第一章 不良令嬢 爆誕

第1話 アンナとメアリ

 違和感は突然訪れた。


 突然脳みそをグシャグシャに掻き回されたかと思えば、次の瞬間には見たこともない場所で、見たこともない人々に囲まれている。

 否、。この学園の事。取り巻きの女たちの事や、目の前で涙を浮かべるエリザの事。

 そして何より、この現状を生み出したクソッタレな女メアリ・スカーレットの事も。


 いったい何がどうなっている……?

 私はメアリ・スカーレットではない。理屈云々ではなく、私の魂がメアリ・スカーレットという自己を否定している。


「私は、……?」

 そうだ、私はアンナだ。生まれも育ちも日本で、たしか高校生……のはず。あんまり学校に行っていなかった気もするけれど。

 アスファルトで舗装された通学路や、着慣れた高校の制服。真っ赤な夕日と、一人の少女の姿。この世界ではない、どこか遠い場所。

 夢想のような記憶の数々。けれど、何故だかこの記憶が自分のものであるという自信だけは揺るがない。

 死んだ覚えはない、それだけははっきりしている。という事は前世の記憶が突然甦ったというわけでもないのだろう。

 不思議な感覚だ。これまで当たり前だったメアリという人間の人生を何故だか遠い他人のように感じ、たった今甦ったばかりのアンナという人間の記憶のほうが妙にしっくりとくるのだから。


「あの、メアリ様?大丈夫ですか……?」

 声を掛けてきたのはエリザだった。つい先ほど自身を貶めると宣言した相手を、それでも彼女は気遣えるのだ。なんて心の清らかな子なのだろう。

 

エリザ・グレイシア。平民ながら並外れた魔力量を持ちグレイシア家に引き取られた彼女は、その優れた才能と人を惹きつける魅力を持ち合わせた存在だった。


 突如学園に現れた自分以外の「特別な存在」に、メアリわたしは嫉妬していたのかも。

 今この瞬間にアンナわたしが目覚めたのには何か意味があるのかもしれない。

 それにはきっと、メアリわたしのこれまでの悪行を償うことだって含まれているはず。

 まずは彼女に謝罪をしよう。しっかりと頭を下げて、これまでの行いを償わないと。

 彼女の地位も、私の地位も関係ない。一人の人間として道を踏み違えた罰を受けよう。

 

「エリザ……」

 名前を呼ばれて、彼女はほんの僅かにその肩を震わせた。怯えているのだろう、これまでの仕打ちを考えれば当然だ。

 「今までの事を、謝らなければなりませんわね」

 周囲からどよめきが起こる。これもまた当然だ。あの傍若無人なメアリが、よりにもよって自身が散々虚仮にしてきたエリザに頭を下げようというのだから。

「今まで本当に、ごめんなさいね」

 こんな言葉で、いったい何が変わるだろうか。私が彼女に与えてきた苦痛が消えて無くなるわけでもないのに。

 所詮は自己満足だと私だって分かっている。それでも、もしほんの僅かでも彼女の救いになれば――


「本当に、本当に申し訳なかったと思うわ。だって


 思考が停止する。私は何を言っている?


「だってそうよね。普通の精神だったら恥ずかしくて通えないものね。大丈夫、貴女はよく頑張ったわ」


 違う、こんな事を言いたいんじゃない!

「そんなに瞼を腫らして、もう我慢しなくていいのよ。犬のようにキャンキャン鳴いても誰も責めはしないわ」


 これは、アンナわたしの言葉じゃない。これは――


『人の体で勝手なことをしないでくれるかしら』

 メアリ・スカーレット、もう一人の私。彼女の意思が、私の意図せぬ言葉を発していた。

『人聞きの悪いことを言うのね。元々この体は私のものよ。人に憑りつく悪魔にはさっさと出て行ってもらいたいものだわ』

 私だって、こんなクソみたいなご令嬢と相席なんてしたくはない。それに、そもそも私は悪魔じゃない。

『悪魔じゃなければ寄生虫かしら。メアリ・スカーレットでは無いというならさっさと出ていくのが筋でしょう』

 出ていけるならとっくにそうしてる。それに、仮にも私だった人間の罪を償ってからでないと、それこそ筋が通らない。

『罪だなんて酷い言い様ね。犬を犬といって何がいけないのかしら』

 黙れ外道め。なんの過失もないエリゼを傷つけておきながら、それを嘲るお前や、その取り巻きの女たちや、見て見ぬふりをする周囲の人間も全員同罪だ。みんなまとめてぶん殴ってやる。

