第十四階層 肉体強化
一行は折り重なるようにして新しい階層に着いた。幸いなことに大怪我を負った者はいなかった。
「コブができたんだけどぉ」
床にぺたんと座り込んだ冨子が後頭部を摩る。
尻餅をついた茜は痛そうに立ち上がった。軽く髪を整えて階段を見上げた。
「追い掛けては来ないみたいね。それにしてもびっくりしたよ。まあ、ゲームでもたまに無敵の商人はいるんだけどね」
「ゲームの中にも常識はあるということなのだろう」
直道はずれた眼鏡を直した。
「なにやら奇妙な物があるぞ」
半ば興奮したハムが走り回る。その騒々しさに三人の目も周囲に向かった。
広々とした部屋には器具のような物がポツポツと置かれていた。直道は興味を覚えた物のところに足を運ぶ。
黒々とした横棒の両端には同色の円盤型の塊が接合されていた。武骨なダンベルは二つ一組となっていて五種類の大きさに分類できる。
直道は身を屈めて、一番、小さな物を選んだ。持ち上げると表情で驚く。
「見た目よりも遥かに重い」
両手にダンベルを持つと目が近くのベンチに向かった。背もたれはなく水平でいて細長い。
直道は端に座ると仰向けになり、ダンベルの上げ下ろしを始めた。
「これ、なんだろう?」
一目では用途がわからない。茜は近づいて色々な角度から眺めた。
長い二本の鋼材が並行して置かれていた。内側の部分には細かい溝が彫られている。中程にはベルトコンベアを短くしたような物が取り付けてあった。掌で簡単に動かすことができた。
「もしかして」
茜は中央の台の上に乗った。軽く走るとベルトが回って台が横に動いた。端までいくと逆方向に変わる。
挑戦的な笑みを浮かべて速度を上げた。横への動きが強まり、上体がぐらつく。
茜は慌てて飛び降りた。
「……やってやろうじゃない」
脚を前後に開いてアキレス
ハムは運動とは無縁で湯気の上がる一角に身を寄せる。
「これは俺様専用の温泉だな。実に用意が良い」
執拗に鼻を動かす。確信したのか。四肢を広げて飛び込んだ。腹の下が濡れる程度で底は極端に浅い。横倒しになってもあまり変わらなかった。
四角く区切られた中をハムは
「温泉に浸かった気が全くしないぞ!」
「ハムちゃん、それはたぶん足湯だと思うよー」
素足になった冨子は縁に座って足を浸す。くつろいだ顔でゆるゆると息を吐いた。
「気持ちいいよねー」
「足だけを入れる温泉なのか」
ハムは湯の中で腹這いとなって大きな
直道と茜は運動に励む。
「スーツが邪魔だ」
ダンベルを床に置いて上体を起こした。瞬く間にスーツを脱いだ。結ばれていたネクタイを外してワイシャツを取り払う。体温で曇る眼鏡はそっと床に置いた。
上半身を露にした直道は真剣な面持ちでダンベルに打ち込んだ。
茜は少し離れたところで風変わりなルームランナーに精を出す。左右の揺れに身体が馴染む。バランスの良い走りを実践した。
少し足を緩める。頬を流れる汗を手の甲で拭う仕草がぎこちない。目は隣の直道を見ていた。
鋭い眼光を放つ横顔は歴戦の勇士を思わせる。鍛え抜かれた上半身に厚みはあるが無駄な肉は付いていない。見惚れるような美しさが秘められていた。
「すごいよねー」
後ろからの声だった。茜は足を止めて振り向いた。
にやにやした冨子が訊いてくる。
「どう思った?」
「どうって。まあ、悪くないんじゃないの。眼鏡が年齢を感じさせるけど」
「あれは
「それは知らなかった。でも、なんで?」
二人の話が耳に入っていないのか。直道は黙々と
「私は必要ないと思うんだけどー。眼鏡を掛けたら、
「そうなんだ。意外と気を使っているんだね」
「全く考えていないように見えて、実は繊細なところもあるのよねー」
「お母さんも意外性があるっていうのかな。不思議な存在に思える」
茜は笑って返した。
「そうなの?」
「そうだよ。だって昔はレディースのリーダーをしてたんでしょ。なんで、そんな喋り方なのよ」
「んだ、コラー。なんか文句でもあんのかよ。あん、舐めんじゃねぇぞ、って喋った方がらしいのかな」
一瞬、目を開いた冨子に茜は少し仰け反った。冗談とわかり、ほっとした表情を浮かべた。
「心臓に悪いって」
「まあ、昔はあんな感じだったのよねー。でも、直道さんに言われて喋り方を変えたら、すごく馴染んじゃって。ずっと続いて、今ではこれが普通なんだよねぇ」
「そっちの方がいいよ」
「ありがとうー」
冨子は朗らかな顔で言った。
どれくらいの時間が経過したのか。直道は最大の大きさのダンベルを使いこなす。
茜は全力の走りでも上体が揺れない安定性を手に入れた。
冨子とハムは足湯に入り浸って会話を楽しむ。
「リフレッシュしたところで次の階に行くよー」
「十分に英気を養った。俺様の燦然と輝く偉業を目の当たりにするがよいぞ」
勇ましい言葉で一人と一匹は降りる階段に突き進む。
「まあ、いいけど」
半笑いとなった茜は直道に横目をやる。
「……悪くないね」
聞き取れない声で呟いた。
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