第六話 生涯かけての研究


「勿論、この夢見がちな造形には非難殺到でしたよ。でも井上先生がどうしても洋風の『塔』を建てるって聞きませんでしてね。彼の功績もありましたし、国としても渋々承知した形です。『検体』には子どもが多いので、夢を見せてあげたかったのかもしれませんね。お優しい方でしたから」


 和臣の説明に、忠治も千太郎の傍に寄って窓から下を覗いた。内側の壁と窓には全く出っ張り部分がなく、壁を伝って中庭に降りるのは困難そうだ。


「あの、小さい窓は何なの。あすこだけ格子がついていないけれど」

「ああ、あれは廊下の採光窓なんだ。あんなところ、子どもでも出入りはできないさ。ちなみに二階にも格子はついてないんだ。一階の窓は『患者さん』がうっかり中庭に入り込まないように念のためにつけてあるだけなんだ」


 和臣がまるで、言い訳のようにそう答える。忠治も千太郎の目線にそって、その一階の地面に接した部分にある小窓を見つめた。それは引き戸の形式だが、確かに遠目に見ても高さは全くなく、そこを大人が通るなど思いも寄らない。


「上はどうです」


 狭い一つの窓に島根までもが身体を捩じ込んで来て天を仰ぐ。千太郎が嫌がって蛙が潰れたみたいな声を出した。忠治も島根の脇下から空を見上げてみた。壁はやはり真っ直ぐで、その上に屋上の鉄柵が見える。


「上ぐらいだったら逃れられるんじゃないか」


 忠治が振り返ると、和臣は油断していたのだろうか。なぜか入り口の方に顔を向けていた。忠治の問いかけに遅れて気づいて、急いで顔をこちらに向ける。


「ああ、でも建物から出た形跡がないんです。ご覧の通り検体に逃げられないように外壁はフラットにしてあります。一階の窓は全て鉄格子がはまっております、中庭には先ほどの理由もあり、誰も出られないようになっていますし」

「普通に正面の入り口から出てったんじゃないの」


 千太郎が険気な瞳で和臣に言う。


「正面の入り口の方は、あんな感じで無駄に厳重になってましてね。常にあの事務員、『洋介ようすけ』が……基本夜はあすこにおりますから」

「いなくなったのは夜だったのですね」


 言いながら忠治は窓を両手で静かに閉めた。むせ返るような中庭の甘い匂いは、忠治には少し辛いようだ。閉じたあとも何だか鼻がむずむずする。


「従業員用の車は一つも減っていませんし、井上先生がいなくなった先週の木曜日は誰も車で外出しておりません」

「じゃあ施設内のどこかにいるってことじゃないの」

「それが施設内くまなく探したそうなんだけれどいないんですって。昼間に二階から梯子を下ろして、従業員全員で中庭に降りたらしい」


 千太郎の言葉に答えたのは島根だ。手で梯子を下ろす仕草をした。それでも千太郎は顔をしかめたまま、探し方に文句があるとばかりに重ねて聞く。


「あの塔の中は」


 そう言えばこの書生は『失せもの』を探すのがめっぽう得意だった。物を捨てられない忠治は、片づけがとても苦手だ。通いの看護婦が片づけてくれるのは有り難いが、それによって物がなくなることが多い。


 眼鏡にニッケルの時計。この間は財布までも千太郎に探し当ててもらったのだった。千太郎の物探しの姿勢は『諦めずに一つひとつ探し場所を潰して行く』というものだ。千太郎に任せていれば、井上先生とやらもすぐに見つかってしまいそうな、そんな錯覚すらある。


「勿論探したさ、でもあの塔は見かけによらず手狭でね、一階にも二階にも資料の箱しか見当たらなかったよ」


 和臣は千太郎には言葉を崩す。それはまるで小児科の先生のようだった。恐らく本来の職務はそうなのであろう。気難しい態度は島根にだけなのかもしれない。


「二階建てなんですか」


 忠治が聞きながらまた窓に目をやろうとすると、島根がそれを遮るように、長い腕を伸ばしてカーテンを急に閉めた。そうしてそれを背に立ちはだかる。


「提出された見取り図だと、あのとんがり屋根部分にも収納空間があるようです、窓もありますしね。僕は行ったことはないので何とも言えないのだけれど」


 そう島根は答えて両手を摺り合わせて埃を払った。随分と投げやりな言い方に思えた。


「さぁ、次は人に話を聞きましょうか」


 そう、明るく告げて両腕を広げると忠治たちを部屋から追い出しに掛かった。大きな腕で腰の辺りをぐいぐいと押されたらたまらない。忠治も千太郎もあれよあれよと出入り口に向かわされた。


「急だな、オイ」


 千太郎が唇を尖らす。


「最後に研究をされていたのは何についてですか」


 背を押されながら忠治が和臣に聞くと、


「そりゃあ『紫の人』についてですよ、彼の生涯かけての研究になりますから」


と彼はどこか冷たいような、抑揚のない声で答えた。和臣の言葉に、白い廊下で千太郎が変な顔をした。まるで臭い物でも嗅いだように、美形が台無しになるほど顔を歪ませている。


「『生涯』って、井上先生はやはり死んでしまっているの」

「……いや、違うよ、それぐらい真剣に取り組んでいたってことさ。『紫の人』は短命でね、心に圧力を感じると皮膚病を発症してしまうんだ。でもはるかでその例はない、このまま上手く行けば子どもを成すこともできるだろう。大分成果を出されて陸軍からの信頼も厚い」

「彼女たちを調べて、それが戦争の何に役立つかは、僕には到底分からんけどな」

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