第四話 白い建築

 結局、文句を言いつつも千太郎はついて来た。『忠治さんが心配だ』と言ってくれるのはありがたいと言えばありがたい。朝早く迎えに来た島根の車に乗り込んで、今は郊外を走っていた。


 島根は運転が根っから好きなようで、こういった手合いで忠治を拉致する時は決まって運転席にいた。どんな砂利道でも、山道でも、島根が運転していると不思議な安堵感からか眠気が襲ってくる。忠治は二人に隠れてこっそりと大欠伸した。


 その研究施設は海のほど近くに建っている。それまで朽ちかけた漁村の家々を眺めていたので、針葉樹林の深緑色の中に唐突に白い角が現れて、少々忠治は驚いた。


 一見すると真四角のサイコロみたいな立方体が、どすんとありえないサイズで地上に落とされた……、そんな印象だ。色は白く、窓は規則正しくびっしりと並んでいて、近代的な造りをしている。


「何だよ、豆腐みたいだな」


 後部座席に座った千太郎が思わずと言った形で呟いた。忠治も似たようなことを考えていたので思わず吹き出しかける。それに向かって、運転している島根が莫迦にしたように鼻で嗤った。


「へっ、こういった最先端な建築も、坊やにとっちゃ豆腐ですか」

「いや、俺も豆腐に見えるよ。醤油でもぶっかけたくなるな。何だか俺が前陸軍内で資料を見たのと違う風に見えるんだが」


 前は木造の学校のような造りだったはずだ。島根が内地に戻ってからそこに赴任されたと聞いて、内密で資料室で観覧したのだ。その数日後に忠治は正式に陸軍を除隊している。


「しかし、今の色と形だとちょっと目立ち過ぎやしないか」

「有事が起きた時ですよね、そんなら逆に爆破された方がありがたいんですよ。資料も全て燃えますしね」

「お前……」

「ははは、冗談ですよ」

「本当のところは、どうして建て直したんだ」


 忠治が指摘すると、島根はちょっとの間押し黙った。


「……数年前に、ちょっと使い辛くてそうしたそうなんですよ。そら、もう着きます」


 まるで会話を止めるようにぐぐっと車体が右に曲がって、急激に車は敷地内に到着した。後部座席で千太郎がコロリと転がった。忠治も前につんのめりかけたが、運転席から島根が長い腕でもってそれを助けた。


「おえっ、何て運転だよ」


 千太郎は大げさに吐くそぶりをしながら、先に車を降りる。づかづかと進んで行く彼の目の前には柵があり、その向こうには森と白い建物。コンクリートで固められた灰色の敷地が浜まで広がっている。島根が車を停めたスペースは広いが、他に車らしい影は見当たらなかった。


「従業員は皆、施設内に住んでいるのですよ。彼らが外出する際は、海側の駐車場から車を出すのです。ここからは生憎、見えませんがね」


 忠治の心を読むかのように、島根はそう言って奥を指さした。その先には、深い緑色の森の向こうに青い海が広がっている。樹々に隠れているのだろう。島根の言う通り、駐車場らしきものは見えなかった。


 ただ、海はここからでも良く見渡せる。長い桟橋が浜から伸びて、その先端に小さな小屋のようなものがある。何だかまるで海外の景色のようだ。


 島根はポケットから手を出して、門の右側の壁についた呼び鈴を押した。すると白衣を着た青年が急いで建物を飛び出したのが遠目に確認できる。


 そのまま青年は全速力で走ってきて、柵を手動で開けてくれる。乱れる黒髪の下。その瞳は白目の面積が大きく、黒目の大きさが小さい。つり目がちな顔はまるで猫みたいで、背筋もそれにふさわしく前屈みに丸まっている。肩で息をする青年に、島根が労るように明るい声を出した。


「やぁ、毎度ご苦労様」

「……和臣先生が、お待ちです」


 青年はそれだけ息も絶えだえに答えると、忠治たちに一礼して背を向けた。ついて来いというのだ。島根が「何ですかねあの態度」とばかりに気まずそうに頭を掻いて、一行は大人しく青年の後ろに続いて施設へと向かうことにした。


 施設の入り口は一見サナトリウムのようであった。入り口には『荒浜潮騒園あらはましおさいえん』と彫られた木製の看板が立て掛けてある。


 その脇に、まるで看板と同じくらいの大きさで、島根よりわずかに若く見える、姿勢の良い白衣の医師が立ってこちらを見つめていた。


「こんにちは、初めまして『荒浜』と申します」


 医師は軽く会釈すると忠治に向かって右手を差し出した。白く長い指をしていて、とても医師をやっているようには思えなかった。忠治は自分の手のひらを握る前に見つめるが、指先が横に割れていて妙に恥ずかしさを感じた。


「あら……はま、もしかしてこちらの」

「いえ、代表者の息子ってわけではありませんよ」


 『荒浜』と名乗った医師は、クスクスと優雅な仕草で笑う。豊満な黒髪がそれに合わせて揺れる。七三に分けた前髪の下には、長くて白い鼻、それと狐のように細く吊り上がった目がこちらを見つめて笑っている。


「忠治さん、偽名ですよ」


 島根が耳打ちする。ああ、こう言った施設ではまぁ『ある』ことかもな、と忠治は頭の片隅で納得して一人頷いた。実は自分にもそう言った名前が幾つかあるのだ。


「『和臣』と呼んでください、そちらは、本名なんで」


と医師は言って、忠治の右手を左手で拾い上げて両手のひらで固く握りしめた。

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