第十七階層 浮き沈み
一行の前にまたしても暗黒が立ち塞がる。今度は足場となる床がなかった。見えないだけで存在するのだろうか。誰にもわからない。
立往生を嫌った茜はハムの姿を探した。少し離れた壁際にいた。
そっと近づいて甘ったるい声を掛ける。
「ハムちゃん、出番だよ。偉業の達成には必要なことだよね」
「……俺様は邪神の
くるんとした尻尾が縮こまる。二度も落下した影響が色濃く残っていた。
茜は潔く諦めた。
「直道さん、あの遠くに見えるのって床では?」
冨子が一点を指差す。位置としてはかなり遠い。直道は眼鏡の奥の目を細めた。
「確かに。今、消えたが。あちらにも」
出現する床に合わせて目を細かく動かす。
二人と共に茜も出現する床を見た。
「前の動く床とは違うけど、あれもゲームの中ではよくあるトラップだね」
「どんな感じのものなの?」
冨子の声に茜は床の状況を見ながら答えた。
「現れる床には乗れる。でも、消えると足場が無くなって落ちる。前と同じなら魔方陣で戻って来れると思うけど」
茜は後方に目をやる。ハムは同じ姿で背中を向けたままだった。尻尾は強固に丸まって断固拒否の態度を貫く。
「ハムには頼めそうにないし」
「床の出現には規則性がある」
直道は床を見ながら言った。
「……床の出現時間には差がある。短くて数秒、長いと数十秒か」
「これ、私は苦手だな。先読みできればかなり楽なんだけど、覚えられるかどうか」
茜は先を見た。視界が確保できる二十歩を超えている為、暗闇に包まれていた。
「んー、覚えられるかわからないけど、いける気がするのよねー」
冨子は大きな一歩で
糸目を見開き、自身の頬を軽く平手打ちした。
「お母さん、なにを?」
「銀閃フォックスのリーダーがこんなもんでビビッてんじゃねぇぞ! 気合入れていけや、コラッ!」
茜は目を丸くした。直道は苦笑して冨子の肩に手を置く。
「頼んだぞ」
「任せてよー」
元の冨子に戻って床が現れるのを待った。
「もう、記憶できたの!?」
「全然、覚えられないよー」
冨子は茜に答えた。瞬間、出現した床に向かって跳んだ。着地は見事に決まり、上体がぐらつくこともなかった。
「え、それなのになんで」
「どうしてでしょうー」
冨子は振り返らずに答えた。右斜め前に現れた床に飛び移る。左横の床に跳んだ直後に元の足場の床が消えた。
「はい、着地―」
今度は左斜め前の床に飛び乗る。前方に現れた少し長めの床は飛び移ると小走りとなった。右斜め前に連続して現れた床は弾むようにして渡っていく。
その姿を茜は驚きの表情で眺めた。
「どうして、そんなことができるのよ。床の位置を記憶してないんだよね?」
「冨子だからできる」
直道の声に茜が、なんで? と訊き返した。
「矢印の床の時と同じだ。冨子にはあの速さでも、はっきりと見えている」
「あんなにすぐに床が消えるのに!?」
茜は冨子の姿を目で追った。機敏な動作とは言い難い。ただし反応速度には目を見張るものがあった。次の床が現れた直後には軽々と跳んでいた。まるで記憶しているかのように自然に飛び移る。
同じ調子を崩さず、冨子は前方に広がる闇に呑まれた。
「あれが冨子だ」
全幅の信頼を寄せているのか。直道は穏やかな顔で眺めている。
二人は並んで浮き沈みを続ける床を見ていた。その動きが唐突に止まった。
急速に集まって一本の道を完成させた。
「お母さん、攻略したんだ!」
「そうだな」
「でかした! 褒めて遣わす!」
「あんたねぇ」
茜が笑って歩き出す。横に付けた直道は片方の口角を上げた。
「豚の貯金箱だけあって現金な奴だ」
「それ、上手いね」
二人は笑って道を渡っていった。
間もなくして冨子の姿が見えてきた。ハムは鼻を高々と上げてふんぞり返る。
「直道さん、茜、やりましたよー」
「さすがだ」
「ハムは偉そうにするな」
茜は笑って言った。
「俺様の名演技が冨子の勇気を引き出したのだ。いわゆる陰の貢献者として褒め称えるがよいぞ」
「お父さん、あんなことを言ってるよ」
茜は告げ口するように話を振った。
「あれはあれで良いムードメーカーと、言えるのか?」
「疑問で返さないでよ。まあ、かなり限定されるけどね」
二人は道を渡り切った。奥の方には降りる階段があった。
茜は指折り数える。
「かなり下まできたよね」
「そうなるか」
「終わりはわからないけど、なんか楽しいねー」
冨子はほんわかとした笑みを二人に向けた。
「まあ、そうだね。お父さんは?」
「悪くない」
短い言葉で済ませた。冨子は横にきて腕を組む。
「本当に悪くないですよねー」
「苦しゅうない」
三人の姿を見たハムはくるりと回る。カツカツと足音を響かせて
「仕方のない豚ね」
茜は笑って付いていく。冨子にやんわりと引かれて直道も歩き出す。
階段の途中で全員が耳にした。押しては引く、穏やかな波の音を――。
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