転がる石

水野耕助

第1話

昔か今かあそこかどこかに、転がり続ける石があった。

その石は、止まることなくずうーっと転がっているので、苔も生えません。

そして、前進し続ける彼の姿を見て、なんて前向きで力強い石なのだ。素晴らしい。皆がそう、口々に讃えました。


「おい、君!今日もやっとるねえ!」

「我が道をゆく、だね!」

「ほんと、見ていて気持ちがいいよお!」

「いけいけー!」

「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


皆の期待を一身に受け、彼は今日も、ゴロゴロと転がっていた。

「いいぞぉーー!」

しかし、周囲の期待と、賞賛とは裏腹に、彼は、強いジレンマを抱えていた。

彼は、前向きな思いを持って、転がっていたわけではなく、そう、ただ、止まりたくても止まれないだけだったのだ。

だからいつも、彼は、曇りがちな表情をしていたのだが、ずうーっと転がっているので、誰もそのことに気づくことはなかった。彼の、わかってもらえないジレンマは、大きく、強く、なるばかりでした。

そして彼は、転がる石という存在でありながら、いつしか、止まりたい。一度立ち止まり、落ち着いた生活をしてみたい。そう、夢見るようになりました。

「ねえ、生い茂る草花さん。君達を、踏みつけ傷つけるなんてこと、したくはないんだよ、本当は。一度立ち止まってちゃんと、謝りたいと思っているんだ。」

しかし彼は、転がる石なので、決して、止まることは出来ません。もし止まってしまったならば、それは、彼にとって、死ぬことと同じだからです。

当然であるが、死ぬことには彼も、躊躇せざるを得ず、夢と現実の狭間で葛藤し、苦悶の表情をうかべ、転がり続けていました。


「いけいけーー!」

「ほんっと、すごいなあ、彼は。」

「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


彼の本当の気持ちは、誰にもわかりません。

そしてそのまま、そのような状況は、長らく続き、5年もの月日が流れた。

相変わらず、転がる石は、止まることなく、道の上。土の上。草花の上を、ゴロゴロと転がっていました。そのスピードは落ちることなく、5年前と同じ速さで。

彼が、それまでと、変わることは、何一つありませんでしたが、そんな彼に対する、皆の反応には、変化がありました。彼に向けられていた期待の目や声援は、時が経つにつれ少なくなっていき、この頃にはもう、転がる石に関心を持つ者は、ほとんどいなくなっていました。

一方的に向けられていた、望まないその、大きな期待や、励ましの声。それは、転がる石にとって、負担でしかなかった。なので、ようやく、彼自身待ち望んだ形と、なるに至ったわけだが、なぜか、曇りがちだった表情は、更に雲行き悪く、今にも降り出さんばかりの空模様だった。そのような変化を、皆が感じ取ることなどあるはずもなく、やがて、誰一人知らぬところで、一粒の涙がぽたりと、落ちた。

まったく不本意な形で受ける、周りからの高い評価、それに対する煩わしい思い。それ以上に、一度注目を集め、その後、見放される孤独感の方が、彼の中で上回ってしまったのだろう。感情というものは不可解なもので、どのように動いていくかは当人にもわかり得ない。

そして、一粒目をきっかけにして、二粒。三粒。次から次へと流れ落ち、その下に茂っていた草花達を、濡らしながら進んでいった。その涙は草花達にとって、まさに、どしゃ降りの雨のようだった。そして、彼が豪雨の後、次に見せた表情は、いかずち。激しい雷鳴の如き、大音量を響かせながら、物凄い速さで転がり始めた。それは、まさに怒り。激しい怒りであった。その、怒りの雷撃は、破壊と共に突き進む。

もはやそこに、草花達を思いやっていた頃のような優しさなど、どこにもなかった。


「ん?なんだあれは。」

「あれは、転がる石のやつじゃあないか?」

「そういやあ、いたなあ。そんなのが。」

「な、なんか、こっちに向かってきていないか。」


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


「おい、なにをしてるんだ。お前―!」

「や、やめろー」

「うわあぁ」

「に、逃げろーー‼︎」


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


転がる石は転がる。一心不乱に。彼の心の中には、ジレンマなどもうどこにもなかった。止まりたくても止まれない。そんな彼はもういない。彼はこの時、人生で最も、転がる石として存在し、そして、転がる石として生きていた。


「ぎゃあー」「うぎゃあー」

「あ、あいつ。やりやがったー」

「ひいっ!殺される」

「た、助けてくれー!」


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


「うわー、こ、こっちに来た」

「や、やべえ!」

「なにやってんだ、てめえ」「どきやがれ!どんくせえ野郎め」

「おらっ、邪魔してんじゃねえよ‼︎」


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


転がりながら、怒りにとらわれながらも、周囲を観察するような冷静さが、不思議と彼の中には残っていた。

そして、我先にと逃げ回る皆の姿。人の心の奥底にある醜さを目の当たりにし、転がる石の怒りはますます増大していく。怒りが頂点に達し、行き着いたその先で、ある恐ろしい考えが彼の中で生まれつつあった。


