私、人間と結婚します♪
前花しずく
第1話
私と祐樹さんが初めて会ったのは去年の秋のこと。私はいつものように住処にしている山奥の小屋で一人寂しく窓の外の森を眺めていたのだけど、その時突然小屋の戸が開く音がした。こんなところに人が来ることなんて滅多にないし、私はその入ってきた若い男を凝視した。
「すみません、山を下りるにはどの道を行けばいいですか。僕、道に迷ってしまって」
私は辺りを見渡しても、私と彼の他には誰もいない。ということは私に話しかけた? そんな普通に? そもそも妖怪である私のことが見える事にも驚きだし、見えてるにしても「ザ・妖怪」みたいな着物着てるのに。ここ数十年一人で山に籠ってたのに唐突に人間に話しかけられるなんて思ってもみなかった。こういう時ってどうすべき? 妖怪なら脅かすべき? それとも凍らせて殺すべき? えーっとえーっと……。
「その道を戻って分かれ道を左です」
「ご親切にありがとうございます!」
迷った挙句普通に道案内してしまった……。彼、そのまま出て行っちゃったし。でも流石にこんな不意打ちみたいなことされて黙ってられない。絶対何者か突き止めてやるんだから。
「何か用ですか?」
普通に尾行気付かれた。しかも恐らく彼の家の前で。これじゃあロクに言い訳もできないじゃない。……もういい、ここは素直に質問しとこう。
「あなたは何故私のことが見えるんですか?」
「ああ、もしかして妖怪さんか何かですか? なんかうち、そういう血筋らしくてそういうの見えちゃうんですよねえ」
彼は朗らかにそう答えてくる。血筋って、まさか私お祓いされるんじゃないよね。
「せっかくここまで来たんですし、お茶でも飲んでいきませんか」
普通にいい人だった。
「それで、名前はなんと言うんですか? 僕は祐樹です。」
家に上げてもらって座布団に座ると、彼はお茶を入れながら早速そんなことを訪ねてきた。
「えっと、さえです」
「さえさんですか。妖怪って、さえさんはなんの妖怪なんですか?」
「いわゆる雪女というやつで……」
「雪女! 滅茶苦茶有名なやつじゃないですかあ。あれ、そしたらお茶、温かくない方がよかったですか?」
「いえ、それはお構いなく……」
なんだろうこの平和な会話。なんか絆されるというかなんというか。
そんなわけで、私は祐樹さんの家に居候することになった。
そして今、私たちは高尾の街に来ていた。
「ねえ、本当にそこに行ったら結婚できるんだよね」
「もちろん。烏天狗から直接聞いたんだから本当だよ」
これまた遡ること一か月前、散歩で近くの山を登っていると、ものしりで有名な烏天狗が向こうから声を掛けてきた。人里にいる私を「誰かに惚れでもしたのか?」と散々からかった後、その結婚の話をしてくれたのだ。
夏本番で日が熱そうだから祐樹さんにちょこっと冷気を送ると喜んでくれた。祐樹さんのその手には二人の名前が記入された結婚届がある。
「ふざけてると思われて門前払い食らったりしないかな」
「なんか専用の窓口があるらしいよ」
噂によればこの高尾町の役場で人間と妖怪の婚姻届を受け取ってくれるらしい。祐樹さんはまだちょっと完全には信じてないようだけど、一応付き合ってくれているみたい。
しかし、人間の街も変わったなあ。なんか綺麗になったというか淡泊になったというか。車のためにこんな拾い道が整備されてるし、何より走ってる車がどれもぴかぴか。
高尾駅前はまだ人がパラパラと歩いていたけど、少し街道を歩いただけで人影がほとんどなくなった。祐樹さんの手を引っ張って歩いていくと、五分くらいで「高尾町役場」と玄関の上に掲げられた建物が見えてきた。
祐樹がそのまま普通の玄関から役場に入ろうとするから腕を持って引き留める。
「そっちじゃなくてこっちから入るの」
烏天狗の話だと建物の左を回り込んで高い草をかきわけていくと……あった、変な黒いシミ。
「ここの壁の向こうに窓口があるはずだよ」
「壁の向こうってどういう……」
