第九話 不祝儀敷き

 右側を見ると、千太郎が流し目でこちらを見つめていた。それを急に親子の方へと向けると、この部屋に入ってから書生は初めて声を出した。


「『赤猫』と言うのは『放火』。または『放火魔』を指すのだと学校で聞いたことがあります」

「へぇ、そんな意味があるんですか」


 主の少年は、年が近そうな千太郎の発言に、興味津々と言った形で身を乗り出してきた。先程の儚さとは違った、年齢にそぐったその表情は至極明るく見えた。


「もしかしたらあの唄に、そのような『いわれ』があるのかと思って。過去にそういった事件などあったりしたのでしょうか」


 島根は千太郎の問いに至極小さな音で口笛を吹いた。


「ふふふ、綺麗なお坊ちゃんね。いえ、ここは、特に『黒』の家々が祀っているのは水神様でね。不思議と火事による災害はないの」


 女が『あら、残念ね』とばかりに口角を上げた。とんだご趣味をお持ちの淑女のようだ。しかし、千太郎は涼しい顔をしている。自分が気になることにしか興味がないのだ。


「そうですか、それは失礼しました」


 そう一言だけ礼を言ってお辞儀をすると、急に立ち上がりスタスタと襖を開けて先に出て行ってしまった。


「これっ。すみません……どうにも教育がなっていないようで」


 忠治は詫びながら自分も腰を上げた。実は一刻も早く千太郎のようにこの和室を退出したかった。それは『あること』に気づいたからだ。


「すみませんが、そんなわけでもう暫く村に滞在させてください。村の方で、もう少しお話を聞きたいのです」


 島根も頭を下げると、奥方は意外にもにっこりと微笑んで返した。


「ええ、勿論ですわ。春とは言えもうすぐ暗くなります。こちらで申し出ようと思っていたくらいですの、ちょっと、ちょっと来てちょうだい」


 そう言って手を二度叩くと、今度は奥から年配の腰が曲った女性が現れた。女主人よりもっとみすぼらしい恰好をしていた。見るからに位が低いと分かる婆さんだった。


「『黒』の家の者に話して、皆さんが泊まれるように手配なさい。……皆さんは明日帰る時、もう一度こちらにいらしてくださいね。その『肉』が何だったのか、私たちも気になりますわ」


 女の指示に、本当の女中らしき婆は深く頷くと、忠治と島根を誘うように襖を開けて、廊下へ出て行った。二人は女主人に深くお礼を述べてから自分たちも廊下へ滑り出た。


 女中は、二人が襖を閉めたのを確認して廊下へ先に進んで行く。千太郎は出てすぐの廊下の壁に背を預けて、じっと二人を待っていた。


「うわっ、吃驚した……坊主。気配くらい少し出しときなさいよ」


 島根の非難にも千太郎は黙ったままだ。ぷいっとそっぽを向いた。子どもっぽい仕草はここでは妙に和むように感じられた。だって先程のあれは……。


「……」

「どうしました、忠治さん」


 同じく黙り込んだ忠治に、島根がヒソヒソと語り掛ける。


「どうも違和感があると思ったら『畳』だ。二枚以上の畳が並べて平行に敷かれている」

「それ、何か意味ありましたっけ」

「畳の角が交わって四辻になるために縁起が悪いと言われているんだ、『不祝儀敷きふしゅうぎじき』ってやつさ。ここの若い主は死人が出た時の方法で敷かれた畳の上で寝込んでるってわけだ」

「うへぇ、何とも薄気味が悪い話ですね、とっととズラかりましょう」

「しぃ、待って」


 この屋敷は窓も少なく、入り組んでいる。長い廊下の向こう側は最早夜のように暗かった。その奥を何か漆黒の者が静かに通り過ぎた。目を凝らすと、先ほど玄関で逢った唖の青年が、何か大きな物を抱えて歩いているようだ。


「何だ……アレは」

「忠治さん、俺、行って来るよ」


 そう言いながら千太郎は猫のように背を丸めると、その廊下の角に向かって一目散に駆け出した。それすら物音一つ立たず、静かなのである。


「忍者の末裔か何かですか、彼は」

「敢えて、否定はしないよ」


 俺にもわからん。忠治がそう島根に答えたところで、年かさの行った女中が玄関の方で二人を急かして咳払いした。

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