「ううぅぅ」「うあぁぁ」「・・・た、助けてくれえ」

「痛ってえ」「ち、ちくしょう、あの野郎。」

「おいおい、」「あいつが向かってる方・・、ま、まさか。」

「おい!やめろー‼︎」


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


今まで、決して立ち入ることのなかった、皆の住む家々が立ち並ぶ村の方へ、転がる石は躊躇することなく、進入していった。


『バキバキッ』『ドォーーン』

『うぎゃあぁー』『うわあぁぁぁぁ』

『ドンッ』『ドンッ』『ガンッ』『ゴンッ』

『きゃああぁーー』『ひいぃぃ』『うえぇーんっ』『ぎゃああぁぁぁぁ』

『ドッ、ガアァァーーーーーン』

『・・・・ううぅ』『・・・んん・・ぐ、ぐふぅ』

『ドガドゴバギッ』『ドォォーン』『バァァーン』

『・・・・・・・・・・・・・・・』


転がる石は、進む。破壊と共に。

骨の軋む音。

木材が砕けるニオイ。

血と草花が混ざり合う色。

家屋の残骸を照らす月明かり。


それらの破壊を生み出している、当の本人も、やはりタダでは済まない。石とはいうが、直径1.5メートルはあろうかという大きな石。そう、まさに岩である。そんなものが高速でぶつかってくるのだから、人間などひとたまりもない。

そして、転がり続けるその岩も、自らの破壊行為により、体は削られ、ボロボロになっていた。しかし、何度も意識が飛びそうになりながらも、決して止まろうとはしない。

その時、彼が頭の中描いていた光景は、非常に恐ろしいものであったが、彼にとっては、生まれて初めて抱いた夢だった。夢に向かって、彼は進む。破壊と共に。


『うぎゃあぁー』

『ドガドゴバギッ』


転がる石は、やがて、村にあるすべての建物を破壊し尽くし、そして、そこにいる村人のほとんどが、血と涙、絶望にまみれ、倒れ込んでいた。辺りには、痛みで悶え苦しむ者。すでに生き絶えた者。恐ろしい光景が広がっていた。

夢にまで見たその光景を、眺めることもなく、転がる石は、もう半分も削られてしまったであろう、満身創痍のその体を、それでも、止めることなく進む。

彼にはまだ、最後にやるべきことが残っていたのだ。

彼が最後に向かう地は、村の南端にあった。村人皆が、村の守り神として崇めていた、木彫りの巨大な仏像。その守り神が祀られている、大きな洞へと向かう。


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー」


目標を遂げる為。夢を叶える為。すっかり小さくなってしまった体で、一心不乱に突き進む。

その大きな祠にはまだ遠く、血や吐瀉物を撒き散らしながら、なお進む。

行く手を阻む、急斜面、荒れ果てた野道。川や大木。その道中も、傷つき、削られていくその身。それでも怯むことはない。彼は破壊の神となり、村の守り神として崇め祀られる、その仏像が、待ち受ける祠へと、ただただ進む。

そして、ようやく大きな祠が見えてきたころ、その体はボロボロで、無残な姿となっていた。

しかし、眼前に目標が現れたことで、気持ちが定まったのか、力を振り絞る。転がる石は、そこから更に加速していく。


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴローー」


そして、巨大な仏像と転がる石が、ついに激突しようとしていた。

ものすごい勢いで、転がりぶつかっていく破壊の神。

待ち受ける仏像。

向かってくる破壊神に対し、仏の一撃が放たれる。

相見える両者。

「ドガガーーン‼︎」

その一撃は、転がる石の左肩辺りをえぐる。

しかし、仏像の右腕もただでは済まない。

右腕が使えなくなった仏像は、次の攻撃に備え、左の拳を強く握り込む。

更に削られ、小さくなるその体。もはや、転がる石に残されたのはあと一度の攻撃のみ。

次のアタックにすべての力を込める。更に加速していく。あまりの速さにより、その摩擦で体から炎がふきだした。思いもよらぬ形で、進化をみせる。炎に包まれたことで、増した攻撃力。土壇場での新形態で、仏像に最後の攻撃を仕掛ける。

そして・・・。

仏の、崇高なる一撃が、心臓辺りを貫いた。

転がる石の体が、砕け散っていく。そのまま、崩れ落ちていくかと思われたその体。

しかし、転がる石はこれを狙っていたのだ。砕け散るその身の一部を、火炎弾のように、仏像の心臓を狙いすまし発射した。捨て身の一撃だった。

「シュパーーンッ」

その一撃は、大仏の脳天をえぐり、そして、そのまま貫いていった。

崩れ落ちる村の守り神。それはまさに、その村の終わりを象徴していた。

そして、同じように、バラバラになった、転がる石の体が、ぼとぼとと地面に落ちていった。

憎むべき村人達の体を、傷みつけるだけでなく、心の拠り所、精神的支柱となっていた巨大な仏像を破壊し、皆のすべてを奪ってやろう、彼は最後に、そう考えたのだった。

そして、その計画を見事やり遂げ、生まれて初めて、胸に抱いた、夢を遂げたのだ。

辺り一面血の海と化し、その場所に立っている者は、唯の一人もいなかった。

転がる石は夢を叶え、その体はほとんど原型もなく粉々になっていた。しかし、顔の一部は形を残し、その表情ははっきりと見てとれた。

死と引き換えに、復讐を果たした彼の表情は、最後、雲一つなく、晴れやかな表情をしていた。

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転がる石 水野耕助 @m-kousuke0411

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