祐樹さんは若干戸惑っているけど、とりあえず私だけ先に中を確認してこようかな。壁は「ものを通り抜けてる」という感覚はなく抜けられた。これなら人間の祐樹さんも通れそう。
「ほら、祐樹さんも早く来て」
「そりゃあさえは妖怪だから行けるかもしれないけど僕は無理じゃ……」
「つべこべ言わずにほら、早く来て」
壁から手だけを外に出して、祐樹さんを掴んで引っ張り込む。思った通り祐樹さんが壁に激突することはなく、二人とも無事に中に入れた。祐樹さんは何が起こったかよく分からないって顔をしてるけどまあいいでしょう。
中はある程度大きい空間になっていて、明かりは壁にかかった提灯のオレンジ色の光だけ。そして目の前には普通の役場同様に受付カウンターがある。
「あ? お客さん来ちゃったの? ここんとこあんま来てなかったから楽だったのにさー」
カウンターの向こうには職員であろう若い女性が座っていて、カウンターに肘をついていた。随分とやる気のない感じ。普通にしてればかわいいと思うんだけどな。
「まあとりあえずそこ座って。担当の丸山でーす。で、何の用?」
「これは……すごいタメ口だね」
祐樹さんが苦笑いして私に耳打ちしてくる。山から出てくる前、最後に人里を見たのが戦争のちょっと前だったけど、その頃から人間社会って何かと厳しいもんねえ。まあ特別な受付だし人間社会の決まり事とか関係ないのかもしれないけど。
祐樹さんはまだこのカウンターのことを疑っているのか、恐る恐る記入済みの婚姻届をカウンターに置いた。
「あー、人間と妖怪で結婚したいと。おめでたいこってすな」
丸山さんはいちいちうるさいものの、出された婚姻届に睨むような感じで目を通していく。ここで記入漏れとかあったら恥ずかしいな。
「記入漏れはナシと。じゃあ次、さえさん? の過去の行いを確認するから」
「過去の行いを?」
丸山さんが充分な説明をしてくれないから、流石に一回聞きなおす。
「そ。この浄玻璃の鏡を使えばあんたらの過去が丸見えになるのさ」
そうは言われても卓上鏡は丸山さんの方を向いているから、こっちからは一切見えないんだけど……。まあお仕事上問題がないならなんでもいいか。
とりあえず何も言わずに待っていると、急に丸山さんがケタケタと肩を震わせて笑い始めた。唇の間からは鋭く尖った二本の八重歯が覗いている。この人もなんだかただの人間じゃないような気がする。
「やっちまったね、さえさん」
「何がですか?」
「またまたぁ」
丸山さんはニヤニヤするばかりで一向にその先を話そうとしない。祐樹さんが待ちきれなくなったのか「さゑが何をしたって言うんです」と催促した。
「さえさん、人殺してるでしょ」
丸山さんはシンプルにそれだけ告げた。
「そんなことしてません。私がそんなことする必要あります?」
身に覚えがなかったのですぐに否定する。でも、丸山さんのニヤニヤは止まらなかった。
「天和二年十一月七日から宝永七年一月二十九日にかけて、山に入った人間を次々に吹雪で殺してるな。総勢六十二人」
丸山さんは楽しそうに淡々と読み上げた。天和二年……というと私が生まれてすぐの頃だ。
「確かにそんなこともあったような気がするけど、でもわざと殺したわけじゃないんです。生まれたばかりで能力が制御できなかっただけ。仕方ないでしょう?」
そうは言ってもわざと殺したりしているわけじゃない。人間だって歩いてて蟻を踏んでしまうことくらいあるでしょ。だからそれもただの事故。
「仕方なくなんかない! わざとじゃなくてもたくさんの人の命を奪ったんだぞ!」
声を荒らげたのは他でもない、祐樹さんだった。普段温厚な祐樹さんが頬を痙攣させてまで怒っている。予想外の反応だったので、私は驚いて固まってしまった。
でも、確かに祐樹さんが怒るのは当たり前なんだ。そりゃあ祐樹さんから見れば他人と言えど人間は同種だし、優しい祐樹さんならば同種の命は大切にすることだろう。これは単に私の配慮不足だ。そう考えたら急に自分が情けなくなってしまった。
