第十話 お山の別棟

 玄関を通り過ぎる時に、流石と言うか何と言うか。島根は千太郎の草履を静かに懐に忍ばせる。女中は三人連れが二人連れになっているというのに、全く気づきもしない。二人をそのまま、『黒』の家の並びへと案内した。


「べっとうさん」

「スガさん、また客かね」

「そうだ、宜しく頼んます」


 一番端の家の入り口で、薪を割っていた男が顔を向ける。成るほど、黒い。辺りはもう薄暗く、白い目だけが浮いているように見えて不気味だった。


「どうも『山の別棟べっとう』さ、言います。この村の宿泊所みたいなもんだすけ、気にせず泊まってってくんろ」


 白い歯を剥き出して笑ったところで、この村の者は若いのだとようやく忠治は気づいた。それを証拠に島根が大股で近寄って行って、嬉しそうに握手をしている。


 女中はそれを見届けると、ペコリと一つお辞儀をして、白い家に向かって帰って行った。彼女の行く先に桜の白い花が燃えるように咲いている。


「おい」

 忠治は後ろから島根の肘を掴んで囁く。

「何だか悪い予感がする、このまま千太郎が戻ったらズラかって出直そう」

「いや、でも今車がないんですよ」

「はぁっ」


 そう答えながら島根は忠治の指を一本ずつ剥がすと、ぎゅっと大きな手のひらで握り込んでくる。


「その話はまたあとで、ホラ、彼が来ましたよ」


 そう島根に言われて、忠治が右側を見ると、海の方から草を掻き分けて千太郎が駆け上がって来た。白い肌に透明な雫の玉が幾つも浮いている。


「あ、ここに繋がった」


 わずかに息を弾ませながら、こちらに近寄って来る。


「もう一人、追加で」


 島根が片目を瞑って村の青年に指を一本指し示すと、青年は朗らかに頷いた。


「かまわね、布団なら幾らでもあるすけ」


 そう答えたあとに、千太郎にこう声を掛けた。ニッカリと歯を剥き出して笑いかけてくれているのに、千太郎から警戒の気配がわぁっと吹き出ている。


「坊主、海で何かイイモン見つかったか」

「……祠」


 千太郎はそう不機嫌に答えると、忠治の後ろに隠れるように動いた。それは一見すると微笑ましい仕草だったが、忠治は書生が青年に襲いかからないかヒヤヒヤしていた。


「はっ、恥ずかしがり屋だな」

「『祠』とは、何だね」

 忠治が『べっとうさん』に尋ねる。

「そうそう洞窟の入り口に、海の神様が祀ってあるんだ、だども奥には入っちゃなんねぇ。罰が当たって『海で人が死ぬ』って言われてんだぁ。坊主、よもや奥さ入ってねぇべな」


 青年の問いかけに、千太郎は固く頷く。青年は安心したように笑った。険気な瞳に、気づきもしないで。


「んだばついて来てくんろ、飯にするすけ」


 彼が歩き出したのを確認して、千太郎は忠治に耳打ちした。まるで母親にだけこっそりと秘密を教えるように、息ばっかりの言葉を耳に注ぎ込んでくる。


「奥へは『入って行って』はいない。俺は奥の方から『出て来た』から……あの男の人は『水』を汲んでいた」


 忠治は内容の真理を確かめようと、書生の顔を覗くが。島根が「早く行きましょう」とばかりに背を押して来たので聞けずじまいだった。家の側の草むらで、ぶおーぶおーとまた蛙が鳴いている。それを聞いて、青年は嬉しそうに振り返った。


「ここら辺ではアレのこと『べっとうさん』さ言うだぁ、うちの家系は皆口が大きいでの」


 そう言って笑う青年の顔は、真っ白い歯が爽やかで驚く程好青年に見える。


「そうですね、そらぁ素敵ですね。お口が大きいのは愛嬌があって良いですよ。ウン、実に良い」


と言いながら後ろをついて行く島根の尻に、尾っぽがブンブンと振られている気がして忠治は脱力した。


 青年の後ろについて家に入ると、まず土間が三人を出迎えた。板場には囲炉裏があり、昔ながらの日本住宅だ。ただ土間も板張りも塵一つなく、青年が良く掃除しているのが伝わって来た。村の宿泊所であるというのは、あながち間違いないのであろう。


「客さ泊まる時、俺ぁ隣の家さ行くだぁ。奥は畳だすけそこで寝てください。ほいだら、夕飯さ拵えて来るすけ、ちょっと待っててくんろ」

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