56話 不浄

 ロディとレアードは教会を抜けだし、村内の道を走っていた。

 辺りを見渡しても人影はなく、焼け跡こそあれども得ている家屋は見当たらない。村中で上がっていた火の手も既に消し止められているようだ。


 日は沈みかけ、時折聞こえるのは天馬の羽音のみ。

 出掛けにみた教会の鐘は、敵の首魁が倒れた今も変わらずに音もなく振れていた。


「あの……」


「うん?」


 静寂を破り、少し後方を走るレアードが口を開く。


「なぜナディアさんではなく、僕を連れてきたのですか?」


「そう、だな……」


 なぜ、と問われれば、一番大きな理由は――


「レアードさん、気づいてただろ? だから連れてきた」


 神父の害意に、あるいはミアの正体に。


「……分かりますか」


「ああ。眼が良すぎるからな。あんたも、そうなんだろ?」


 ロディは走りながら後ろに視線を向け、レアードの『眼』を強く見据えて魔眼を解放する。

 両目の奥がわずかに痛み、すぐに変化は現れた。


 左目にかかるモノクルの奥、色素の薄い銀色をした瞳が、ほんの僅かに色味を帯びる。ロディのそれと変化の度合いが大きく異なるが、魔眼とみて間違いないだろう。

 ――いつだかアランに教えられた魔眼の共鳴作用が、こんなに早く役に立つとは。


 レアードは小さくため息をつき、話し出す。


「僕の眼は、魔眼のなりそこないのようなものです。せいぜいが、魔力の強弱を視覚で判断できる程度。語るほどのものではありません」


「じゃあ、他に気づいた理由があると?」


「いえ、まぁ、あからさまでしたしね。聖職者があのような態度をとる存在に心当たりがあった。それだけです」


「はぁ。なるほど」


 何か釈然としないものを感じつつも、ロディは取りあえず適当な返事を返す。

 あからさまと言われれば事実その通りだ。教会に近づくごとに体調を悪化させていたミアは、明らかに魔封の鐘の影響を受けていた。鐘が止んだ途端に強力な魔法を使えるようになったのも、そういうことだろう。

 その上、ゴブリンやオークなどよりも聖職者に憎まれる存在となれば、レアードのように豊富な知識を持つ者なら対象を絞り込めるのかもしれない。


 理屈の上ではそうなのだろうが、どうしても何か引っ掛かる。悶々とした気持ちを掃うように、頭を掻いて真上を見上げると――


「……え?」


 木造の家屋、その屋根の上で、何かが揺らめいた。ほんの一瞬、それはまるで陽炎のように、ゆらりと、何かが。


「レアードさんっ! あれを!」


 上へ向かって指をさし、レアードに見るように促す。そこには脅威やも知れぬ存在の伝達と同時に、ロディ一人だけでなく彼もことが出来たならば、という期待もあった。


「――っ! は、はい!」


 レアードは驚きながらもスリングショットを構え――首を傾けて、困惑した様子でロディに尋ねる。


「……? 何かが、いたのですか?」


「ああ。確かに何かがいた、と、思うんだが……」


 既にロディの視界からも『何か』の存在は消えていた。その場には痕跡一つなく、見間違えだったのかもしれないという気さえしてくる。


(追う、べきか? あれが魔物だとするならば、まだこの村内に脅威が潜んでいるかもしれない)


