おとんの禁煙

ロム猫

第1話

「おはようさん」


「おはようさん、おとん」


「はあー」


「なんや、おとん。朝から大きなため息吐いて」


「吸いたいんや……」


「吸いたいってあれか? タバ……」


「ストーップ! それ以上その名前を語ったら、わし、吸うたるからな! 吸うてやる! あー吸うてやるともさ!」


「そういえばおまえ禁煙始めとったな」


「そうや、禁煙二日目や。大事な山場を迎えとんねん。ここを乗り越えられるかどうかが重要なんや」


「山場近いな。ふもとに住んでんのか」


「やかましわ。とにかく真美、おまえしばらく言葉に気いつけえや。わし今、多感な時期なんやからな」


「思春期かいな。わかったわかった。とにかくNGワードを言わなければええんやな、例えばタバ……」


「ちょっーーーと待ったーーー!」


「すまんすまん、それが禁止やったんやな」


「あかんゆうてる矢先やろ! 矢先過ぎるやろ! おまえはアホか! アホの子かいな!」


「いかにも。アホの子やな、おとん」


「くっ! まったく高校生になっても口の減らんやっちゃ。まあええわ。めしや、めしにするで。今日の朝めしはなんや? なんでもええから早よ持ってこんかい!」


「なんや、カリカリして感じ悪る。そら、おかんも愛想尽かして出て行くわ……」


「なんかいうたか」


「別に、何でもないわ。それよりおとん、ご飯と味噌汁があんねんけど、おかずは何がええ? 納豆か? それともたまごでも吸うか?」


「ちょっーーーと待ったーーー! 何やねん! 卵を吸うって! 目玉焼きとか生卵のことなら分かるけど何やねん! 卵を吸うって!」


「いや、たまにはそういうのもええかなって。こう、たまごにストローさしてな、ちゅーちゅー吸うたるねん」


「おまえ絶対わざとやろ! 何やねん、ストローでちゅーちゅーって、朝からグロいわ! そんでおまえさっきから『たまご』のイントネーションが『アナゴ』みたいになっとるからな!」


「すまんすまん、ちょっとからかってみただけや。しかしホンマに多感なお年頃なんやな。言葉ひとつにえらい敏感やんか。禁煙ってそんなつらいもんなんか?」


「つらいっちゃーつらい」


「タモさんかいな。なんやおまえ。じつは余裕あるやろ」


「余裕なんかあるかいな。あっ。余裕なんかアルカイーダや」


「おまえ、その『思い付いたらとりあえず言ってみる』って癖のほうを我慢してくれんか、どっちかというと」


「ほっとけや」


「禁煙なんて、ただ吸ってなかったあの頃にもどるだけやんか」


「そやかてなあ、真美よ。まあ聞けや。おまえ、タバ…、やない、なんや、あいつとの付き合いも長いんや。人生のな、ていうか一日のな、区切り区切りにあいつは側にいたんや。朝起きたらおはようさんって吸うてな。仕事終わったらお疲れさん、って吸うてな。そんな存在がある日を境に急に無くなるんやで? そらおまえつらいに決まっとるやんか」


「おまえ、おかんで経験済みやんか」


「くっ! また酷いこというて。美智子とはなあ、末期には『おつかれさん』の言葉もなかったんや。ただひと言、『思い付いたらとりあえず言ってみるその癖、直したほうがいいですよ』って残してあいつは出ていきよったんや」


「おまえ、治っとらんやんけ」


「ほっといてや。わしはわしのままでいたいんや。そのままのわしで、きっとええんや」


「Jpopか。せやけど、おとん。そもそも何でおまえ禁煙なんか始めたんや? 欲望の塊りみたいなんが、らしくないやんか」


「いやな、この間の人間ドッグの結果が思わしくなかったんや、タバ……やない、あれか、酒かどっちかやめたらどうかってな、先生が言いよるからな」


「人間ドッグ……人面犬か……とは突っ込まんどこ。なんや、おとん、どっか悪いんか?」


「肝臓の数値がな、ちょっと悪いみたいやねん。過度の喫煙と過度のツッコミを受ける事は肝臓に悪いねんて。せやから、タバ……やない、喫煙のほうをやめてみよかなと」


「なんや、やらしいわ」


「何やかんやゆうてもな、今わしが倒れるわけにもいかんやんか。真美、おまえの大学の費用もある。将来、ひょっとして美智子が帰ってくることがあるかもわからん。わしの身体はな、わしひとりの物やないんや」


「お? なんや、おとん。えらいええ事いうやんか。ちょっと見直したで」


「せやからな、真美。すまんけどおまえにも協力して欲しいんや。『思い付いたらとりあえず言ってみる』をやめる事と禁煙の両立は正直難しい。なら、健康の方をわしはとりたいんや。うざいのは分かる。が、しばし堪えてくれんか?」


「な、なんや。えらい深刻な思いを吐露して、らしくない。『おまえにとって、思いついたらとりあえず言ってみるってどんだけ重要な位置を占めとんのや!』って突っ込めんくなってしもたやんか。分かったで。禁煙、頑張ってな……その……おおきにな……」


「さ、飯にするで」


「そんならうち、おかずに目玉焼きを作るわ。ハムも付けたるで。おとん、ちょっと待っててな!」


         数日後


「スパァー」


「おい」


「スパァー」


「おい!」


「なんや、真美か。フー。おはようさん。スパァー」


「おまえ、なんや朝から『スパァー』って! 禁煙はどうした? まだ一週間やないか!」


「別に」


「エリカ様か! い、いや仮にエリカ様であってもおかしいで! その返し!」


「タバコをやめるのをやめたったんや。いわば禁禁煙やな。禁煙を禁じているという観点では、わしと禁煙はまだ繋がっとるわな。だからええんや。スパァー」


「なんや? その異次元の屁理屈は! おまえの身体はおまえひとりのものじゃない言うてたやんか! あれはどうなった!」


「せや。わしひとりのものやない。真美と美智子とわしのもんや。せやから、三等分で考えると三日に一度吸ってもええことに気づいたんや。一週間我慢したんやから二日分貯金があることにもなるしな、スパァー」


「ぐっ! なんちゅう屁理屈や! おまえあかんで! そんなん三日に一度で済むはずないやんか! また理屈捏ねてうやむやにするに決まってるやんか!」


「せやな。スパァー」


「なに開き直ってんねん! おとん、もうちょっとや! 一週間頑張れたやんか! 『あと一日だけ』を積み重ねるんや! 頑張りいな!」


「せやな。スパァー。あー、クラクラする」


「おとんのアホー! 知らんからな! もううち、学校行ってくるわ! アホおとん! 死んでまえーーーー!」


「……」


「……スパァー……業の……人間の業の……肯定や……スパァー……」



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