サマータイム・ライフ

不思議の国のルイス

サマータイム・ライフ

──アタシがずっと前から思っている事を話そうか。


「ご主人様、珈琲が入ったわよ」


「わあ、ありがとう! シエル!」


 両親を早くに亡くし、生きてる間には使いきれない財産とただ一人のメイドを残されたアタシの主人は静かに暮らしていた。


 主人であるスカイ様は朝に弱く、いつも朝食時にはうとうとしているのでコーヒーに牛乳とハチミツを混ぜたハニーラテを差し出す。


 寝ぼけたままのご主人様がちびちびと飲むのを確認し、手元の懐中時計を確認する。

 

 次は朝ごはんの時間だ。


「おはよう! シエル」


「おはようございます、ご主人様。さっさと食べてください、片付かないので」


 私の日々はいつも同じだ。


 日が昇る前に起き、お寝坊なご主人様を起こして、朝食を食べさせる。

 ご主人様は割と偏食なので偏らないように毎日考えるのは大変だ。


 エプロンを身に着けながらアタシは冷蔵庫から卵とミルク、そしてチーズを取り出して、残り物のコンソメスープに茹でたブロッコリーを加えてやる。


 ブロッコリーがやたらと多く茹でてあったことに若干疑問を覚えるが、すぐさま次の工程に取り掛かる。


 刻んだニンジンも忘れずに入れてやると塩で味を整える。

 最後に少しだけ生姜を加えてやるとそれだけで風邪の予防になる。


「「いただきます」」


 準備をした朝食の前で、手を合わせて、挨拶をし、本日のスカイ様がこなさなければならない日程を説明していく。


「最後に殿下から、いつものように仕入れをと。最近また狙われたらしいので」


「わかった。すぐに取り掛かるよ。ところで今日、シエルって空いてる?」


 アタシはこなさなければならない日程を頭の中で広げて、昼後なら空いてる事を伝える。


「ならさ、少し街に出ない? 必要な材料があるんだけど、付き合ってよ」


「分かりました。スカイ様。ですが、まずは掃除と昼ご飯の準備をさせていただけますか?」


 懐中時計を確認して、掃除と今日の昼ご飯は何にしようかと考えながら、スカイ様の発言に頷いたのだった。


 屋敷内の掃除を行う。


 そんな中でこそこそと階段を降りて、地下室に向かうご主人様を見かけた。


「ご主人様? また語学をおサボりですか?」


「ち、違うんだ、シエル! これはだね。気分転換としてさ………」


「それではご主人様。これは何とお読みに?」


「ば、馬鹿にするなよ! 簡単じゃないか!」


 私は『same a time』と書いた紙を見せれば、ご主人様は自信満々に


「サマータイムでしょ!!」


 間違った答えを仰られたので、その空っぽの頭を引っ叩いてやる。

 痛っ!と声を上げて頭を抱えるご主人様に、私は呆れてため息をつく。


「セイム ア タイム。『同じ時』って意味よ。覚えておきなさい」


「セイムアタイムね………無理そう。でも、意味は覚えたよ! 君とサマータイムを生きたい!とかね」


「あっそう。じゃあ、今度からはしっかり言うことね。後、昼までに勉強してなかったら昼は抜きだから」


「そんな、シエル! 後生だよ!」


 喚くご主人様を後にして、私は懐中時計を確認して昼ご飯の準備をする。


 今日のお昼はパスタだ。


「最近、昼飯食えなくなったな」


「………朝起きるのが遅いからでしょうが。年寄りみたいな事を言わないで」


 掃除を終えて、昼ご飯を食べた後は街に出る。街に出ると旦那様はアタシの手をいつも握り締める。


「昔を思い出すよ。子供の頃、キミにこうやって手を繋がれた頃を」


「今でも覚えいますよ。旦那様は昔から手のかかる子で、目を離すとすぐにどこかにいってしまいますから」


「失礼な。今では立派な男、だろ?」


「さあ、アタシからすれば旦那様はいつまでも変わらない子供にしか見えませんよ」


 旦那様はとても立派になられたと思う。


 幼少期の頃なんて、アタシの膝までしかなかったはずなのに、今ではアタシの背なんて優に越しているくらいだ。


 顔つきもあどけない泣き虫だったのに、優しさが残る顔立ちはそのままに、目鼻立ちがすっきりして男らしい顔になった。


 殿下直属の依頼を受けて、製品を作ってる時の真剣な顔つきはアタシでさえも見惚れてしまう程に。


 体つきも重いものを運んだりしてるせいか、がっしりとしているし、もう力では敵わない。


