第十一話 北枕

 そう青年は大きい声で言うと、囲炉裏に火を入れてから三人を残して家を出て行った。気配が消えてから忠治は島根に先ほどのことをまた尋ねた。


「どういうことだ、車がないなんて……村の入り口に停めただろうが」

「ええ、確かに停めましたよ。ただあのあと、僕の部下が車を回収する手筈になってましてね」

「な、帰る時はどうするんだ」


 憤って思わず声が高まる忠治に、しぃーしぃーっと島根は指先を突きつける。


「明日迎えに来るように言ってありますよ、こないだ部下の一人がここへ来た時に車を悪戯されましてね。用心することにしたんです」

「悪戯って、壊されたってことなの」


 千太郎までも話に加わって来て囁く。島根は板張りに腰を降ろした。そのまま革靴を脱ぎにかかる。どこに行っても自然体な男だ。


「そう、車輪の空気を抜かれていたそうなんだ。幸い交換用のを積んでいたから助かったようなものだけれど、村人が勧めるようにこの村に一泊していたら危なかったかもしれないね、今の僕らみたいにさ」

「代わりの車輪があるのなら、泊まろうが泊まるまいが無事に帰れるんじゃないの」


 千太郎の問いかけに、忠治の胸がざわざわとざわめく。何だかオメオメと女主人の言うようにこちらにお邪魔するのは危険なように感じられた。ここまでの流れは、もしかしたらこの村では規定通りの流れなのではないだろうか。


「夜急に逃げることになったなら、それは叶わなかっただろうってことさ」

「いや~すんません。家の者にこちらで直接用意せぇ言われまして」


 島根が気になることを口にした瞬間、鍋の材料を抱えた青年が豪快に入室して来てその話はそこで止まってしまった。乱暴に囲炉裏に鉄の鍋を引っ掛けると、薪をくべて火力を調整する。


 黄金色の出汁の中に貝やぶつ切りの白身魚を放り込むと、最後に葱と青菜をパサパサと重ねる。味噌で味を整えて、できたとばかりにまた笑顔を見せた。


 青年が用意した海鮮鍋は、海が近くて魚が新鮮なせいか異様に美味しく、忠治が懐から宿泊料を出そうとすると、手を振ってやんわりと断られる。


「地主さんのお客さんからお金を頂くわけにはいかねぇすけ」


 そして奥の畳の部屋に布団を三組敷くと、お辞儀を一つしてあっという間にいなくなってしまった。その作法は、田舎にいるのに不似合いなほど礼儀正しく思えた。


 部屋は布団を三つ敷くには窮屈で、他に足場がなくなってしまった。仕方なく布団の上に胡座を掻くと、忠治は剥がれかけた土の壁をじっと見つめる。


「何だか大分余所よそしいな」


 島根が残念そうに眉を下げる。忠治は構わずに上着を脱ぐと枕元に折り畳む。すると、端っこの布団の上に座った千太郎が、何かに気づいてボソリと一言呟いた。


「北枕」


 言われて海の方角を確認すると、「げっ」と忠治も妙な声を出す。飛び退きようにも生憎その布団の上だ。同じ所で足踏みをしてしまって埃が舞った。


「『不祝儀敷き』といい、何なんだこの村は」

「まぁ逆にして寝ましょう。明日も忙しいですし」


 そう島根は言い終わると、枕の位置を反対にして、さっさと真ん中の布団に潜り込んだ。背が高い彼は身体をみの虫のように丸めないと布団に納まることができない。外地に赴いていた時、足を真っ直ぐに伸ばして眠れる寝具に、感動していたことを何となく思い出した。


 忠治は仕方なく千太郎と反対側端の布団に潜り込む。布団は冷たく、薄っぺらかった。忠治が布団に入ったのを確認して、千太郎は灯籠をそっと息で吹き消す。

「おやすみ」


と、静かな声で言った。


 目を閉じるまで「こんな所で眠れるか」と心の中で悪態をついていた忠治であるが、疲れていたのだろう。いざ布団に入るとまるで吸い込まれるように意識は遠のいて行った。

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