第十七話 黒幕
「あらー皆さんお揃いで」
女は嬉しそうに微笑みながらこちらに進んで来た。メラメラと燃える松明は彼女が携えている。それが閃く度に、彼女の顔に濃い陰影を作った。
「てっきり取り逃がしたかと思いましたわ。おっと、動かないでくださいね、貴方たちの先生の首が折れるわ」
その言葉とともに、雛が足に力を込めた。忠治が目線を上げると、手には鉈を握っている。所々赤錆びている、こんな
「……彼、喋れたんですね」
少し距離を取った島根が、冷静に女に尋ねる。千太郎は主人を奪われた狩猟犬のようにギラギラと女と男を睨みつけている。
「ええ、嘘がつけない男でね、客が来た時は喋れないフリをしてもらうことにしているの」
「やっぱり、その『赤い水』を飲むと、身体に鱗が生えるんだね」
千太郎の確認に、女は素直に大きく頷く。その紅い唇が、下弦の月のように『にぃやり』と弧を描いた。そうして嬉しそうに目も細めて、こんな話を始めた。
「……昔、どこからか現れた女が『赤』の家の嫁になってね」
女は松明に照らされながら語り続ける。それはもう何だか状況に酔っていて、悦に入っているように感じられた。顔を振ろうとすると、男がぐっと忠治を踏みつける力を強めてくる。
「多分都会で『芸者』をやっていたのよ、隠語でね、この村では『ねこ』って呼ばれてたそうよ」
そう言って何がおかしいのかくすくすと笑い出した。しかし急にその熱もすっと冷めたように、真顔に戻る。語る声も冷静さを取り戻していた。
「この村にそういう血を入れるわけにはいかなかった。だから言い伝えでは私の祖先がその『ねこ』を呼び出して、『ここ』で首を落としたと言われているの」
『赤猫』は放火魔などではない。『赤』の家に嫁いだ『芸者』のことだったのだ。その現場に自分が横たわっている事態に忠治は心底ぞっとした。女はそんな忠治をチラリと一瞥するだけだ。
「血は、この窪みに流れ込んで、塩水に洗われても赤い色は消えることはなかった。女の正体は、何かこの世のものでない妖だったのでしょうね。
それと同時に『半部』の当主には代々病気になる呪いがかかったの。常に葬式ばかりだったから、主の部屋の畳の敷き方はずっとあのままなの。
でもこれを飲めば『半部』の当主は生きながらえたし、よそから来た者は『排除』できた」
「……これを飲ませた人の『肉』を売ったのは貴女ですね」
「ええ、ええ。どういうわけか、この『水』の存在が外の一部に知れていて、不老長寿の源だと噂が流れていましてね。飲ませたんじゃないわ、各々勝手に飲んで『こう』なったのよ」
女が松明を例の遺体に差し向ける。
「戦争が始まって物資が手に入れにくくなりましたからね、お金が必要だったの。さぁもういいかしら。もうすぐ浜を探し終わった村の者たちも戻ってくるわ。その水を飲むか、首を落とされるか。先生、選んでくださっても宜しいのよ」
はっ、と思わず吹き出すように息を吐いた。頭上の冷徹そうな青年がわずかに動揺するのが分かる。忠治は首元を男に抑えられたまま、
「嫌だね」
と、まるで挑発するように千太郎のような言い様で笑った。
次の瞬間、ひゅっと息を呑むのはその千太郎本人だ。彼がずっと携帯していた竹刀袋には実は真剣が入っている。そこから目にも止まらぬ速さで、日本刀をすらりと取り出した。
彼は切り込む時の一歩が物凄く大きい。その右足で飛ぶように、潜り込むように相手の懐に滑り入る。抜刀しながら上へ円を描くように切りつけた。
「っ」
男の指と鉈が飛んだところで、島根の太い腕が後ろから忠治の細い腰回りをたぐり寄せた。引きずるようにして男から距離を取ると、懐から何か金属を取り出す。それを間髪入れずに先ほどの湧き水のところに向かって放り投げた。
轟音と煙で洞窟が満たされる。
暫くののち、島根が再び懐中電灯をカチリと点けた。女が持っていたはずの小さな松明は、床に落ちてまだくすぶっている。忠治は痛む身体を何とか起こしてすぐ後ろでそれを支える島根に振り返った。
「島根、……場所を考えろよ」
ケホンと忠治は咳払いをする。鼻の中も煤だらけだろう。島根は忠治の腰を支えて、それで一緒に立ち上がった。ゆらりと光源が揺れる。先程までの橙色の灯りとは違い、少し冷たく感じる光で心が少し冷静になる。
「あの手榴弾は開発途中のを、僕の『こけおどし』用に改良した物なんです。だから岩を少し崩すくらいで、ホラ彼も大丈夫でしょう」
島根がライトで照らした先の青年は、手の先を抑えて捩れている。女はどうしたろうと目を巡らせると、洞窟の狭い横穴を利用して千太郎に助けられていた。
女は悲鳴を上げて台無しになった赤い水の沸き場を見た。そうして千太郎を押し退けると、煙が立ちこめる洞窟をヨロヨロと戻って行った。
「よもや子どもと心中する気じゃあるまいな」
「っ、追いましょう」
忠治の懸念に先に動いたのは千太郎だった。屋敷のある方へ向かって、まるで忠治と島根を置いて行かんばかりの速度で女を追いかけて走る。梯子を上り、屋敷の中に再び戻ると、中は洞窟から登って来た煙で煤臭い。
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