第4話 事務所で遊んじゃだめですか?

「じゃあ、あとはよろしくね」

夜八時になると、店長が仏頂面で立っている庄野に声をかけ、そそくさと帰っていった。

店長は決して残業をしようとしない。前の店主の息子さんだという。

本屋の仕事はとくに好きではなさそうだ。朝番の阿川や安岡の提案を、すべてイエスと答える。受け身の人だ。

前の店長が亡くなったとき、ちょうど職を失っていたらしい。腰掛け感覚で店長になったのでは、と噂されていた。

本屋のビルの上階に、前の店長は暮らしていた。つまりここは店長の実家だった。いまは誰も住んでいない。戻ってくるつもりはないらしい。きっと、仕事と家庭を分けたいのだろう。

 仕事とはいったいなんだろうか。

 大学院に進むつもりだから、小島が社会にでるのはまだまだ先だ。

 まわりの働いている大人たちはみんなしんどそうだ。なんで人は働かなくちゃならないんだろうか。

 社会の一員としての義務、とかなんとかいわれるけれど、正直そんなのどうでもいい。

 なにかやりがいを持っていないと、人間は生きちゃいけないらしい。

 小島には、誰もが皆、無理にやりがいを作って頑張っているように思えた。

「店長帰った?」

 レジに同僚の吉行がやってきた。

「帰りました」

「ほかのみんなは?」

「まだ」

 返事を聞かず、吉行は階段をあがっていった。

 しばらくして、残りの遅番メンバーたちも続々と集まってくる。

 遅番メンバーは、自分がシフトに入っていない日でも、店の事務所に入り浸っている。小島も、とくになにも用事がないときは爽快堂にきてしまう。

 家にいたってつまらない、かといって遊ぶ金もない。この本屋で、彼らと一緒にだらだら時間を潰してしまう。

 だからといって働いているメンバーと仲がいいわけでもない。

 彼らは事務所でそれぞれ好き勝手にしている。ゲーム機を持ちよって、一緒に遊ぶこともあるけれど、だいたいは別々に時間潰しをしていた。

 誰かが話しかけてくれば、適当に返事をする。そのくらいのゆるい集まりだった。

 これに関して、庄野はなにも言わない。邪魔でなければどうでもいいと思っているのか。

「小島くん」

 庄野がモップを手にしてやってきた。

 三階から一階まで、モップがけをしてきたらしい。

「レジを変わるんで、雑誌の抜き取りを始めてください」

それと、上の連中に、シフトに入ってもいないのに事務所で無駄に寛ぐつもりなら、三十分おきに見回りをするように伝えてください、と言った。

「ただで遊び場を提供するほど、この店は裕福でも寛大でもありません」

 事務所にたまっているのを黙認しているのは、タダで手伝わせるのにちょうどいいと思っているのかもしれない。


 明日入荷する雑誌の前号を棚から抜き取るリストをプリントするために、小島は三階の事務所へ向かった。遅番メンバーがいつものようにテーブルを囲んで気ままに過ごしていた。

「なんか万引きにやられたんですって?」

そう言うのは遠藤昇太だ。

大学生だが、学校に行った話を聞いたことがない。最長八年、学生の立場で遊び倒そうと企んでいるふしもある。東京が楽しくて仕方がないらしく、「地元にはこんなものなかった」となんでも大袈裟に喜ぶ。

ファッションセンスが他と比べなくても派手で、まるでフィクションのちんぴらみたいな格好をいつもしている。彼なりのおしゃれ、らしい。元ヤンキー疑惑があるが、さすがに聞くのは憚られる。

「朝のみんな、イラついていましたね」

島尾海がスマホをいじったまま答えた。

自分の推しているアイドルの動向をチェックしているのだろう。

島尾と遠藤は同じ大学に通っている。同じ授業を取りあい、出席をごまかし合おうと共謀していた。だが二人とも出席しないものだから、その企みは果たされることなく終わった。

島尾はバイトとオタ活のせいで留年が決定していた。爽快堂以外にも複数バイトをこなしている。ここに立ち寄るのは、近所のカラオケボックスへアルバイトに向かうまでの繋ぎだ。

「なに、捕まえてないの? トロいなあ朝番」

吉行夏男が雑誌をめくりながらつぶやいた。

ゲームの専門学校に通っていて、いつだって「課題の締め切りに追われている」とこぼしている。それなのに爽快堂にやってきては遊んでいる。この時間を使って作業なりなんなりすればいい、と全員が思っているが、そんなアドバイスをしたところで、

「作業は時間を決めてするものだ。要領の悪いことはしない」

 などとへらず口を叩くものだから、もう誰も言わない。そんなことをいいながらも追い詰められると寸前になって休みます、と店に連絡をよこし、よく阿川に怒られていた。

「いつ盗まれたか不明なんで」

 島尾が冷静に言った。

「隙を見て犯行に及んでいるんだろうな」

 吉行が探偵気取りで、当たり前なことを言った。

「万引き犯によって我が軍は壊滅寸前ですか」

 遠藤が腕を組む。特に気にしていないのが見え見えだ。

「万引きもだけれど、けっこうやばいらしいですよ、ここ」

 事務所奥にあるPCから雑誌の抜き取りリストを印刷し、小島は輪に加わった。

「それ安岡さんから聞きました、売り上げがかなり落ちてて経営が厳しいって」

 島尾は暇なときには朝番の手伝いもしているので、『歩く情報拡散装置』の異名をとる安岡さんから様々な店の情報を耳にしていた。

 逆に吉行は、朝番とは極力関わろうとしないので、店の事情に疎かった。

 たしかに最近、わりと店は呑気だ。小島がアルバイトを始めた当時は、夕方から閉店まで、お会計をする客がひっきりなしに現れ、ずっと列が続いていたが、最近ではレジ以外の業務だって以前よりも楽にこなせるようになった。

「まあたしかに、アレしか売ってないしな」

 吉行が興味なさそうに言った。

 名前を出すのもいまいましい、最近大ヒットした漫画のことだ。在庫確認の電話がひっきりなしにかかってきて、相手がタイトルを言い終わる前に反射的に「ありません」と答えてしまうほどだった。題名を聞くだけで眩暈を起こしそうになる。

「世界にはたくさん本あるっていうのに、みんななんでアレしか読まないんですかねえ」

 小島は言った。

 人気のものにみんな飛びつく。それだけ面白い、というのはわかる。小島も全巻一気に読んだ。

 だが世の中にはたくさん漫画があり、面白いものは腐るほどある。この世にある漫画は一生かかっても読み切ることはできない。

「庄野さん、レジか」

 防犯カメラのモニターを遠藤が覗きこんだ。小島たちもモニター前に集まった。庄野がブックカバーを折っていた。

「なんかさ、監視カメラ越しに見ると、お客なんて全員万引き犯にしか見えなくね?」

 吉行が大変失礼なことを言った。

「いいすぎいいすぎ」

 小島は一応、たしなめた。

 たしかに画面に写っているお客は、どこか挙動不審に映る。

「万引きするやつの考えなんて、さっぱりわかんないなあ。ばれたら捕まるじゃん。人生詰むし。マジでわからんよなあ」

 島尾の言葉に小島は息を呑んだ。

捕まる。詰む。

さっきまで他人事として、頭で処理していた。あのときの自分の行動を、いまでも悔やんでいた。結局しなかったんだから、と自分に聞かせてみても、ずっと解消できない。冴えなかった十代の頃のベストオブベスト、人生の汚点だ。

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