59話 ミア・ターナー
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アンデッドでなく平人だったころ、わたしはヒトではなく道具だった。
幼いころのわたしの世界は、四方が壁で囲まれた狭い部屋だった。
窓のない石造りの壁、光は天井から吊られた魔導照明の弱々しい明かりのみ。自身が立てなければ音もない。玩具もなければ家具もない。そんな部屋だった。
物心つく頃にはそこにいた。
外界とのつながりはなく、森も、山も、海も、町も。外に広がる何もかもを知らなかった。
そんなわたしの狭い世界で、最も幸福なひと時が
「さあ、今日も魔法のお勉強の時間よ」
「はい、かあさま」
「イイ子ね。……イイ子だから、早くワタシの役に立ってね。それが、あなたの存在意義なのだから」
「はい、かあさま」
わたしにとって、絶対の
そう思っていた。なぜなら、比較対象も存在せず、彼女の教育だけがわたしを形作っていたのだから。
一日のうちで
魔法を学ぶことは好きだった。幼いわたしは魔法の学習に精一杯取り組んだ。
――それ以外に、
そんなある日のことだ。
「――《
氷魔法で作り出した氷塊、そこに照明の光が当たり、何かを反射していた。
魔法の詠唱を維持しながら、凍壁に注視してみれば、映っていたのは、
「……かあさま? ううん、ちがう……。わたしだ。これが、わたし……」
初めて見る、自分の顔だった。
目も鼻も口も耳も髪も眉毛もまつ毛も肌もある、顔だった。
淡青色の真っ直ぐな長髪、藍紫色の瞳、真っ白な肌。個々のパーツを比較すれば
なのにどうして母の唇はあんなにも紅く、自分の唇は薄い色をしているのだろう。
そんなことを思っていた。
実際のところ、
しかし、きっと彼女が実
本当は優しい家族がいて、愛されていて、どこかでわたしのことを今も思っている。
――なんて、都合のいい話があるわけがないのだから。
食事の時間も好きだった。毎日同じ食材ばかりを使った料理で、おそらく何らかの薬品も混ぜられていたが、数少ない刺激を得られる機会だったからだ。
――この空間以外での食事の味をわたしは知らない。
食事を運ぶのは、中肉中背の陰気な男だった。
わたしが地べたで料理を食べている最中、彼はただ座って私の隣にいて、食べ終わった食事を片づけて部屋を出ていく。
石の分厚い扉を閉める間際、いつもわたしの方を一瞬振り返り、悲しそうな顔をして去っていった。
彼とは食事の度に顔を合わせた。
彼はきっと、普通の人間だった。
本来であれば、こんな
わたしを憐れみ、
そんな彼が出来たのは、ごくたまにわたしに向かって一方的に話しかけること、種類の少ない食材から味や見た目を工夫して料理を作ることという、ほんの僅かな反抗だけだった。
ある日、彼が珍しく話しかけてきた。
「……その、おいしいかい?」
コクリと頷く。
その日の食事はそれまで感じたことのない味がした。きっとあれが甘みなのだと思う。
「また、食べたいか?」
コクリと頷く。
「そっか……分かった。頻繁には……無理かもしれないけど、また今度、たべさせてあげるよ……あ、えっと、お母さんには、内緒、な」
コクリと頷く。
頷いたわたしの頭に彼は恐る恐る手を伸ばし、ゆっくりと頭を撫でた。わたしに触れる彼の手は、温かかった。
翌日のこと。
「ミア、ミーア。ワタシのかわいい子。教えて。あの男が、何か、した?」
内緒と言われていたが、わたしは包み隠さず全てを話してしまった。わたしにとって絶対の存在である
その日以来、彼を見たことは無い。食事は、スケルトンが運んでくるようになった。料理は、わずかな工夫の跡があれど所々失敗の目立つ、不格好なものになっていた。
ある日、何の気なしにそのスケルトンの手を握ってみた。骨だけのその手は冷たかった。
こちらを見返す、目も鼻も口も耳も髪も眉毛もまつ毛も肌もないその顔は、今のわたしにそっくりだった。
自分自身や着ている服をまとめて清潔にする、冒険者に人気の魔法だ。母の言いつけで、わたしは日に何度もこの魔法を唱えた。
その他に教わったのは、氷魔法や風魔法。
そして、死霊術。
来る日も来る日も魔導と向き合い、かねてより言い渡されていた《死霊転生》の魔導を完成させられたのだ。
「ミア、イイ子ね。よくやったわぁ! これであなたは生まれ変われるの。リッチーに。嬉しいでしょう? だって、ワタシがこんなに嬉しいんですもの」
「はい、かあさま!」
「ああ、もう少し時間がかかると思っていたのだけれど。もし完成しても、ミアが成長するまで待つつもりだったのだけれど! もう待てない! 待てないわ!」
初めて部屋の外の世界へ飛び出したわたしが見たものは、壁にかかった蝋燭が照らす殺風景な通路だった。
初めて見る蝋燭。そこで揺れる炎に目を奪われるわたしに構いもせず、
連れてこられたのは祭壇の前だった。ヒトや動物の骨が部屋を囲み、石造りの段差の上には血で書かれた魔法陣とそれを囲む蝋燭があった。
「さぁ、ミア。ワタシのミア。《死霊転生》の魔法を唱えて。ワタシの願いを叶えてくれる?」
「はい、かあさま」
そうしてわたしは、リッチーになりたいという強い願望を持ち、
教会に禁書と指定された【死者の書】。そこに記された禁忌の魔導。
それを唱える意味も、結果も。当時のわたし真なる意味で理解してはいなかった。
唱えている最中の記憶はない。憶えているのは、詠唱の終わった後。
「ああ……あぁぁ――!」
倒れるわたしの顔を覗き込んで憤怒する、目も鼻も口も耳も髪も眉毛もまつ毛も肌もシワもある、
「ない、ない、なああいいぃッ! 顔がぁ、皮膚が! なぜ、なぜ! 腐敗を防ぐ手段は用意していたけど、これじゃあそもそも何も意味ないじゃない! ああ……なぜぇ………」
動けなかった。転生直後で操りにくい自分の身体よりも、ぶつかったことで自身の一部が欠ける喪失感よりも、
「失敗ぃ……失敗! 失敗作だぁ! オマエは、失敗作ッ! そのまま、骨の山に埋もれていろぉ!」
そう言って立ち去る
空腹にもならず、痛みも温度も感じない身体。ただ倒れたまま動かず、ずっと待った。
どのくらいの時が流れたのだろう、声を聴き、意識が再び浮上するのを感じた。
「ここは、祭壇、でしょうか……」
初めて聞いた、
「動かないが……生きている? 子供の、アンデッド……」
わたしを見つけたのは、ローレアン教の司祭だった。
その人物に無理やり連れ出され、
わたしはその日、初めて道具からヒトになり――自分がとうの昔に正道から外れてしまったのだと、ようやく知った。
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