第十六階層 激走

 弾むような足取りの茜が先頭で階段を降りる。冨子とハムが並んで続き、最後尾を直道がゆく。

 次の階層が見え始めたところで直道が強い口調で言った。

「止まるんだ」

 突然の声に全員が後ろを振り返る。

 ハムが鼻息荒く迫ってきた。

「俺様に指示するとは大胆不敵にも程があるぞ」

「作りがおかしい。端的に言えば不穏だ」

 声を受けて茜が先を見渡す。

「真っすぐの通路は今までもあったよね。変わっているところは左右の壁かな」

 波打つような作りになっていた。

 直道は睨むような目で見て言った。

「降りてみよう」

 重い一言が伝わって全員の警戒心を少し強めた。周囲を見ながら新しい階層に降り立つ。

 気付いた茜が声を上げた。

「よく見ると先の床が斜めになっている?」

「下り坂みたいだねー」

 冨子は直道の方を見た。目が天井に向かっていた。

「上が気になります?」

「仕掛けがあると思ったのだが、何も見つからない」

「先に進んでもいいかな」

 待ち切れないと茜は小刻みに脚を動かす。

「壁の状態を確認する」

 直道は波打つ壁の凹みに自らの背中を押し付けた。

「どのように見える?」

「隠れているつもりなら丸見えだよ」

 茜の言葉に直道は、そうか、と低い声で返した。

「なにが引っ掛かるの?」

「ゲームではないのだが、昔に観た映画で似たような場面があった」

「トラップの類いで?」

「そうだが、余計な言葉で委縮させたくない。ただし万が一のことを考えて私が最後尾に付ける。できれば先頭は足の速いものが望ましい」

 何時になく言葉数が多い。目に見える危険はないものの、茜は真剣に受け止めた。

「初速は私だけど、安定した速さならハムかな」

「先頭は俺様に任せろ」

「二番手が私で、次はお母さんでいいよね」

「いいよー」

 進む順番が決まった。一行は一列となって薄暗い先を目指して歩き出す。

 最後尾の直道は頻繁に後ろを振り返る。重点的に天井を見て束の間の安心に表情を緩ませた。

「先が見えてきたよ。左に曲がっていて、もしかしたらゲームでよくある渦巻きの通路かもね」

 茜の声は直道にも十分に届いた。歩きながら後ろを振り向くと一方の壁から巨大な岩の塊が転がり出た。発する異音は先頭のハムにも届いたらしく、なんだ!? と驚きの声になった。

 思いもしない方向からの巨岩の出現。しかし、直道に動揺は見られなかった。想定していた結果と同じなのか。行動には僅かな停滞もなかった。

「全員、走れ!」

 自身も全力で駆け出した。地鳴りのような音の響きが重なって反論は皆無であった。

「どうなっているのだ!」

 先頭をひた走るハムが怒鳴りながら角を曲がる。

「岩が迫っている! 下敷きが嫌なら走れ!」

 最後尾から怒鳴り返す。

 二番手の茜は左に曲がる過程で切迫する状況を横目で見た。

「ゲームでもある展開だよ! 壁を利用して避けたら」

「無理だ! 私が試した! 迷わず、走れ!」

 直道は冨子を見た。先頭と比べてかなり遅れている。

「冨子、もっと速く!」

「これ以上は無理ぃ」

 腕の振りを大きくしたが速度は変わらない。直道が手を伸ばせば触れられそうな位置で喘いでいる。

「私が時間を稼ぐ!」

 直道の言葉に、え、と冨子は短い声を発した。

 二人は前後して曲がった。直道だけが靴底を滑らせて止まり、素早く踵を返す。

 横手から丸い巨岩が飛び出して壁に激突した。一瞬、回転を止める。そこを狙って直道が両手を突き出した。脚は前後に開いて押しとどめようとする。

 巨岩を支える手が回転によって下にずらされてゆく。急いで右手を外し、上部に宛がう。

「これ以上は」

 回転の力が上回る。直道は数秒の時を稼いで走り出す。前方を走る冨子の背中が小さく見えた。

「ありがとうー! 無理しないでー!」

 走りながら冨子が叫んだ。追い掛ける直道は汗塗れの顔で笑った。

「今が無理する時だ!」

 次の角でも直道は巨岩を両手で支えた。ダンベルの効果なのか。冨子が逃げるだけの時間は得られた。

「後ろの二人! 無事よね!」

 二番手の茜は振り返らずに叫んだ。衝突音もあって後方の声は聞き取れなかった。

 先頭をいくハムが代わりに声を上げた。

「俺様の無事が二人の生存の証明になる! 余所見して転ぶなよ、シイタケ!」

「あんたは豚のくせに、たまに良いこというじゃん!」

「なんだ、それは!」

「黙れ、豚ァァァ!」

 血走った目で怒鳴り返した。


 衝突音を繰り返した末に巨岩は止まった。最後の曲がり角の先は平らな通路となっていて奥に降りる階段が潜んでいた。その手前で三人は仰向けに寝転がった。

 ハムは底なしの体力のおかげで平然とした様子でいた。カツカツと足音を立てて巨岩に近づく。前脚で叩いてみたが変化はなかった。

「完全に通路を塞がれた。もはや後退の道はない。前進あるのみだ。実に明快で俺様の覇道に相応しい」

「あんたに、なにが、できるって、言うのよ」

 息切れが解消しない状態で茜が言った。

「この迷宮を俺様好みの一大温泉場に改築してもいいぞ。従業員はお前達で我慢しよう。うむ、実によい」

「どんだけ、温泉が、気に入ったのよ、あんたは」

「確かに今は温泉に、どっぷり浸かりたい、気分よねー」

 冨子は直道に顔を向ける。半ば興奮したように頬がほんのりと色づく。

「できれば混浴でー」

「あのねぇ。もう、いいわ。勝手にやってろ」

 火照った額に手の甲をそっと当てた。茜は軽く瞼を閉じて、ふぅ~、と余熱を天井に向かって吐き出した。

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