第7話 尋問したって無駄じゃないですか?
せっかく買ってきたアルフォートのアソートパックに、手をつけようとするものは誰もいなかった。
万引き犯は事務所の椅子で微動だにせず、俯いたままだった。
店員たちに囲まれながら、犯人はなにを訊かれても答えようとしなかった。
島尾を緊急にレジに立たせ、庄野が事務所に入ってきた。手には分厚い雑誌を携えていた。
「なんで庄野さん、そんなの持っているんですか」
吉行が訊ねた。
「なんでこれがこんなに厚いかわかるかい?」
結婚情報誌である。
「広告いっぱい載っているからでしょ」
吉行が言った。
「花嫁が、いうことを聞かない花婿を、角で叩くためにある」
「……面白いっすね」
吉行は、庄野の発言を受け止めきれないらしく、笑って誤魔化した。
「ギャグではない、まごうかたなき事実だ」
一同が黙った。
「カップルで買っていくとき、だいたい男がこの重い雑誌を持ち帰る。つまり、自分を脅かすかもしれない凶器を自ら運ぶということだ。笑えるなあ」
まったく笑いもせず、庄野が言った。
辞書は投げるぶんにはちょうどいいが、接近戦には向かない。誰も聞いていないのに庄野は続ける。
「いつもレジでそんなえげつないこと考えているんすか」
夢に溢れた雑誌を凶器にして脅す。読者並び関係者の皆さんに謝ったほうがよい。
「吉行くんがペンチを買い忘れたから、店にあるもので対処をしなければならなくなった」
「俺のせいっすか」
吉行が顔をしかめた。
買うわけがない。そもそもブラックジョークと捉えていた。
「領収書を持ってきたら、僕が必要経費として処理しました」
そんな使用目的、通せるものなら通してみてほしい。
「店の商品は拷問に使わないほうがいいんじゃないっすかね。血がついたら売り物にならないし」
遠藤が心配そうに言った。容疑者のメンタルよりも商品のほうが大事だ。
小島はなにもコメントできない自分を少し情けなく思った。
事務所の机には本日再入荷となった人気コミックが積まれていた。犯人が盗もうとしたものだった。
「学生証を見せて」
庄野が中学生に言った。
中学生は黙りこくったままだ。
「このままだと、通常業務に支障をきたす。喋る余力がないのなら、警察署でカツ丼を食べて腹を満たしなさい」
そう言って電話の受話器を手にしたときだ。
「学生証見せたら、見逃してくれるんですか」
万引き犯が口をひらいた。もうしませんから、もうこの店絶対きませんから。
一同が注目する。
犯人は庄野を哀願するように見ていた。
「こんなこともう絶対やりません、ごめんなさい」
「最終的に警察には連絡するのは変わらない。店から一歩でも商品を持って言ったなら、それは万引きだ。もしうっかりしたというならまだ考慮の余地もあるが、カバンにこれだけ詰めこんでいたんだ。きみはうっかりの限界にでも挑戦するつもりだったのか。申し開きはできんだろう」
うず高く積まれたコミックの塔のてっぺんを、庄野は指で叩いた。
「庄野さん……」
小島が庄野を止める。
このまま犯人のメンタルに圧をかけ続けても、仕方がないではないか。
内線が鳴った。
庄野は受話器を取り、そして下へ降りていった。
「僕、警察に捕まったら部活辞めさせられちゃうし、学校退学になっちゃうよ……」
犯人が鼻を啜った。哀れにも見えるが、本心かは怪しい。
「部活」
遠藤が言葉を繰り返した。
「サッカー部なんです」
これは同情をひこうとする作戦なのかも、と小島には思えた。
人の良さそうなバイトたちをうまく丸めこもうという魂胆なのかもしれない。
庄野より、目の前のバイトたちのほうが、うまく計らってくれるのではと、睨んだのかもしれない。
残念ながらそうはいかない。全員、面倒事には極力関わりたくない。
中学生はジャージのハーフパンツを履いている。いかにも運動していますと言った格好だった。
春になったとはいえ、夜はまだ肌寒い。剥きだしの足が震えているのは反省しているからなのか、冷えているからか。
その姿に、改めて小島は思った。自分は運動部のやつらが苦手だ。だからどうしても疑ってしまう。
「で、なんで万引きしたわけ」
吉行が訊ねた。
警察での取調べの予行演習でもするつもりだろうか。庄野がいないので、自分がこの場を仕切るつもりらしい。
常日頃から吉行は、自分が遅番のリーダーだ、みたいなことを冗談めかしていう。実際そのつもりでいるのかもしれない。
中学生はまた黙ってしまった。
このままではらちがあかない。
すぐに警察に連絡したほうがいい。なぜ庄野はしないのだろうか。
さっきも中学生のそばで防犯カメラをいじり、決定的証拠を見つけては画面をプリントし、
「うまく死角で犯行に及んだと思っているつもりらしい」
などとほくそ笑んでいた。
人のギャグには笑わないが、人の愚かしい決定的瞬間には笑う男、それが庄野。
犯人に精神的苦痛を与えようとしていたのだろうか。だとしても嫌味ったらしいにも程がある。
さっきの脅しだってそうだ。犯人がこんな目に遭ったと話したなら、保護者も黙ってはいないだろう。
小島は思った。
自分もかつて、こんなふうに事務所で所在なくいることになるはずだったのだろうか。
いたたまれない。
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