第十四話 村人の襲撃


「ああ、勿体ない、良い男だったのにな」


 島根は家前の様子を伺いながら、青年の顔を忠治に見えるように月明かりに傾けた。家や夕飯などを手配してくれた『べっとうさん』であった。布巾に彼の鼻から垂れた血が染みている。


 島根と千太郎は気絶しているであろう青年の両足と両腕を持って、海岸の方角の林に転がした。『べっとうさん』はウシガエルが鳴き喚く草むらに少し弾んで消えていった。名前だけでなく『仲間入り』だ。


「にしてもお前ら、吃驚するほど相性がいいな」


 忠治が感心して付近を警戒する千太郎に言うと、心外とばかりに彼は急いで振り返った。バシバシと忠治を叩いて、濁った声を出す。


「な、『鳥取とっとり』なんかと一緒にしないでくださいよ。莫迦バカ、忠治さんのうんこ」

「年長者をそんな風に言うもんじゃあないよ。それにしても……またエラいあだ名をつけたもんだな」


 忠治は笑いかけて自分の手でそれを抑えた。ゆらゆらとした炎が裏手に向かって来る気配がする。ここでウカウカはしていられない。


「島根、肩を貸せ」

「はいはいっと」


 忠治の言葉に、島根は自分からしゃがんで忠治を背に乗せる。そうして勢い良く伸び上がった。空中に放り出される手前で、島根の肩に足を置いて屋根によじ登る。一連の動きは物音も最小だった。忠治が登ったことを確認して、千太郎もまだ体勢を立て直す前の島根の背を猫のように駆け上がる。


「っ」


 叫ばなかった元部下を、忠治は心の中で感心しながら下に手を伸ばした。千太郎も仕方がなさそうに屋根に腹這いになって彼に手を伸ばす。


 長身で大柄の島根を屋根に引きずり上げると、三人は息を殺して下の様子を伺った。松明に煌々と照らされているのは地主の母親だ。夜目に肌は美しく白く、まるで群衆を先導する女神のようだった。じゃあ忠治たちは何だ、悪政を敷く罪人か。いやこれは違う逆だ。西洋の昔話のように、魔女が手下を従えて、逃げ出した生贄を探しているのだ。


「中にいないって、どういうことよ」


 女が鬼の形相で叫ぶ。紅い唇は、紅を引いているようだった。横にはあの唖の青年がひっそりと寄り添っている。三人がいないという情報に、何か少し思案しているようにも見える。女よりも冷静に見える分厄介そうに思えた。


「車の方行ったかもしんね、『べっとうさん』が言ってたさ。小僧が海の方から来たって。車さ様子を見に行ってたんかもって」


 村人の一人がそう報告すると、女は地団駄を踏んで悔しそうに金切り声を上げた。周りの村人たちは、始終怯えたようにしている。


「ほらっ、やっぱり車で来ていたのよ。探し方が甘かったんだわ、行くわよ」


 女の号令で、村の男たちはぞろぞろと浜の方に降りて行った。阿呆にもその場に一人も残さずに。『べっとうさん』が消えたことにも誰も気づかないようだった。


 誰もいなくなったところで、千太郎が先に屋根から飛び降りた。着地の瞬間脚を折り畳んで音も殆どしない。千太郎が手を差し上げるので、忠治は屋根からそれに助けられるようにドサリと落ちた。


「やはり、あの『肉』について調べるのは、この村では禁忌みたいですね。このあと、どうしますか~」


 最後まで村人の動向を伺っていた島根が、彼らが遠くに行ったと確信したのか呑気な声を出した。波音と虫の音と、ウシガエルの鳴き声しかしない。


「しぃ、女子どもはまだ家にいるはずだ。油断はするな」


 立ち並ぶ低い家々の奥に、わずかながら人の気配を感じるようだ。咎める忠治に、千太郎は思い出したように振り返って平手を打った。


「そういえば忠治さん、俺。あの家で変なもんを見たよ」


 島根が不格好に屋根から降りながら、


「そういえばその話を聞く暇がなかったな、それで何があったって」

「『赤い湧き水』を見た」


 千太郎は島根に短くそれだけ告げたあと、二人に背を向けた。月明かりで辺りは明るい。千太郎が進む先には白い道が真っ直ぐ続いている。その先にある屋敷は、何だか昼間とは違って恐ろしい物のように黒く見える。


「屋敷に行ってみようよ、見た方が、早いから」

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