第三十五階層 小柄な支配者(2)

 冨子はようやく泣き止んだ。袖で目をゴシゴシと擦る。直道が両腕を下ろすと茜は目を逸らし、それとなく離れた。

「説明して貰いたい」

 直道が少年に向かって言った。

「そのつもりだよ」

 少年は赤い絨毯を歩き、玉座の間の中央に立った。急に両膝を曲げると瞬時に現れた椅子が受け止めた。ほぼ同時に長方形のテーブルと三脚の椅子が一気に出揃う。

「良い感じだよね」

 直道は少年の左手の椅子に腰掛けた。右手には冨子。最後に少年と向き合う形で茜が椅子に座った。

「この位置は落ち着くね」

「どうして、そんなに、普通でいられるのよー」

 冨子は潤む目ではなを啜り上げる。

「お母さん、汚いよ」

 茜は笑いながら目尻を指先で拭った。

「俺様の席がないぞ! 話に加えろ!」

 ハムは少年に向かって声を荒げた。

「わかったよ、ハムだっけ? 母さんのネーミングセンスには笑ったよ」

 少年はハムの頭を掴んだ。軽々と引っ張り上げてテーブルにコトンと置いた。

「ええ、ウソ!? 本当に豚の貯金箱だったの?」

 正面に座っていた茜がガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。両手はテーブルに突いて前のめりとなった。

 ハムは掌に載るくらいの大きさで固まった。

「この状態だから喋ることは出来ないけど、皆の声はちゃんと聞こえているよ」

 誰もが戸惑い、問い掛けるような視線を少年に向けた。

「何から話したらいいんだろう」

 注目を浴びて照れ笑いを浮かべる。前髪を指で整えて三人の顔を真顔で見つめた。

「まずはダンジョン制覇、おめでとう。僕は裏ボス的な存在で皆がよく知っている、木崎慶太だよ」

「目にした瞬間は本人だと思ったが……本当に慶太なのか?」

 直道の問い掛けに冨子が目を剥いた。

「どう見ても慶太ですよ! それ以外、考えられないじゃないですかー!」

「……そうかな」

 茜は口にして慶太の目をじっと見る。

「あの妙な老人が魔王って、誰が気づけた?」

「それはー、そうだけど……」

 答える声が小さくなる。冨子は横目で慶太を窺う。

「お父さんが魔王の攻略法を思いつかなかったら私達は確実にやられていた。慶太が家族にそんなことをすると思う?」

「それは大丈夫だよ。通りすがりの神様が助けてくれるパターンも用意してあったし」

 言うや否やテーブル上に一人の人物が出現した。よれよれのスーツを着た痩身の男性はボサボサの髪を掻きながら、すいませんねぇ、と卑屈に言って飛び降りた。

 改めて自己紹介を始める。

「どうも、通りすがりの神様ってヤツです」

「さすがに適当すぎるでしょ」

 茜の反論に慶太は笑って言った。

「こんな見た目だけど、僕のところに現れた神様とそっくりなんだよね。もちろん、これは本物ではないけど」

 慶太は屈託のない笑顔で言った。子供らしい態度に直道は表情を和らげた。

「わかった。その言葉を信じよう」

「私も。そこの神様が慶太に特別な力を与えたとして、ここはどこなのよ。最初は異世界かと思ったけど、妙にゲームっぽいところもあるし」

「ややこしい説明を抜きにして簡単に言えば、僕の頭の中だよ。皆は肉体から分離した霊体みたいな状態で、ここにいる限り、外の時間は止まったままになるらしい。神様の理屈だから僕にもよくわからないんだけどね」

 はにかんで軽く頭を下げた。

「慶太、もしかして意識が戻ったのー!?」

 冨子は椅子毎、身体を寄せてきた。慶太は即答しなかった。困ったような笑みを浮かべる。

「まあ、そうなるのかな。家族の声が聞こえるようになったのは二年前。皆のお見舞いの声でわかったよ。目を開けたり、身体を動かすことは無理だけど。それと姉さん、Bカップ、おめでとう」

