雪待ちの人

増田朋美

雪待ちの人

雪待の人

今年も、ついに12月がやってきた。もう一か月で今年も終わりなのか。何だか予想外の事ばっかりが起こった一年ではあるけれど、ずいぶん長いようで短い一年であったような気がする。やり残したことは何もない処か、やりたくてもできなかったことのほうが多すぎて、不満ばかりが蓄積されていったような、そんな気がした一年間だった。

それにしても、12月だというのに、まだみんな薄着をしている。今年はバカに暖かいというか、むしろ暑いくらいだと息巻く人さえいる。それでは、冬らしくない、変な気候だという気がしないわけでもないが、、、。まあ、暖かいからいいのではとしてしまう人が多くいた。

「伊能さーん、郵便でーす。受け取りサインをお願いしまーす。」

蘭が下絵を描いていると、いきなり玄関先で間延びした郵便配達の声がした。郵便配達の声は、いつもなんだかのんびりしているというか、気が抜けているというか、そんな気がしてならない。蘭が勝手にそう考えているだけかもしれないけれど、なんでうちに来る郵便配達は、こんな間延びした声なんだろうか、と蘭はため息をつきながら、玄関先に行った。

「えーと、エアーメールですね。伊能蘭さん宛てです。サインをここにお願いします。」

郵便配達に見せられたところに蘭はサインをした。

「はーい。ありがとうございました。じゃあ、また来ますので。」

郵便配達はそんなことを言って、蘭の家を出ていった。まったく、また来ますなんて、本当にのんびりしすぎている郵便配達だなあと蘭は思いながら、エアーメールの宛書を読んでみる。どうやらパリかららしい。きっちり書かれているが、ほとんどカナ文字で、ところどころ誤字や当て字もある。ということはつまり、外国人がかいたものだと蘭はすぐに分かった。やれやれとため息をついて、封を切って読んでみる。大変へたくそなひらがなで、こんなふうに書かれていた。

「ぜんらく、おげんきでいらっすいますか。さいきんにほんごをほとんどつかっていなかったので、まちがえているかもしれませんが、おてまみをおくります。よーろっぱではゆきがふりました。にっぽんも、おなじやうにさむいとおもうけど、むりせずがんばっていきませう。みずほさんはだうしていますか?こちらは、とらがおんらいんじゅぎょうをうけはじめました。そちらにいきたいといっています。とらはいちどいいだしたらきかないので、ぼくもひじゃうにこまるんですが、でも、まへむきになってくれたからいいのかな。どうぞ、らんさんもおからだにきおつけて、ゆっくりすごしてくださひね。まーく。」

やれやれ、マークさんが、様子を探りに来たのかなと蘭は思った。多分、妹のトラーが通信教育を受け始めたということを言いたいんだと思うけど、まったくどうしてこのタイミングで手紙をよこすのかなと思う。寒中見舞いでもないし、年賀状を書く季節でもないし。間違いなく、こっちの様子を探るために、手紙をよこしたとしか思えない。返事を書く気にもなれなかった。蘭は、はあとため息をついて、とりあえず手紙を引き出しの中へしまおうとしたその時、インターフォンがなった。それも五回連続で。

「おーい蘭、いるか。一寸聞きたいことが在るんだけどさあ。」

この鳴らし方は杉ちゃんに間違いなかった。そのでかい声も杉ちゃんに間違いなかった。

「一寸、お願いなんだけど、教えてほしいことが在るんだ。お願いしてもいいかなあ?」

「ああ、一寸待って、すぐ行くから。そこで待っててくれよ。」

蘭は、インターフォンの受話器をおいて、急いで玄関先へ行こうと車いすを移動させようとしたが、杉ちゃんのほうは、ほら、入れと言っている。もう、人が良いという前に勝手に入れないでよ、と蘭は思ったのであるが、杉ちゃんはもうガチャンとドアを開けて、玄関に入ってしまっていた。もう、うちの玄関に段差が何もないのが、こういうときに憎らしくなるものだった。

「ほら、入れ。この人が、たぶん教えてくれるから。あいにくね、僕は和裁ならできるんだけど、マオカラースーツは作ったことないので。」

と、杉ちゃんが言っている。こんにちは、と一人の若い男性の声が聞こえてきた。蘭が玄関先に行くと、杉ちゃんの隣に、礼儀正しそうな若い男性が立っていた。

「初めまして。僕は、川村久と申します。杉ちゃんで、良いのかな。彼のことは、インターネットで調べました。なんでも、富士市の田子の浦というところに、杉ちゃんという名の仕立て屋さんがいるからって言われて、お願いに来たんです。」