 げ、現に昨日の夜もベッドに押し倒されて………あんなにたくましい腕で抱かれて………


「って何を考えてんのよ、アタシは!」


「うん? どうかした? シエル?」


「何でもないわよ! 旦那様!」


 気を紛らわすために夕食の献立を考える。懐中時計を確認すれば、もうすぐお客人がいらっしゃる頃だ。


「旦那様。本日の夕飯は何にしますか?」


「うーむ、胃に優しい料理がいいかな?」


「おっさんですか、全く。ではシチューはどうでしょう? 寒いこれからの季節にぴったりでは?」


 体だけは立派に成長しても、性根はやはり変わらないらしい。


 こうして晩ご飯の献立にいつも、ご主人様は昔からずっと子供みたいに悩むのだ。


「………決めたよ、今日はシチューにしようか」


「はいはい、じゃあこれとこれください」


「あいよ! いやー、いつ見てもお嬢さんは綺麗だからおじさん奮発しちゃったよ!」


「はいはい、ありがとう」


 おじさんのお世辞を適当に聞き逃し、ご主人様の手を取ってその場を後にする。

 急に手を引かれたご主人様はなんだか懐かしむようにその手を握り返した。


「………いつまでも君と一緒にいたいなぁ」


 ぼんやりと漏らした声が夕闇に消えていく中で、私は懐中時計を取り出す。


 規則正しく音を鳴らすその時計は、晩ご飯の時間を指し示していた。


「ご馳走様」


「旦那様? まだ残ってるわよ。残さず食べなさいってば」


「何だか、今日はあまり食欲なくてね………」


 そして2人きりの夕食を済ませた後、旦那様は入浴をする。

 私も旦那様の妻として、共に浴室に入る。


「はー、1日の疲れがとれる〜」


「じじくさいわよ。旦那様。ほら、座って。背中流してあげるから」


 彼の手を取り、滑る床で転ばないように支える。支えた手に力が入っていない。もしかしたら、体調があまり良くないのかもしれない。


「最近大変だよ。弟子達は好き勝手にやるし、殿下の無茶振りも日に日に増してきてるからね………」


「無茶振りというか、王宮に来ないか?って誘いでしょうが。別に行ってもいいのよ?」


「それはイヤだ。俺はキミと過ごしたこの屋敷が好きだからね」


「………本当、強情ね。バーカ」


 旦那様の大きく、枯れ細った背中に顔を預ける。きっと体が熱いのはのぼせたからで、断じて嬉しさや気恥ずかしさから来るものではないはずだ。


 旦那様にはそんな話を言えないけど。


「旦那様、私は先に出て、大好きなハニーラテを入れておきますね」


 脱衣所に置かれた懐中時計を確認し、旦那様の就寝時間が迫っている事を知る。


 つまり、今日も終わりを迎える。


「………お体が冷えるわよ、ご主人様」


「………すまない」


 風呂から上がった彼に毛布をかけてあげて、ベッド脇に珈琲を運ぶ。

 彼は子供舌だから、はちみつと牛乳が入ったラテを良く好んだ。


 何度も作ったそれをご主人様が眠るベッドのカウンターに置き、私も椅子を持って隣に座る。


「ご主人様、珈琲が入ったわよ」 


「………おお、ありがとう」


 ご主人様はその珈琲を一口口に含むと、震える手でアタシに返した。


「………すまない、シエル」


「いいのよご主人様。無理をしないで」


 差し出された手には既に無数のシワが刻まれており、彼が長い年月をかけて、生きてきたその証が刻まれていた。


「今でも昔のように思い出すんだ。もうこの体は言うことを聞かないが、キミと過ごした日々を」


「何を言ってんのよ、ご主人様。らしくもない」


「………シエル、聞いてくれ」


「嫌よ、絶対に聞かないわ。ご主人様でも──」


「………シエル、俺はキミの所有権を」


「──嫌だって言ってんでしょうが!!」


 アタシの怒声にご主人様はアタシの手を掴んだ。シワだらけの主人と違い、アタシの手はいつまでも美しい手のままだった。


 ──アタシだけがご主人とは違う時を生きていた証だった。





最近、昔を思い出す。

初めて彼女に出会ったその時を。


 幼少期の頃、事故で両親を失った私は唯一残ってくれた使用人に万が一の時の遺言書を渡されたのだ。


『スカイへ。もし、私たちが死んだならば、地下にある鍵のついた部屋を開けなさい。そこには"貴方が生きてる間には使いきれない財産"が眠っているわ。貴方の未来に幸せがある事を………』


