59話 ミア・ターナー

◆◆◆◆◆◆◆◆


 アンデッドでなく平人だったころ、わたしはヒトではなく道具だった。


 幼いころのわたしの世界は、四方が壁で囲まれた狭い部屋だった。

 窓のない石造りの壁、光は天井から吊られた魔導照明の弱々しい明かりのみ。自身が立てなければ音もない。玩具もなければ家具もない。そんな部屋だった。


 物心つく頃にはそこにいた。

 外界とのつながりはなく、森も、山も、海も、町も。外に広がる何もかもを知らなかった。


 そんなわたしの狭い世界で、最も幸福なひと時がとの対話だった。


「さあ、今日も魔法のお勉強の時間よ」


「はい、かあさま」


「イイ子ね。……イイ子だから、早くワタシの役に立ってね。それが、あなたの存在意義なのだから」


「はい、かあさま」


 わたしにとって、絶対の。優しいのお役に立ちたい。

 そう思っていた。なぜなら、比較対象も存在せず、彼女の教育だけがわたしを形作っていたのだから。


 一日のうちでと過ごす時間はそう長くはない。魔法の理論を教え、一度だけ実践して見せ、あとはわたしの自主学習に任せて立ち去るのが常だった。


 魔法を学ぶことは好きだった。幼いわたしは魔法の学習に精一杯取り組んだ。

 ――それ以外に、からの寵愛を得る方法を知らなかったからだ。



 そんなある日のことだ。


「――《tnemele元素系統》――《eci氷属性》――――? なんだろう、これ……」


 氷魔法で作り出した氷塊、そこに照明の光が当たり、何かを反射していた。

 魔法の詠唱を維持しながら、凍壁に注視してみれば、映っていたのは、


「……かあさま? ううん、ちがう……。わたしだ。これが、わたし……」


 初めて見る、自分の顔だった。

 目も鼻も口も耳も髪も眉毛もまつ毛も肌もある、顔だった。


 淡青色の真っ直ぐな長髪、藍紫色の瞳、真っ白な肌。個々のパーツを比較すればと似ている。

 なのにどうして母の唇はあんなにも紅く、自分の唇は薄い色をしているのだろう。

 そんなことを思っていた。


 実際のところ、が実の親だったのかも定かではない。なにせ、わたしは彼女の名前すら知らないのだ。

 しかし、きっと彼女が実だったのだろう。


 本当は優しい家族がいて、愛されていて、どこかでわたしのことを今も思っている。

 ――なんて、都合のいい話があるわけがないのだから。



 食事の時間も好きだった。毎日同じ食材ばかりを使った料理で、おそらく何らかの薬品も混ぜられていたが、数少ない刺激を得られる機会だったからだ。

 ――この空間以外での食事の味をわたしは知らない。


 食事を運ぶのは、中肉中背の陰気な男だった。

 わたしが地べたで料理を食べている最中、彼はただ座って私の隣にいて、食べ終わった食事を片づけて部屋を出ていく。

 石の分厚い扉を閉める間際、いつもわたしの方を一瞬振り返り、悲しそうな顔をして去っていった。

 彼とは食事の度に顔を合わせた。よりも多くの回数彼と会っていたが、ほとんど会話をしたことがない。


 彼はきっと、普通の人間だった。

 本来であれば、こんな娘にかかわることもなかったであろう、普通の人間。

 わたしを憐れみ、を恐怖し、見限ることも逃げることもできなかった。


 そんな彼が出来たのは、ごくたまにわたしに向かって一方的に話しかけること、種類の少ない食材から味や見た目を工夫して料理を作ることという、ほんの僅かな反抗だけだった。