「そうなんだけどね。僕は、マオカラーはやったことないから、其れで、お願いされても困ってしまうので、蘭にお願いに来たんだよ。誰か、お前さんの知り合いにでもさ、洋裁の先生、いないかなって。」

若い男性がそういうと、杉ちゃんは、そういうことを言った。

「マオカラースーツ、ですか。」

と、蘭は変な顔をする。

「一体なんでそんなもの欲しがるんです?マオカラースーツと言いますと、テレビタレントとか葬い人しか着ないはずでは、、、。」

もしかしたら、おっかない人なのかなと蘭は思ってしまったがそういうことではなさそうだった。

「違うんだよ。なんでも来年から高校に入るんだって。其れでね、その高校は制服がないから、学ランの代わりにマオカラーを着て学校に行きたいんだって。ほら、マオカラーってさ、学ランに近い形をしているじゃない。学ランに近いものを着て、本当に学生になった気分で学校に行きたいんだってさ。」

「高校ってどこですか?」

杉ちゃんが説明すると蘭は、急いでいった。

「はい、星和高校です。」

「星和高校、ああ、あの通信制で有名な所ですね。オンライン授業を、動画サイトに投稿していたような。」

「ええ、長らく引きこもりを続けていましたが、社会に出るためには、知識が必要なのではないかと思い直し、星和高校に行く事にしました。先生方も、すごく歓迎してくださって、僕はやっと、これで、学生としてやり直すことができると、すごくうれしくなりました。もちろん、入学試験もありますが、何だか、この冬が来るのを、楽しみにしています。」

まるで、雪が降るのを楽しみに待っている子供のような顔をして、彼はそんなことを言うのだった。確かに、雪待のひとという気がしてしまった。

「まあ、入学試験と言っても、面接試験だけで、入ってからのほうが大変だと思うけど、それは覚悟はできています。星和高校に入って、本当の基礎の基礎からやり直して、そしてちゃんとした人間に戻りたいと思います。」

「ほう、えらいねえ。しっかりやってな。」

蘭はすぐに思いだした。以前刺青を入れに来た女性客が、そこの卒業生だった覚えがある。確か、すごく面倒見がよくて、生徒を丁寧に扱ってくれていると聞いている。

「そうですか。確かにあそこで在れば、制服もないですものね。一般的なスーツでは確かに学生服には程遠くなってしまいますね。それで、学生服に近いものをということですか。わかりました。一寸、知り合いの、洋裁の先生に電話してみましょう。」

蘭はやっと納得して、引き出しを開け、顧客名簿を取り出した。蘭はこれまでのお客さんの名前と電話番号を、一人残さず記録している。其れは蘭の職業が一寸特殊というか、訳ありのお客さんばかりであるということも関係している。

「えーと、この人だ。渡辺真理奈さんね。何処かの女優さんみたいな名前だから、ちゃんと覚えてるよ。番号は、この番号だ。」

蘭は、急いで、ノートから書き写すと、スマートフォンをとって、その番号に電話をかけてみた。ところが、真理奈さんという人は、電話に出ない。

「あれれ、おかしいな。番号を間違えたかな。」

と、蘭はもう一回確認したが、番号は間違ってはいない。もう一回電話をかけてみるが、やっぱりいくら鳴らしても、電話に出ない。つながっているのに電話に出ないのだからおかしいのである。この時代だから、誰でも携帯電話かスマートフォンを持っているはずなのに、なんで出ないんだろう?

「おかしいなあ。何処か出かけてもいるのかな。でも、スマートフォンは、どこかへ出かけていても、持ち歩いていたりするはずから、直ぐ出ると思うんだけど?」

「車を運転中とか、そういうことは考えられない?」

と、杉ちゃんが言うと、

「いや、彼女は車には乗れないはずだ。車の運転免許は持っていないと、彫ったとき言っていたから。」

と蘭はすぐに答えた。

「じゃあ、お家の方、ご家族の方はどこかいないの?」

杉ちゃんが言うと、

「いや、お家の方というか、ご主人は、ベつのスマートフォンを持っていると言っていた。彼女は彼女でスマートフォンを持っている。それに、彼女の家は、固定電話を敷いていなかったはず。」