 手紙に同封されていた鍵を持ち、地下室の扉を開けた先に──俺は目を奪われた。


 その存在は腰まである長い、星を編んだような銀髪をまとめ、フリルをあしらった古式蒼然の従者の衣装を着ていた。


 彫りの深い秀麗の顔立ちには澄み渡る青氷の瞳には意思がなく、心がそこにないように思えた。


「………人形?」


 代々自分達一族は人形師として家系を繋いできた。時に有力者達の影武者を作り、時に労働用の人形を作るなど発展してきたのだ。


 この人形もきっと同じ類なのだろう。ただその完成度からして、恐らくは自分達の先祖が作り出したものかもしれない。


 俺はその人形の頬に手を伸ばす。すると凍てつくような氷の瞳が俺を射抜いた。

 慌てて手を引っ込めようとしたが、時すでに遅く、人形に掴まれてしまう。


『主 命令 守護 否 認証 把握 子孫 起動完了──おはようございます、新たなご主人様』


 目まぐるしく、述べられた言葉に反応も出来ず、恐らくは初期の起動準備が完了した事を示す言葉を聞いてただ頷く。


『私はNo.0。貴方の先祖が生み出した全ての人形の始祖である古代の人形です。貴方は私に何を望みますか?』


人形は由緒正しい雰囲気を出しながらも冷たい空気を纏わせて、俺に聞いてきた。


『地位がお望みでしたら、手頃な国王の首を取り、人形とすげ替えて正しい手順で貴方に地位と権力を与えましょう』


「………そんなものはいらない」


『ならば、名誉ですか? でしたら、私の古代の知識を本にして差し上げます。貴方はそれを世に出せば歴史を変えたものとして生涯名前が残るでしょう』


「……それもいらない」


『富はいかがですか? 私を構成する部品は現代では変えが効かないものばかり。売れば孫の代まで遊んで暮らせますよ?』


「…いらない」


『なら、女ですか? 幸い、私は一通りの性知識を──』


「そんなもの、全部いらない!!」


 あの時の俺は本当にいっぱいいっぱいだった。大好きな家族全てを亡くして、世界が壊れたかのようにも思えた。


 だから、俺はを望んだ。


『ならば──貴方は何を私に望みますか?』


 人形が俺に向けて手を差し出す。

 俺はその手を取り、願いを口にした。


「僕を………ひとりにしないで」


 それが全ての──奇妙な君との物語の始まりだった。





「キミは俺の両親から送られた最後の人形だ。こんな爺さんになった俺に尽くさなくても………」


 主人の言う通りだった。アタシはご主人の先祖に作られた人形だった。子孫が寂しくないように、何かあった時の為にと残された人形だった。


「嫌、嫌よ、絶対に嫌! アンタはアタシに言ったじゃない! アタシに家族になってほしいって!! ひとりにしないでって!」


 だから、私はその願いを叶える為にご主人様に支えた。

 いつからか自分の中に生まれたノイズが、今までの私を壊しても。


 少年の頃は姉として、青年の頃は嫁として、壮年の頃は妻として、老年の頃は──メイドだとしても。


 その生き方に後悔など何一つなかったのだ。


「アタシは………貴方に色々なものを貰った。悠久の時を経ても返しきれないほどに!!」 


「………シエル」


「………お願いです。ご主人様。どうか、どうか最期まで貴方のそばにいさせて下さい」


 もう力の入らないその手を優しく握り返す。アタシには温度がないけれど、涙すら流せないけど、彼から感じるその手はいつまでも変わらずに暖かった。


「ご主人様──サマータイム」


 万感の思いを込めた私の言葉に、彼はゆっくりと瞑目すると、アタシの手をかつてのように強く握り返した。


「──サマータイム」


 そのまま彼はベッドに体を沈める。

 ただ握り締めた手は離さなかった。





『ご主人様。こちらは?』


『君は今日から家族でしょう? 家族は誕生日を祝うものだよ』


 幼少期の頃に貰った贈り物のその時計は今なお、私に時間を教えてくれる。

 

 チクタク、チクタクと規則正しく、揺るがずに。ただ過ぎていく時間を教えてくれた。

 

 時は止まってくれない。

 時は戻ってもくれない。


 私は周りから力を吸い上げて半永久的に起動し続ける。

 ご主人様が生きてる間には絶対に機能を停止しないほどに。


"財産"だった私はいつからか、あの人に多くの"財産"を残されていた。

 あの人は私に与えられ続けていたのだ。


 そんな彼にアタシがずっと前から思っている事、それは──


「──サマータイム」


 ──貴方と同じ時を生きていたかった。


 誰も居なくなってしまった屋敷にある主人のお墓に手を合わせて、空を見上げる。

 泣きたくなるくらいの青空はあの日からずっと変わっていなかった。


『──今日から君の名前はシエルだ。君の透き通るような瞳から取った。どうかな?』


『──はい、とても素敵な名前かと』


 あの人と過ごした日々が私の脳を埋め尽くす。色あせる事なく、いつまでもセピア色に輝くその宝物な日々を。


「──ご主人様、貴方を永遠に愛しています」


 あの人が私につけてくれた美しい青空にアタシはただ、涙を流すのだった。

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