 とはいえ、本気で姿をくらまされた場合、追ってあの謎の存在を見つけられるとは到底思えない。

 そして悩み込むロディを諦めさせるように、事態が動き出す。


 何かがいた方向の正反対に建つ民家の向こうで、目を焼くような強烈な輝きが放たれたのだ。


「……聖属性の、攻撃魔法の光です」


「くそ……行こう」


 民家の横を抜け、光の方向へと走る。それからそう時間はかからずに、行方知れずであった二人は見つかった。


「く、ぅ……」


 小さく呻き、地面に座り込んでいるミア。顔を覆っていたはずの白い仮面は二つに割れ、一方は地面に、もう一方は落ちぬようにと、黒い手袋をはめた手で押さえられている。


 対する白衣の神父は、彼女のそんな様子を冷ややかに見つめている。


「何を、して、いるんですか」


 そう問うロディの声は、きっと震えていた。


「…………ああ、冒険者様ですか。ご心配なく。ただ、不浄な者を祓うだけですので」


 そう言ってこちらに優しく微笑みかける神父の顔には一片の曇りすらなく、苦しむ少女にかける情など存在しないことを真に示していた。


「――ッ、わたしはっ! 人間です! この身がいくら穢れていようとも、心は――」


 立ち上がり訴えかけるミア。その言葉を全て聞くこともなく、伸ばされた神父の指先から閃光が放たれた。


「あっ……」


 光をその身に浴び、少女はまるで質量を有する物体にぶつかったかのように倒れ込む。

 手のひらから割れた仮面が零れ落ち、隠されていた顔が露わになった。


 同時、神父の奥底で滾っていた激情が露出する。


「――抜かせえッ! アンデッド、リッチー!! 神の愛を捨てた罪人が、あまつさえを語るなどと烏滸おこがましいわァ!」


 ミアの顔は雪のように白く、そこにあるべき目が、鼻が、皮膚が、存在しなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――神の権能を侵すべからず。他者を妬み嫉まずに、己の生を全うすべし。


 後に、ロディがレアードから伝え聞いた話。

 ローレアン教の教義には、生物は不老と不死が両立してはならないという教えがあるそうだ。

 これは平人にとどまらず、それより寿命の長いハーフリングやドワーフなども同様である。

 神の愛を受けた我々は、皆天寿を全うすることが叶うのだから、その生を甘んじて受け入れ精一杯生きていこう、と。


 同様に、その生のうちで自ら生まれ変わることも許されない。

 例えば、寿命を延ばすべく平人がエルフに転生しようと行動することは途轍もない禁忌なのだ。


 そして、ヒトの手で新たな生命、魔導生物を創造することは許されない。

 これは生命を司る主神ローレアンへの冒涜に当たるためである。


 人の枠組みを抜け、魔導生物、アンデッドと化すことは、最も簡単に大きく寿命を延ばす方法であり、最も容易く最大級の三つの禁忌を破る方法だと言える。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 神父は瞑目しながら大きく息を吸い、吐き出す。そして目を開けた彼の顔は、全くの無表情であった。


「認識阻害の魔法があったとて、この村に貴様の侵入を許したのは私のとがだ」


 神父が天に手を掲げると再びその手に光が集い、どこか懐かしさすら感じる温かい気が辺りを包む。――ロディにとっては安心感を与えるそれは、ミアにとっては劇毒だ。


「疾く去ね、不浄」


 神父は球状となった光を、そっと放るようにして手放す。穢れを祓う聖なる光は、俯いて動かないミアへとゆっくり、ゆっくりと迫り――、


「――っ、おおおおッ!」


 ロディの身体が、動いた。動いて、しまった。

 アンデッドだの何だの、今のロディには何も分からない。髑髏しゃれこうべの表情など読めるわけがない。

 この世界に迷い込んだだけの外様が、手を出していい場面な筈もない。


 ただ、どうしても、見てみぬふりが出来なかった。

 初めて出会った時の一人きりの背中が、ずっと小さな声で話していた彼女が放った必死な叫びが、断罪を黙して受け入れようとする今の姿が、それらの全てが、見限ることを許さなかった。


 二者の間に割って入り、鞘から引き抜いた刃を祈りながら振り抜く。

 閃光そのものに向かって銀光が走り、その核ごと光球を二つに裂いたとき、あれほど眩しかった光は、一瞬にして霧散した。


「なんで……」


「君が、寂しそうに見えたんだ」


 ミアの消え入りそうな小さな呟き、それに応えるロディの声もまた、同様だった。

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