と、蘭は頭を傾けた。確かに、固定電話をつけていない家は、いまの時代は珍しくない。すでに三回電話しているのに、いちども出ないというのは、一寸おかしい。

「まあ、仕事が忙しいんじゃないのかな、それで暇になったら、蘭の所にまたかけてくるんじゃないの?」

と、杉ちゃんに言われて、蘭はそうだねえと言った。

「まあ、そのうち手が空いたら、電話をかけてくるでしょ。」

とりあえず、その場は、川村久さんの電話番号と住所を聞いて、お開きにした。久さんは、洋裁の先生から連絡が来たら、教えてくださいと言って、蘭の家を出ていった。その顔は真剣そのもので、蘭は、苦労をした上に、通信制高校に入ることができたんだなということが読み取れた。それではぜひ、マオカラースーツをつくってやってもらいたいものだ。一般的なスーツでは、一寸物足りないという気持ちもわかる。

その日は、何もなくすごしていたが、翌日になっても、翌々日になっても渡辺真理奈さんという女性から蘭に電話はかかってこなかった。蘭は、三日目になっておかしいなと思い始める。一体何をしているんだろう、電話がかかってきたことは、着信履歴に表示されているはずなのに。それを見て電話を

返してくれることだってあるはずなのに。

「それで、もう何日たったと思ってんだよ。」

と、布を選びながら杉ちゃんが言った。今日は、杉ちゃんの和裁の道具を買うために、手芸屋にやってきたのである。この手芸店は、八割くらいは洋裁にまつわるものを売っているが、ほんの少ない割合だけど、和裁の道具を扱ってくれてもいるのである。

「ああ、もう一週間近くたつんだけど、これっぽっちも連絡がないんだよ。彼女、そんなにだらしない人だとは思わなかったけど。」

蘭は、大損をしたという顔で言った。

「それじゃあ、ご主人にかけてみたらいいじゃないか。スマートフォンをほっぽらかしにするのはなぜかって。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうだけど、僕は、彼女の番号しか知らないんだ。彫ったとき、ご主人がいるということは聞いたんだけどさあ。」

蘭は、どうしたらいいのかなという顔をしている。

「まあ、そうだけど、洋裁の依頼をしたいとちゃんと言うには、ご主人にも聞いてみることも必要なんじゃないの?一体渡辺真理奈さんは、洋裁師としてちゃんとやっているんだろうな?」

「だって、僕が、職業を聞いたときに、ちゃんと洋裁師と名乗ったよ。」

蘭と杉ちゃんがそういいあっていると、布を切っていた手芸屋の店主のおじさんが、

「何?渡辺さんとお知り合い?」

と杉ちゃんに聞いてきた。

「ああ、彼女洋裁師として、やっているんだよな?実はよ、僕の知り合いでマオカラースーツをつくってほしいと言っているやつがいるので、お願いしたいんだが、連絡が全く取れないんだ。」

と、杉ちゃんが答えると、

「そうか。もう少し早ければよかったねえ。渡辺さんなら、この間も、ミシンを買いに来たよ。腕のいい洋裁師であることは間違いないんだが、、、。」

ということは、渡辺真理奈さんは、実在する人物だということが分かった。

「それで、ミシンを買ってどうしたの?」

杉ちゃんが聞くと、

「いやあねえ。そういう風に依頼が頼まれるんだったら、もっと早く依頼してくれれば良かったのに。こないだ、ご主人が、困った顔をしてうちに来たよ。なんでも、自殺未遂を起こして、入院したんだって。」

と、手芸屋のおじさんは、そういうことを言った。

「はあ、なるほど。で、どこの病院にいってるの?」

杉ちゃんは単刀直入に聞いた。

「ああ、何だか、ご主人の話しによると、怪我のほうは大したことなかったようだが、死ねなかったことを、すごく悔いていて、精神関係に入院していると聞いたよ。」

手芸屋の店主は、それ以上は知らないという顔をした。

「よし、影浦先生に聞いてみよう。」

と、杉ちゃんは、何か考えるように言った。

「そうだけど、影浦先生も、個人情報だからと言って教えてくれないんじゃないのかな。」

と蘭は言ったが、ここが杉ちゃんのすごいところ。思い立ったらすぐに実行してしまうのである。杉ちゃんは、手芸屋さんにお金を払うと、蘭に影浦医院へ車を出してくれと頼んだ。蘭は、杉ちゃんの場合は言う通りにしないと絶対引き下がらないので、その通りにした。二人は、手芸屋さんを後にして、影浦医院に向かう。

影浦医院につくと、入り口のところで、何人かの入院患者が看護師と一緒に話をしていた。これができる人は、割と軽症である人たちである。重症な人は、病棟の中にいることが多いから。杉ちゃんと蘭は、一寸失礼と言って、受付に向かった。