「なんで、そんなことを! ……私が言った?」

「うん、病室で聞かされたよ」

「もしかして、陸上部のことも?」

 茜はおずおずと尋ねる。

「辞めるなんて、もったいないよ。母さんは家族との会話が少ないって嘆いていたし、父さんは頭の固さを気にしていたよね。あと僕のゲームのこと、とか」

 三人は顔を見合わせた。当たっているらしく、全員が気恥ずかしい表情を浮かべた。

「だけど僕は何もしてあげられない。暗闇の中で黙って話を聞くだけだった。そこに神様が現れてダンジョンを創造する力を与えてくれたんだよ」

「んー、神様に慶太の意識が戻るように、お願いしたらダメなのかなー」

「世界が消滅するらしいよ」

「どういうことだ?」

 直道は身体を傾けて訊いてきた。慶太は、じゃあ、と言って神様に目を向ける。

「せっかくだから神様に説明して貰おうかな」

「まあ、いいですけど」

 のんびりとした調子で話し始めた。

「神様ってヤツは全知全能ではないんですが、ほぼ何でもできます。そんなヤツが世の中にはごろごろいて、好き勝手に動き回っていまして。私もそうなんですが。ただねぇ、神様は神様のことがよくわからないんですよ。ばったり出会うこともあって、そう、別次元では些細なことで言い合いになって世界が崩壊しましたねぇ」

「それ、作り話じゃないの?」

 茜は胡散臭そうな目で言った。

「本当の話ですよ。私が当事者の一人なんですから」

 ボサボサの髪を手で撫で付けながら笑った。

「世間話みたいに言われても反応に困るわ。それで慶太の意識が戻ると、その他の神様が関わって大変なことになるのよね?」

「そんな感じですかねぇ。奇跡の類いは目立ちますから。ただ正直なところ、神様ってヤツの考えはよくわからないもんで」

厄介やっかいな話だ」

 直道は椅子の背もたれに寄り掛かる。

「なんかー、揺れ始めた?」

 冨子が周囲に向かって言う。

「なんで今になって」

 茜は途中で口を閉じた。激しい横揺れに見舞われた。

 テーブルも揺れてハムが小刻みに動く。端までいくと抗うことなく落下した。ガラスが割れるような音がして、間もなく揺れは収まった。

 慶太は苦笑いで右手を下に伸ばす。

「ハムはよく壊れるね」

 右手で掴んだ豚の貯金箱を元のところに置いた。どこも割れていなかった。光沢のあるピンク色の表面は無傷に見える。

「今、割れたよね?」

「前と同じで直したから大丈夫だよ。ハム、そうだよね」

「おっしゃる通りでございます。このような卑小な存在にまで目を掛けていただき、ありがとうございます」

「喋り方がヘンだよ。前にトラップで落ちた時と同じっぽい」

「このバージョンではなくて、こっちだったかな」

 慶太はハムの頭の部分を一撫でした。

「俺様が落ちる前に助けろォォォ! 何回、割れば気が済むんだァァァ!」

「うるさいから黙らせて」

「そうだね」

 茜の一言でハムは無口な豚の貯金箱に戻った。

 直道は顎を摩りながら思慮深い顔で言った。

「魔王は揺れが階層の構造を変えると言っていたが、そうなのか?」

「そういう設定なんだけど、これは違って。あまり気にしなくていいよ」

 慶太は背筋を伸ばす。深呼吸をしたあと、想いを口にした。

「病室で皆の話を聞いた。そのあとで神様に出会って力を貰い、僕は黒一色の世界から抜け出してダンジョンを創造した。家族が話し合って謎を解き、手を取り合って進む。最深部に着く頃には最高の家族になれるように工夫した、つもりなんだけど、どうだったかな」

