第八話 包帯だらけの主

「息子は、両親や夫と同じ、病気なんです」

「何と、これは……」


 忠治は言葉に詰まった。布団に横たわる主は、体中真っ白い包帯だらけだった。後ろ手に回った母親に起こされた体は華奢で小さい。母親が先ほど言った二十歳過ぎにはとても見えなかった。少年は少し咳をするように体を折り曲げると、右前の合わせ目をぎゅうと掴み、苦しそうにわずかに呻いた。


「あっあっ、良いです。良いですよ、そのままで」


 島根がまるで商売男のような物腰で両手を突きだして若い主人を制した。


「客人の前で大変申しわけない、どうにも身体が言うことを利かんのです」


 彼は声変わりをしていなかった。実際はまだ年若いのであろうか、体つきからも見て取れる。家督を継がせるために、年齢のサバを読んでいるのかも知れない。忠治はそれを何だか哀れに思って声を出した。


「……失礼ながら私は町で医者をやっております。宜しければ……」

「息子には村にキチンと主治医がいますの、結構ですわ」


 急に目を吊り上げた母親に、すげもなく断られた。忠治は気を悪くするでもなく、大股で近づいて行って主に向かって右手を差し出した。少年はまるで条件反射のようにそれを握る。親指の腹で忠治は彼の手のひらの骨を撫でた。


「町の方が色々と薬など新しくもなっているでしょう、もしでしたらいつでもお声を掛けてください」


 そう言うと忠治は上着から懐紙を取り出して、そこに診療所の住所を走り書きした。万年筆の青いインクが紙に吸われて酷く滲んでゆく。若い主は少しばかり驚いて包帯の隙間から目を大きくすると、分かり難い表情の中でも、ハッキリと分かるほど頬を緩めた。


「……あら、何か有ったとて、駆けつけられる距離とは到底思えないけれど」


 母親は冷たい態度でもって、少年の代わりにそれをどうにか受け取った。千太郎はまるで番犬のように忠実に一言も喋りはしなかったが、目だけを爛々と光らせて忠治を横目で見つめていた。忠治の行動が『珍しい』と言いたいのだ。


「さて、どのようなご用件でこの村に」


 声すら出しにくいのか主の代わりに母親が尋ねてくる。


「いや、町中まちなかで妙な物が流行っていましてね。出所がどうやらこの村らしいのです。お二方、『こちら』に見覚えはございませんか」


 島根はそう言ってまた先ほどの写真を取り出した。例の『肉』を親子は物珍しそうに凝視する。


「お魚かしら……鯛。美しい鱗ですわね。鯛は残念ながらこの浜では穫れないのだけれど」

「母さん、違うよ。鱗の根本が何だか妙だ、毛穴のようなものが見える。それにこの赤身の断面、動物の肉なんじゃないの」


 少年の方が良い目をしている。


「そうなんです、巷では『人魚の肉』だなんて触れ込みで売られていましてね」

「まぁそれは恐ろしい」


 島根の言葉に、母親は指先で口元を覆う。島根はそんなことに構いもせず、続けて尋ねる。


「ここいら辺に、そう言った類いの伝説や言い伝えなんか、あったりしませんか」


 二人は少し考えるように黙ったが、やがて首を横に振った。


「ないですね、ちょっと変わった『浜唄』ならあるんですが」

「ああ、知っています。先ほど少し意味も伺いました、この家のことも出てきましたね」


 少年の言葉に、島根が続けて尋ねる。


「『しっちべどん、はっちべどん、源三郎、やーの弥太郎、お山の別棟』……あすこら辺は、誰のことを指しているのでしょう」

「それなら『屋号(やごう)』ですわ。ここいら辺はうちも含め、姓は『半部(はんべ)』と言うのです。皆一緒だと何かとこんがらがるので『屋号』で呼び合っていますの」


 母親は気もそぞろげに指先で畳の目をなぞっている。失礼な奥方だと思いつつ、妙な感覚に忠治は少し首を傾げた。


「成るほど『猿の杯こっちゃかずきで、海老も跳ねれば雑魚も跳ねる』は、酒を飲んで大騒ぎしたって感じですか」


 そう島根が正座したまま前のめりで言うと、母親はそれが面白かったのかクスクスと無邪気に笑った。『女』を丸出しにした、少々不快な仕草だ。


「そうそう、そうなんですの。私も小さいころからその部分は『らんちき騒ぎ』の部分だって理解していましたわ」

「……貴女は、こちらの出身でしたか」


 言葉の綺麗さからてっきり都会の出身かと思い込んでいた忠治は、思わず横入りで会話を遮ってしまう。すると女は不機嫌に顔を歪めてツレなく答えた。


「ええ、そうですわ。私この家で育ちましたて、主人は『赤』の家から婿に来ましたの」


 その答えに、忠治は唄の最後に屏風の陰で尻尾を切られる『赤猫』のことを思い出していた。もしかしたらこの家の主人は屏風の陰で……。


 すぐ傍に座っていた千太郎が、良からぬことを考えている忠治に気づいたのであろう。正座した左足をこちらにぶつけて来た。それで、忠治は思考から我に返る。妄想するのが忠治の悪い癖であった。

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