髪の毛を掻き上げる。一仕事終えたように、華やかに笑んだ。


「奥にいるのは犬か何かだろ。君は……、遙君は……」

「私がしでかしたことを、認められないんですか」


 遙が鉄格子の一部をがつりと蹴った。真っ白だった布靴が、土にまみれて汚れている。


「『あなたたち』ばっかり、狡いよそんなの」

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