第6話 捕まえるのもお仕事ですか?
こんなに全速力で走るのなんていつぶりだ?
前を猛烈に駆けていく庄野を見失わないよう、追いかけている自分が、とてつもなくアホらしかった。
別に追わなくてもいいのではないか。
なのに、小島は足を止めることができなかった。
三軒茶屋の夜の国道沿いは賑やかだった。人が溢れている。不安定な足取りの酔っ払ったサラリーマンに小島はぶつかり、向こうから歩く人々をよけながら、駆けた。
「小島くーん!」
背後から島尾海の声がした。
レジを頼んだというのに、なんで声が聞こえるんだ。
店はどうするつもりなんだ。ちゃんと店番をしていてくれ。
いかにも緊急事態というふうに店を飛びだしたのだから、もしや、他の連中も追いかけてきているのではないか。嫌な予感しかない。
営業中だっていうのに、店員不在だなんて。そんなことになったら……万引きされ放題ではないか。
誰がついてきているのか、確認すべく振り返りたかった。
だが庄野が見えなくなってしまったら、追いかけてきた意味がない。走り続けるより他ない。
「小島くーん!!」
島尾とは別の声が耳に届いた、吉行だ。
最悪だ。これで遠藤の声がしたなら、爽快堂書店にはいま、従業員ゼロだ。
売れ筋の漫画はあらかた盗まれ、翌日にはネットオークション行きとなるか、近所の中古書店に平積みされてしまうことだろう。
もっと最悪な事態が起こる可能性だってある。レジから金を抜き取られてしまうとか。阿鼻叫喚の地獄絵図……が店に戻ったら勃発しているかもしれない。
小島はぞっとした。
いま目の前で起こっている出来事に大忙しで、暗黒未来予想図を気にしている余裕はない。
遠藤の声、聞こえてくるな、マジで。
小島は息を切らして祈った。
悠長に祈りを捧げている場合ではなかった。とにかく庄野の背中を追わなくては。
彼らはなにもわからないまま、夜の三軒茶屋を全力疾走していた。
あかりが乏しくなっていく。住宅街のほうへと庄野は走っていった。ペースがどんどん早くなっている。こんなに無駄に足が早いなんて、聞いていない。
本屋のバイトは、体力勝負だ。紙の詰まった段ボールは重いし、腰にくる。でもこれは業務に入るのだろうか?
いまの状況が夢であってほしい。そうなら早く目覚めろ、自分! 小島は頬を叩いてみた。見えている景色は、自室の天井に切り替わらなかった。
「ああ、くそっ!」
現実逃避してもしょうがない、これはもう、リアル中のリアルだ。疲れたから足を止めたい。心臓がばくばくいっている。
小島は体育の成績がずっと2だった。マラソン大会だって当日風邪をひこうと企てたり、仮病を使って逃げてきた。自分の鈍臭さとは、生まれてからずっと付きあってきた。
いい加減止まってくれ、庄野さん!
すっかり人通りは少なくなってしまった。暗い公園へと庄野が入っていった。逃げているやつもなんでまたこんなところに。もっと人混みにまぎれるとかすればよかろうに。
自分だったらそうする。
公園に隣接している図書館の返却ポストの前で、庄野が万引き犯の背負っていたリュックに手を伸ばし、掴んだ。
二人は大きな音を立てて倒れこんだ。
庄野のねばり勝ちだ。十代の足に追いつき、しかも捕らえるだなんて。
勢い余って止まることができず、小島はつんのめり、転んだ。
「いってえ……」
なんてことだ。こんなに走ったのは高校の体育の授業以来だった。とっさに身体を横にしたおかげで頭は打たなかったけれど、左腕がやられた。
「小島くん大丈夫!?」
島尾が息を切らして駆け寄ってきた。
「うん……」
痛いけど、いま痛いと主張していいものかわからなかった。
「なんだよこの状況」
吉行も追いついて、へたりこんだ。
「多分、この子、万引き犯?」
さっきまでずっと黙っていた島尾が口をひらいた。冷静だ。
中学生の背負っているアディダスのマークがでかでかとついているリュックを島尾は拾い、チャックをあけようとする。
「ダメだ」
庄野が止めた。
「なんでですか」
「勝手にカバンをあけたらこっちが悪くなる。あくまで自分でやらせる」
未成年だし、慎重に、と庄野が言った。
子供は黙ったままでいた。
「庄野さん、よく万引きしたってわかりましたね。ずっとレジにいたのに」
島尾が息を切らしながら言った。
「店に入ってきたときと比べ、二階から降りてきたとき、リュックが不自然なほど膨れていた」
そんな細かいこと、間違え探しじゃないのだから、普通気づくか?
明らかに庄野の観察力は度を越している。
そして店にやってくる客のことなど興味なさそうにしているのに、庄野はなにもかも見ている。
「なるほど」
吉行は感心していた。もう少しその観察眼の異常さを、不審がるべきだろう。急な運動をしたものだからへんに素直になっている。
「店は?」
小島は、島尾に訊ねた。
「遠藤くんがレジに入っているよ」
とっさにジャンケンして決めた、という。事情がわかってなかったとはいえ、緊張感ゼロだった。
いまの時間めちゃ混むころだし、一人で死にかけてるかもしれない、と島尾は言った。
「吉行くん、帰り途中に遠藤くんになにかお菓子でも買ってあげてください」
庄野が言った。
いつもの庄野に戻ったように見えた。
「どうするんですか、この子……」
吉行が庄野さんに訊ねた。
「店に連れ帰って、自白するまで思いつく限りの拷問をしますよ。最近読んだ本にいいのがありました。一つ一つペンチで爪を剥いでいくのはどうでしょう」
知識は蓄えるだけでなく、実行しなくちゃ意味がありませんから。
ギャグだか本気なんだかわからない。そしてこの場で放つ言葉には黒すぎる。
庄野が小島のほうを向く。
「今日のシフトはきみですから、痛みに暴れる犯人を押さえつける役をやってもらいましょう。剥ぐほうがしたいならそっちでもいいですよ」
庄野は口の片端をあげた。
小島は首を振る。そんな役回り、ごめんだ。
スマホの鳴る音がした。
島尾がスマホを取りだし確認をした。
「あ、遠藤くん」
もしもーし、と島尾が応える。スピーカーに切り替えると、
「なにやってんのみんな! 今日俺シフトじゃないのにさあ!」
と遠藤の声が聞こえた。
「いまレジ?」
島尾が訊ねた。
「そうだよ! さっきまでプレゼント包装だのまとめ買いで全部カバーとか最悪だったんだけど!」
悲痛な叫びが暗い公園に響いた。
「すぐ帰る、ごめん」
島尾は煩わしげに通話を切った。
「レジでスマホいじっているの、阿川にばれたらめちゃ怒られるぞ」
そばでやり取りを聞いていた吉行が言った。
吉行は「レジでスマホをいじっている」常習犯だ。庄野経由で注意されるとしばらくしないが、時間があくと何事もなかったように繰り返す。なので言葉が軽い。
「遠藤くんへのお土産のついでに、爪剥ぎ用のペンチも買ってきてもらっていいですか。レシートくれたらお金は返します」
腕をしっかり掴まれ、項垂れている子供は身動きもしない。刃向かっても無駄だと観念しているのだろう。
「きみたち、日頃からランニングをしたほうがいいですよ。この程度で息があがっていては、なにもできない」
庄野がダメ出しをしてくる。
たしかに庄野は、こんなことになっても、平然としている。化け物か。
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