「ご、ごめんなさい……遠い昔のことだったからつい……」
「あー、とにかく大量殺人してるんだから結婚は無理ってことで……っていで!」
私の謝罪の言葉を遮って丸山さんが馬鹿にするような態度を取ってくる。流石に私も彼女に向かって怒りそうになっていると、その後ろから眼鏡をかけた男職員が出てきて丸山さんの頭をファイルの角で叩いた。
「おい、お客様に失礼な態度を取るな」
丸山さんの上司なのか、丸山さんを叱りつける。やっぱり丸山さんの振る舞いは特別なカウンターと言えど普通ではなかったらしい。
「うちの馬鹿がご迷惑をおかけしました。ここからは私、長根が応対させていただきます」
長根さんは自分の首にぶら下げたカードを私たちに見せる。この人は丁寧に対応してくれそうだ。
「さえさんは確かに違反行為は認められるのですが、罰則規定ができる前のことですので時効となります」
「時効……ということは結婚はできるんですか?」
「はい、もちろん大丈夫です」
その一言で、沈んでいた気持ちがいくらか軽くなる。さっきまで怒っていた祐樹さんもやっと笑顔が戻った。
「それでは婚姻届、受理させていただきますね」
丸山さんがふくれっ面をしているのを横目に、長根さんはさっさと事務的な処理を終わらせる。あの無駄話はなんだったのかと思うような早さだ。
「これで手続きは以上になります。妖怪と人間の結婚ですので戸籍に変更はありません。このまま帰っていただいて結構です」
最初からこの職員が対応すればいいのにとは思ったけど、また喧嘩を売るとややこしいことになりそうなので抑えておいた。
「ありがとうございました」
「末永くお幸せにな。ちなみに……」
これで気持ちよく帰れるかと思ったのに、最後の最後に丸山さんが強引に話を付け足してきた。
「人間と結婚した妖怪は裏切られるか人間の方が死ぬと暴走することが多いんだぞ。あんたらはどうなるかな……あいでっ」
「いい加減にしろ」
怖いことを口にする丸山さんの脳天にファイルの尖った部分が突き刺さる。その額には短いツノがあった。なんだ、やっぱりこの人も妖怪だったのか。
しかし、仮にも結婚した二人に向かって流石に失礼にもほどがある。でも、祐樹さんはそんな言葉一切気にしていない様子でこう返した。
「ご忠告ありがとうございます。でも僕らはそんなことにはならないと思いますよ。僕はさえのことが好きなんで」
そのまま祐樹さんの後を追う形でその部屋を出る。するとやはりさっきの草だらけの役場の庭だった。
「これで俺らちゃんと夫婦だね」
祐樹さんはそうやって私に微笑みかけてくれるけど、ここで私は一抹の不安を覚えた。さっき私に向かって怒った時、祐樹さんが私のこと嫌いになったんじゃないかって……。
「ねえ、私が人殺したって知って嫌いになった?」
怖いけど聞かずには帰れない。手が震えてるけど、緊張してるのは表に出さないように……。
「嫌いになることはないよ」
私の心配に反して祐樹さんは少しも間を空けずにそう言った。
「でも、昔のこととはいえどちゃんと反省してほしい。絶対もう同じようなことはしないって。約束してくれるよね?」
祐樹さんはそう言いながら私の肩を優しく抱き寄せる。どこまでも優しくて、真っ直ぐな人。なっぱり私はこの人が好きなんだと思った。
「もちろん。絶対しないから。嫌いにならないで」
「だから嫌いにはならないって。僕も一緒に罪を背負うから。分かったね?」
「うん」
私はなんだか嬉しくなって祐樹さんの腕にしがみついた。
「今日は夕ご飯何?」
「今日はね、冷やし中華にでもしようかな」
なんでもないことを話しながら、帰るために高尾駅を目指す。見えないものと手を組んで話している祐樹さんが変な目で見られているけど、今日くらいは家までくっついて帰らせてね。
私、人間と結婚します♪ 前花しずく @shizuku_maehana
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