第三十五階層 小柄な支配者(1)

 一行の顔が引き締まる。

 階段を降りた先は宮殿の通路に等しい。鮮やかな赤の絨毯じゅうたんは奥の暗がりに続いている。左右には白い石柱が等間隔でそびえ、間には白銀の甲冑を着込んだ騎士像が厳かに佇んでいた。

「魔王をやっつけたご褒美かなー」

 冨子は一体の甲冑をしげしげと見つめる。傍らにいた直道は視線を上げた。天井の高さに感じ入る。

 ハムは前脚で絨毯の感触を確かめた。

「上物だ! 俺様の為に用意された栄光の道に違いないぞ!」

 茜は奥の暗がりを黙して眺める。思慮深い顔は周りの楽観的な声に崩された。

「それ、絶対に違うから! ここから先が本番なの!」

 声を荒げると先に歩き出す。警戒を怠らず、方々に視線を飛ばした。

「でもー、なんかうきうきするよねー」

 冨子は直道の腕に自身の腕を絡めて跳ねるように歩いた。

「俺様は栄光の道を突き進むぞ!」

 ハムは直道の隣で力強い前進を続ける。

 長い通路の終わりが薄っすらと見えてきた。緋色の扉は重厚でいて精巧。中央の合わせ目には隙間がなかった。

 相対した直道は扉に両手を当てる。押す姿勢を見せたが、すぐに手を離した。

「びくともしない。引っ張る物も見つからない」

「この扉、高いよねー」

 冨子が見上げる。扉のアーチ状の部分は天井に近い。

 背の低いハムは扉の下部に注目した。合わせ目の中央が凹んでいた。

「妙な窪みがあるぞ。人の形をしている」

「頭の上の二本はなんだろう」

 身を屈めた茜が視線を上げる。直道のスーツのポケットに目がいった。

「あれかも!」

 瞬間的に駆け出した。

「借りるね」

 ポケットに収まっていたピンクのウサギの縫いぐるみを掴み取る。急いで戻ると凹みに顔を押し付けた。垂れる耳はしっかりと指で嵌め込んだ。

 細かい振動が起こる。緋色の扉が内側に動き、中央に隙間が出来た。ウサギの縫いぐるみは前に倒れる寸前で、一歩、足を踏み出した。

「やっぱり動いた!」

 目にした茜が手を伸ばす。逃れるように隙間の中に駆け込み、見えなくなった。

 扉は全開となった。誰一人、踏み出そうとしない。

 茜は目を凝らした。冨子は顔を突き出して目を開く。

「私の目がヘンなのかなー。黒しか見えないんだけどー」

「私も同じだ」

 伊達眼鏡を外した直道は目頭を揉んで言った。

「俺様にも見えないぞ! ここは何なのだ!」

 戸惑いが怒りに変わる。

 すると闇の中から微かな笑い声が聞こえてきた。悪意は微塵も感じられない。

 冨子が暗闇に一歩を踏み出し、髪を耳に引っ掛けた。懸命に聞き取ろうとする。

「気になる?」

 その声まで笑いを含んでいた。冨子は更に一歩、闇へと踏み込んだ。

「危ないって」

「冨子、どうした?」

「黙って!」

 いつにない声で後ろの声を制した。冨子は目を見開いて闇の向こうの声に静かに語り掛ける。

「お母さんだよー」

 その声は限りなく優しい。溢れる感情で揺れていた。

「そうだね」

 言葉を返した瞬間、闇が一掃された。天井から下げられた刺々しい太陽は水晶のような透明感を備え、玉座を照らす。

 一人の少年が足を組んだ状態で座っていた。一方の肘掛けにはウサギの縫いぐるみがちょこんと乗る。

 少年は立ち上がった。羽織っていた純白のマントを片手で払い、口の端を吊り上げて見せる。

「よくぞ、ここまで辿り、え!?」

 冨子が全力で走り出す。飛び付くようにして少年を胸に抱えた。

「まだ、決め台詞が」

 冨子は声を上げて泣いた。少年は柔らかい胸に頬を埋めた状態で、まあね、と諦めたような口調で力を抜いた。成り行きに任せることにした。

「……なんで」

 遅れてきた茜も涙声で少年をそっと抱き締める。

 最後は直道であった。大きな両腕で三人を包み込んだ。

「あの、俺様はどうすれば」

 ハムは四人の状態を見ながらおろおろする。取り敢えず、空いていた少年の脹脛ふくらはぎに横っ腹を押し付け、泣き真似に励んだ。

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