 ある日、彼が珍しく話しかけてきた。


「……その、おいしいかい?」


 コクリと頷く。

 その日の食事はそれまで感じたことのない味がした。きっとあれが甘みなのだと思う。


「また、食べたいか?」


 コクリと頷く。


「そっか……分かった。頻繁には……無理かもしれないけど、また今度、たべさせてあげるよ……あ、えっと、お母さんには、内緒、な」


 コクリと頷く。

 頷いたわたしの頭に彼は恐る恐る手を伸ばし、ゆっくりと頭を撫でた。わたしに触れる彼の手は、温かかった。


 翌日のこと。


「ミア、ミーア。ワタシのかわいい子。教えて。あの男が、何か、した?」


 内緒と言われていたが、わたしは包み隠さず全てを話してしまった。わたしにとって絶対の存在であるから訊かれたからだ。


 その日以来、彼を見たことは無い。食事は、スケルトンが運んでくるようになった。料理は、わずかな工夫の跡があれど所々失敗の目立つ、不格好なものになっていた。


 ある日、何の気なしにそのスケルトンの手を握ってみた。骨だけのその手は冷たかった。

 こちらを見返す、目も鼻も口も耳も髪も眉毛もまつ毛も肌もないその顔は、今のわたしにそっくりだった。



 から初めて教わったのは清潔魔法。

 自分自身や着ている服をまとめて清潔にする、冒険者に人気の魔法だ。母の言いつけで、わたしは日に何度もこの魔法を唱えた。

 その他に教わったのは、氷魔法や風魔法。


 そして、死霊術。


 来る日も来る日も魔導と向き合い、かねてより言い渡されていた《死霊転生》の魔導を完成させられたのだ。


「ミア、イイ子ね。よくやったわぁ! これであなたは生まれ変われるの。リッチーに。嬉しいでしょう? だって、ワタシがこんなに嬉しいんですもの」


「はい、かあさま!」


 にたくさん褒められて、その時のわたしは幸福だった。

 は褒めるだけで、わたしを撫でたり、抱きしめたりしなかったけれど、それでもわたしは幸福に感じていた。


「ああ、もう少し時間がかかると思っていたのだけれど。もし完成しても、ミアが成長するまで待つつもりだったのだけれど! もう待てない! 待てないわ!」


 に腕を掴まれ、部屋の外へ連れ出される。に強く掴まれたわたしの腕は赤くなり、熱を感じた。

 初めて部屋の外の世界へ飛び出したわたしが見たものは、壁にかかった蝋燭が照らす殺風景な通路だった。

 初めて見る蝋燭。そこで揺れる炎に目を奪われるわたしに構いもせず、はわたしの手を引いて、ぐいぐい歩みを進めていく。


 連れてこられたのは祭壇の前だった。ヒトや動物の骨が部屋を囲み、石造りの段差の上には血で書かれた魔法陣とそれを囲む蝋燭があった。


「さぁ、ミア。ワタシのミア。《死霊転生》の魔法を唱えて。ワタシの願いを叶えてくれる?」


「はい、かあさま」


 そうしてわたしは、リッチーになりたいという強い願望を持ち、の役に立ちたいという強い自分の意思で、自身をアンデッドへと創り変える《死霊転生》の魔法を唱えた。

 教会に禁書と指定された【死者の書】。そこに記された禁忌の魔導。

 それを唱える意味も、結果も。当時のわたし真なる意味で理解してはいなかった。


 唱えている最中の記憶はない。憶えているのは、詠唱の終わった後。


「ああ……あぁぁ――!」


 倒れるわたしの顔を覗き込んで憤怒する、目も鼻も口も耳も髪も眉毛もまつ毛も肌もシワもある、の顔だった。


「ない、ない、なああいいぃッ! 顔がぁ、皮膚が! なぜ、なぜ! 腐敗を防ぐ手段は用意していたけど、これじゃあそもそも何も意味ないじゃない! ああ……なぜぇ………」


 に何か言おうと、声を出そうとした。顎の開閉はいつもより重く、カタカタと変な音がして、声は発せられなかった。

 はそんなわたしを見て、一層強く怒り、平手でわたしを打ち付ける。わたしの軽くなった身体は吹き飛び、部屋の隅の骨にぶつかり、またカタカタという音がした。

 動けなかった。転生直後で操りにくい自分の身体よりも、ぶつかったことで自身の一部が欠ける喪失感よりも、の期待に応えられなかったのだという事実が、何より重く感じたのだ。


「失敗ぃ……失敗! 失敗作だぁ! オマエは、失敗作ッ! そのまま、骨の山に埋もれていろぉ!」


 そう言って立ち去る。あとに残されたわたしは、言いつけ通り動かずにいた。

 空腹にもならず、痛みも温度も感じない身体。ただ倒れたまま動かず、ずっと待った。が帰ってきて、またわたしを求めてくれるのだと信じて。



 どのくらいの時が流れたのだろう、声を聴き、意識が再び浮上するのを感じた。


「ここは、祭壇、でしょうか……」


 初めて聞いた、のものでも彼のものでもない、男性の声。


「動かないが……生きている? 子供の、アンデッド……」


 わたしを見つけたのは、ローレアン教の司祭だった。

 その人物に無理やり連れ出され、な教育を受け、ターナーという姓を授かることになる。


 わたしはその日、初めて道具からヒトになり――自分がとうの昔に正道から外れてしまったのだと、ようやく知った。


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