第十五階層 暗黒に呑まれる

 新たな階層で三人は声もなく固まった。眼前では大掛かりな仕掛けが縦横に動く。

 ハムは全体を見渡す。

「壮観な眺めではあるな。深さはどれほどか」

 臆する様子は皆無で限界まで歩いた。下に鼻を突っ込むようにして目を凝らす。

「暗黒が広がっていて全く先が見えないぞ」

「……それだけの高さがあるってことね」

 茜はハムの横に並んで同じ光景を眺めた。

「ここから落ちたら、どうなるのかな」

「落ちればわかるぞ」

 ハムの言葉に、はは、と乾いた笑い声を上げた。

「でも、この仕掛けなら、なんとかなる。床がどれだけ動いても今の私なら、バランスを保って移動できる」

「でも、今回はちょっと危ないかなぁ」

 冨子はちらりと下を見る。底知れない深さに身を震わせた。

 隣にいた直道の表情が厳しい。

「この世界の異常性はわかっていても、賛同しかねる」

「だけど、誰かが先に進んで仕掛けを解除しないと。適任者は私だけだよ」

 茜はやや声を強めた。

 その時、ハムが鼻を高々と上げた。後ろ脚を蹴る真似をする。

「俺様はこれくらいの高さ、ものともしない。偉業達成の肩慣らしにもってこいだ。最初はあの左右に動く床に乗ればいいのだな」

 ハムは縦長の床に目を定めた。

「ハムちゃんが高いところを平気なのはわかっているんだけどねぇ。チュトリアの街の階段を怖がらなかったから。でも、この高さから落ちて平気なくらいに頑丈なの?」

「落ちなければ問題ないぞ。そこで冨子は俺様の勇姿を見ているがいいぞ」

 ハムは縦長の床の前にきた。目を左右に動かして軽く跳んだ。見事に着地を決めて見せる。

 軽い拍手が起こる中、床の横の動きで左側の脚が浮いた。身体は急速に傾いて、お? と発して底の見えない暗黒に一瞬で呑まれた。

「え、落ちた?」

 反応が遅れた茜はハムの消えたところに目を向ける。間もなくしてガラス瓶が割れるような音が響いた。

「豚の貯金箱が、割れたのか」

 直道は沈痛な面持ちとなって一点を睨む。

「あれって魔方陣なのかなぁ」

 冨子の声に二人が横を見る。床に光る文様が浮かんだ。中心にピンクの物体、ハムが元の姿で現れた。

 驚く三人を目にしてハムがうやうやしく頭を下げた。

「皆々様の前で、酷い醜態を晒してしまいました。ですが、ご安心ください。私が自らの身体で危険がないことを証明しました。仕掛けの難度は高いですが、茜様の身体能力をもってすれば攻略は時間の問題でしょう」

「いやいや、絶対におかしいって! その喋り方もそうだし、あんたは落ちて派手に割れたよね!?」

「割れた? この私が? ご冗談を。この通り、無傷で生還しました」

「ちょっと頭を見せて!」

 茜はハムの頭を両手で鷲掴みにした。顔を極限まで近づけて亀裂を探す。

「本当に、無傷なんだ……」

「もちろんです。遠慮なさらず、茜様の力を存分に発揮して仕掛けを鮮やかに攻略してください」

 ハムは鼻で茜をやんわりと押した。縦長の床に誘導して、どうぞ、と一礼した姿で後ろに下がる。

 茜は動く床を見ていなかった。その横の闇に魅入られた。

「……最初はね、私しかいないって、思っていたよ。上の階の練習が活かせるって。だけど……ハムの、あんな姿を見ると……怖くなったっていうか。この足が、ヘンに震える……」

「ご安心してください。この私が茜様の不安をきれいさっぱり、この場で払拭ふっしょくして差し上げましょう」

 止める間もなくハムは軽やかに跳んだ。再度、見事に着地を決める。

「見た目よりも簡単に」

 言葉は途切れた。ハムは再び暗黒に呑まれ、時間差で派手な音を立てた。

「また戻ってきたようですねー」

 床に魔方陣が光り、中心にハムが現れた。

「俺様を何回も生贄に捧げるな! しまいにゃ邪神を呼び出すぞ! この根性無しのシイタケが!」

 その変わりように直道と冨子は呆気に取られた。当の茜は目が丸くなり、噴き出すようにして笑い出した。

「そうそう、その方があんたらしいよ。ありがとう。良い感じで肩の力が抜けたよ」

「よくわからんが、今回も俺様の力のおかげだな」

「そういうことにしておくよ、今回はね」

 茜は自然体で縦長の床と向き合う。動きに惑わされず、自分のタイミングで跳んだ。膝を僅かに曲げて着地の衝撃を吸収する。安定した状態を維持して次の床に素早く渡った。

 直道は茜の姿に表情を和らげた。

「安心して見ていられる」

「そうですねー」

 冨子は側に寄り添って躍動する姿を見守った。

 二十歩の視界の限界を超えた。茜の姿は薄闇に紛れ、飛び移る足音も小さくなる。

 やがて何も音が聞こえなくなった。

「無事に着けたのだろうか」

 直道の不安を消し去るように散らばっていた床が急速に集まる。程なく暗黒を両断するような一本の道を作り上げた。

「俺様の行動がシイタケに勇気を与えたのだ。偉業の一歩に相応しい成果と言える」

 ハムは完成した道を闊歩かっぽする。中央を高らかな足音で渡っていった。

「直道さん、いきましょうー」

「少し胸が熱くなった」

 目頭を揉むようにして溢れた想いを拭い去る。はい、と冨子は答えて並んで道を歩いた。

 降りる階段の手前、茜が笑顔で手を振った。

「早く来ないと先に行くよ!」

「生意気なシイタケではあるが、ここでは花を持たせてやるのが成熟した大人というものだろう」

 ハムの尊大な物言いに二人は朗らかに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る