第七話 地主の家

 近くで見るその家の青年は、千太郎よりも幾分か年上に見える。書生同様に白いシャツに黒いズボン姿だったが、その足は裸足で、下駄を履いている。髪の毛は少し長く、油か何かで後ろに撫でつけていた。


「やあ、こんにちは」


 決して見目の悪くない青年に途端に笑顔になった島根は、また帽子を脱ぐと一礼した。すると青年はうんともすんとも言わないで、こちらに一回手招きしてから白い壁の家にゆっくりと戻って行った。


 虚を突かれたような島根は少し立ち止まったが、千太郎は迷いもせずそれについて行くので、忠治もそれに習ってあとに続いた。近寄ってみると、その大きな家は結構古いことが分かる。壁は少しひび割れて、家全体が少し歪んで見えるのだ。


 正面は白い壁塀に覆われ、それから大きな大木が生えている庭を抜ける。桜の大木は本当に見事で、まるで桃色の屋根のように忠治たちの頭上に広がっている。忠治はまだ満開でないその花の天井を、口をあんぐりと開けて仰ぎ見た。


 低い所で咲き乱れるのは雪柳だ。低いとは言っても忠治の首程までの背丈がある。甘い匂いはまるでむせ返るようで、ブンブンと蜜蜂たちが寄って来ている。


 無口な青年は硝子の玄関を開けると、自分はそこに立ち止まって忠治たちに中へ入るように促した。すると玄関先には女中が一人座ってこちらにお辞儀をしていた。


 少しだけ白髪が交じる美しい黒髪を結い上げて、控えめな着物もきちんと着込まれていて好印象だ。顔を上げると細く切れ長な瞳が美しい女性だった。


「いらっしゃいませ」

「いや……どうも初めまして」


 島根と違って忠治はこういったことに慣れていない。後ろからバタバタと島根が五月蝿く玄関に入って来るのに安堵したくらいだった。


「急にすみません、『赤』の村の方に、こちらに伺うと良いと言われまして」


 島根は女にそう言いながらも、玄関の外に立ったままの青年に気をとられてチラチラ後方を振り返る。千太郎も玄関の扉にへばりついてその男を凝視している。青年はこちらに全く気をやらず、桜の木をわずかに見上げているだけだった。


「ああ、彼はおしですの。耳は聞こえるんですが、生まれた時から話すことができないのです。それでも仕事内容は真面目でね、五月蝿くしないから重宝しています」

「そうなんですか、それは失礼いたしました」


 島根が心からといった風に謝罪すると、女中は静かに立ち上がった。そんなに若いわけではないが、それが逆に妙な色香がある。


「実は先日も町から何か聞き込みに来られた方がいたのですけれど、その時はこちらに寄られなかったものですから、主(あるじ)がとても気にされてましてね」

「それはきっと私の部下です。こちらこそ失礼いたしました」

「いいえ、とんでもない。今日はこちらに来られたことがすぐに伝わって来ましたのでね」


 女中は意味深に笑う。そしてこうも続けた。


「実は数年前の流行病で、両親も夫も亡くしてしまったんですの。今は二十歳になる次の家長……、私の息子と二人で暮らしているのです」


「何と、この家の奥方様でしたか、それはそれはご無礼をいたしました」


 簡素な着物に、勘違いをしていた。忠治は恐縮してペコペコと歩きながら何度も頭を下げた。女中だと思っていた女主人は、クスクスと妖艶に笑って、


「いいんですのよ。そんなわけでしてね、うちはよその地主より質素な生活を心掛けていますの」


と、言いながらたどり着いた廊下端の襖を開けた。成るほど、道理で彼女の言葉遣いはここのものとはほど遠い。どこからか嫁に来たためかもしれない、と忠治は頭の片隅で思った。


 開け放たれたそこは畳が敷き詰められた広い部屋で、丁度真ん中の位置に布団が一組だけ敷いてあった。

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