「あの、すみません。一寸人を探しているんだけどねえ。洋裁師の渡辺真理奈という女性を知らないかな?」

杉ちゃんのいうことは、本当に何も飾りがない。すぐに本題を話し出す。おはようございますもないし、こんにちはとも挨拶もしない。受付は、変な顔をして、

「何を言っているんですか。患者さんのことは、お教えできませんよ。プライバシーにかかわる事ですから。」

というのであるが、すぐそばで話を聞いていた入院患者の一人が、杉ちゃんにこんなことを言った。

「あの、渡辺真理奈さんなら、三階にいるよ。確か、自殺未遂をして。」

すぐに看護師がそれ以上話しちゃダメといったが、杉ちゃんの記憶力は抜群だ。すぐに受付を無視して、エレベーターのほうへ向かってしまう。蘭は、申し訳ありませんと言って、杉ちゃんちょっと待てと彼を追いかけるが、蘭の話など聞かなくなってしまうのが杉ちゃんであった。

二人は、エレベーターに乗って、三階に向かった。しかし、三階は閉鎖病棟になっていて、一般の人は入れない仕組みになっている。やっぱり駄目かと蘭が言いかけると、影浦が、病棟から出てきたので、杉ちゃんは、急いで影浦に詰め寄る。

「あのさ、影浦先生、渡辺真理奈という女優みたいな名前の患者さんはいないかな?」

影浦も、杉ちゃんに言われて多少驚いたような顔をしていたが、なにがあったのか、大体読み取ってっくれたらしい。杉ちゃんの声掛けに、こう答えてくれた。

「ええ、おりますよ。彼女に何か用があるのでしょうか?」

「おう、実は彼女に、マオカラースーツを仕立ててほしいという人が居るので、それを頼みたいんだよ。」

「そうですか。確かに彼女は、洋裁師として、いろんなものを作っておりましたね。でも、針は自傷の恐れがあるから、あまり話題にさせないほうが良いのではないかと思いましてね。」

影浦は、医者らしくそういうことを言うのであるが、

「いや、それはどうかな。仕事から遠ざけちまったら、余計に自分は必要ないんだって思っちまうんじゃないのかな。それよりも、仕事を与えてやってさ、自分は必要な存在だってことを、知らせてやった方が良いと思う。そうじゃないと、依頼したやつがかわいそうだろう?だから、彼女に会わせてもらえないだろうか。」

と、杉ちゃんは要求を押し通すのであった。そういう容赦しないでなんでも言ってしまえるのは杉ちゃんだけであった。

「そういうわけだから、頼む。依頼した、星和高校の新入生の気持ちも考えてやってくれ。あそこで、もう一回人生をやり直そうとしているやつがいる。そいつは、入試を受けるのをすごい楽しみにしているって感じだった。だから、お願いしてくれないか。彼の気持ちを考えてやるためにさ。」

「そうですか。彼女に聞かせてやれたら、きっと喜ぶでしょうね。」

「だろ?だから彼女に、もう一回洋裁をやってもらいたいと思うわけ。其れでお願いしたいんだよ。だから、お願いさせてもらえないか。」

杉ちゃんと影浦がそういうことを話していると、看護師に連れられて、一人の女性がやってきた。普通のひとから見たら、信じられないほど太っていて、とても洋裁師という感じではなく、顔もぼんやりしているような、そういう感じのひとだけど、蘭もどこか面影のある顔をしている。彼女であることは、腕にある、雪輪模様を見てすぐにわかった。其れは蘭が入れたものだからだ。

「お前さんだね、実は、お前さんに頼みたいことが在る。」

杉ちゃんの二倍くらいはありそうな顔をした彼女は、何ですかという顔で杉ちゃんの方を見た。もう何回も、彼女は精神安定剤とか、そういうものを飲んでいるのだろう。それで、平穏の代わりに、そういう容姿になったと思われる。

「お前さん、もう一回洋裁師としてやってくれないか。実は、こういうやつがいてな。」

と、杉ちゃんは、川村久さんのことを説明し始めた。彼女はその話を聞かないだろうなと影浦先生は思っていたようだが、杉ちゃんの予想は当たったようで、彼女はすぐに洋裁師の顔になり、杉ちゃんの話を聞いている。

「やれやれ、入試がこんなふうにたのしめるものになるのか。」

と、蘭は大きなため息をついて、改めて時代が変わったなと思ったのであった。

同時に、病院の外ではハラハラと小さな白いものが降ってきた。寒い冬が、本格的に始まったのである。

杉ちゃんたちは、まだ、マオカラースーツの話しをしている。其れを見て蘭は、こういうことがあったと、マークさんにお返事として書いてもいいなと思ったのだった。




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雪待ちの人 増田朋美 @masubuchi4996

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