「良かったよー。クイズで直道さんの警察官の話が出た時はびっくりしたけどねー」

「家のアルバムを見ていたからね。姉さんは知らなかったみたいだけど」

 慶太の薄笑いに茜は気圧けおされ、バンとテーブルを叩いて逆襲に転じる。

「宝箱の中に私達の洋服や下着の替えがあったんだけど、どうやって知ったのよ! 母さんのシルクの、あれとか、私の水玉のそれとか……」

 声が尻すぼみとなり、見る間に顔を赤らめる。慶太は困ったような顔で笑った。

「見て貰った方が早いかな」

 テーブルの端からピンクの長い耳が飛び出した。よじ登って現れたのはウサギの縫いぐるみであった。

「この子が僕の目や耳になってたんだよ。最後の扉を開く鍵で重要なキーアイテムなんだけど、姉さんに怪しまれて苦労したよ」

 苦笑した慶太が手を向けるとウサギは深々と頭を下げた。

「そういうことなのね」

 納得はしたものの、茜はウサギを睨み付ける。

「それと皆が寝ている時に心の声を聞いて回る、優秀な裏方でもあったね」

「心の声って? 初耳なんだけど」

「姉さん、頭を低くして」

「なによ、急に」

 不機嫌そうに言いながら頭を低くする。慶太は、もう少し、と言って掌で押し下げる動きをした。

 頷いたウサギが近づき、片方の手を光らせて茜の額に押し当てた。

「……慶太の意識が戻って……起き上がることができたら……Bカップの胸を見せないと……いけないのかな。自分からした約束だし……どうしよう、ってなに言わせんのよ!」

 ウサギの手から逃れるように大きく仰け反った。茜の顔は羞恥の色に染まる。

「こんな感じで情報を集めてダンジョンに活かしていたんだよ」

「うさちゃんはかわいいけどー、慶太が一緒に冒険してくれたらもっと楽しかったのにー」

 冨子は少し口を尖らせた。

「それなんだけど、僕はここから動けないんだよ。神様の考えで『その方が面白いよねぇ』ってことらしい。どちらかと言うと大変だったよ」

 ウサギはくるりと回って戻ってきた。ハムの手前で立ち止まると柔らかい手で何度も頭を叩いた。

「ハムは皆のサポート役なんだけど、姉さんと折り合いが悪くて、どうしようかとかなり悩んだよ。魔王戦の切り札だし、外すと神様の力技の解決になるし、小部屋で頭が沸騰して寝込みそうになったね」

「実際、病院で寝込んでいる訳だし、そこは気にしなくていいんじゃないの。それと小部屋って、なに?」

「ダンジョンを作っている部屋だよ。程々に狭くて集中できる。そこで人物や魔王の配下の構想を練っていたんだ」

 思い返しているのか。慶太は糸目となって軽く息を吐いた。

 茜は周囲を見回す。

「それらしい部屋は見えないんだけど。これがゲームなら玉座の裏に階段があるのかもね」

「正解だよ。でも、僕しか入れないから」

「ゲームをクリアしたら、普通は制作の裏側を見せてくれるんじゃないの?」

「そういうゲームもあるけど、これが恥ずかしくて。ボツになったキャラクターもいて、ちょっと見せられる状態じゃないっていうか」

 冨子は微笑む。二人の遣り取りが心地よく、本音が漏れた。

「家にいるみたい」

「座る位置も同じで久しぶりに家族が揃った」

 厳しい表情が常の直道に自然な笑みが浮かぶ。目にした茜と慶太は、そうだね、と同時に言った。

「このまま、みんなでここに住んでもいいよねー」

 名案とかばかりに冨子は手を合わせる。耳にした茜は腕を組んだ。

「装備とかを集めて地上にいた凶悪なモンスターを狩ってもいいよね」

「あれらは初期の頃に力を入れ過ぎて、本編のダンジョンには出せなかった。僕としては惜しいから地上で野放しにしているんだけど、個々の能力は本編の魔王を軽く超えているよ」

「あんたね、少しは加減しなよ。魔王だって本当にびっくりしたんだから。お父さんのチャンピオンベルトのおかげで、プッ、助かったけど」

 茜は思い出して唇を歪ませる。念の為に掌で口を覆った。

「まあ、あれだ。私の頭も少しは柔らかくなったのだろう」

「そうだね」

 慶太は笑顔で相槌を入れた。

 その時、テーブルに置かれたハムがカタカタと音を鳴らし始める。

「また揺れ始めたよー」

「なんなのよ、これは」

「慶太、どういうことだ?」

「気にしなくていいよ。食事でもしていたら収まるんじゃないかな」

 耳にした冨子は笑顔を向ける。

「ウインナー入りのお味噌汁だよねー」

「まあ、それも好きだけど、やっぱり一番はこれだよ」

 一瞬で全員に一品が配られた。大皿の上には黄色い生地に包まれた楕円形の物体が白い湯気を上げている。

「オムレツではなくてオムライスだよ」

 冨子は一品を前に、慶太、と口にして目を潤ませた。

 家族の食事を邪魔するかのように揺れが激しくなる。慶太を除いた三人はテーブルの端を掴んだ。

「ここまでみたいだね」

「慶太、どうなってんのよ!」

 茜はテーブルにしがみ付いた姿で怒鳴った。

「ゲームでは定番の展開だよね。クリアしたらダンジョンが壊れる。どうやら僕も同じルートを辿るみたいだ」

 慶太は自身の両方の掌を見た。不規則な明暗の筋はホログラムに生じた干渉縞かんしょうじまのようだった。

 近くにいた冨子が叫んだ。

「慶太、どうして!」

「まさか、そんなこと、あるはずがない!」

「あんた、どこまで勝手なのよ!」

 三人は慶太の姿を見て剥き出しの感情をぶつけた。

「今まで、ありがとう。こんな僕を、見捨てないで……話し掛けてくれて、本当に、嬉しかった……これから……」


 言葉は途切れ、ダンジョンは崩壊した。

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