『ふふ、怖いわね。けれど、貴女にいったい何が出来るのかしら?お喋り一つ出来ない寄生虫のくせに』


 たしかに、アンナわたしの意思で何秒もこの体を扱うことは出来ない。


 けれど、


『――は?』


 瞬間、右の頬に鋭い痛みが走る。視界が歪み、脳が震える。シミ一つない綺麗な頬にめり込むのは自分自身の拳だ。

 エリゼには幾らか劣っていても、メアリの持つ魔力量は並外れている。その全てを込めた拳を受ければ自分を殴り飛ばした。


 薄れゆく意識。どよめきは悲鳴に代わり、取り巻きの女が何人か気絶しているのが見える。

 いい気味だ、これで少しはエリゼの気も晴れるだろうか。


 一縷の期待を込めて、視界の隅で動けずにいる彼女に目を向ける。その表情は何かを嘆くような、悲しいものだった。


『貴女、イカレてましてよ……』

 心の中で中指を突き上げ、アンナわたしメアリわたしに言い放つ。

「ざまぁ見やがれクソババア」





 再び目を覚ますと、そこは自室のベッドだった。自室といってもメアリの自室だが。

『よくもやってくれましたわね。あれだけの群衆の前で自分の頬をはたいて気絶など、学内でうわさが広まったらどうしてくれますの!?もしもお父様の耳にでも入ろうものなら……考えるだけで恐ろしい!』

 メアリあなたが今までエリザのうわさを、ある事ない事言い触らしてきたツケだと思って受け入れればいいでしょ。

『あんな平民風情と一緒にしないで下さいます?それより貴女はいつまで私の中にいるつもりなのかしら?さっさと退散しなければ退魔呪文の使い手を呼びますわよ』


 退魔呪文といえば悪魔憑きや狼憑きに対する特効薬のようなもの。確かに私がメアリの体に憑依しているのだとしたら、退魔呪文で元の世界に帰れるかもしれない。

 いいね、一回試してみよう。

『言いましたわね。貴女が灰になって消えていくのが今から楽しみですわ』

 

メアリがメイドを呼ぼうと起き上がる。当然と言えば当然か、どうやら体の主導権は彼女にあるらしい。

「すぐに退魔呪文の使い手を寄越して。スカーレット家の大切な一人娘から急を要する依頼だと。それと、くれぐれもこの件が外部に漏れることのないように注意なさい」


エリザへの謝罪もまだだと言うのに自分の事ばかり。この女は救いようがないのかもしれない。

『聞こえてますわよ。相変わらず平民相手にそこまでこだわって、貴女の方こそどうかしてるわね』


 彼女は急かすようにメイドを送り出す。しかし、どうしたことか送り出したメイドは幾分もせずに戻ってきたようで。

「何をしてますの、さっさと行ってらっしゃいな」

 苛立ちを見せるメアリに一枚の手紙を差し出すメイド。その表情はどこか申し訳なさそうな様子に見える。


「その、こちらお父様からの手紙です。お嬢様が目覚められましたら直ぐに目を通すように言い使っておりまして……」

 高価そうな便せんに、これまた一目で価値の高いものだと分かる用紙には、達筆な文字でただ一文、学園での一件で話があるので直ぐに会いに来るように、と記されていた。


『もうおしまいですわ……』

メアリのこんな声を聞いたのは後にも先にもこの時だけだったと思う。

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私と彼女は悪役令嬢 いづみしき @iZUMiSHiKi

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