53話 無明

 ナディアを抱えたロディは味方と合流し、敵からの距離をとったことを確認して腕から彼女を下ろした。


「大丈夫か?」


「うむ、なかなか良い乗り心地だったぞよ」


「あーハイハイ、左様にございますか」


 腕で受け止めたとはいえ、小柄に過ぎる彼女の体を襲ったのは家の二階ほどの高所からの落下だった。

 危険な役回りをさせてしまった負い目もあり、ロディの先の言葉は気を遣うつもりでの質問だったのだが、冗談を言っているところを見るに心身ともに戦闘への差し障りはないようだ。

 おどけるナディアを適当にあしらいながら、ロディは背後、敵の首魁らのいる方向へと向き直る。


「ギィ、ギギガアァァ!」


 奇声を上げて地面をのたうち回るのはゴブリンの魔導士、レッドキャップだ。胸を貫いていたナイフは傍らに転がっており、傷からはドクリ、ドクリと黒みの強い血液が流れ出ている。

 適切な処置か、あるいは回復魔法でもない限りは十数分ほどで死に絶えるだろう。

 よって、このまま戦線離脱――となれば良かったのだが、どうやらそうもいかないらしい。無様に喚き散らしながらも視線はナディアを絶えず捉え続け、瞳は憎悪を滾らせている。


「追撃を――!」


 槍を構え直し、突撃をかけようとするフィオナをロディは手で制止する。ロディの顔を覗き込むフィオナの目は、一体どういう意図なのかと聞きたげだ。


「デカい方はまだ健在なんだ。本気で守られたら、全員がかりでも小さい方は討ち取れない。警戒もされているだろうし、もう奇策も通じないと思う。それに――」


 飛来する火の魔石を左手の金棒で雑に捌きながら、ヘルオーク・ヒーローが足元のレッドキャップを回収しようと右手を伸ばした、その時。


「時間だ」


 皆の頭上、教会の頂上で、それまで無音を貫き通していた鐘が一度だけ、澄んだ高音を響かせた。曰く、【魔封の鐘】の効果が切れた合図だ。

  直後、突如として周囲の家屋や地面が凍りだし、真冬の夜中を思わせる冷気が辺りを包み込む。


 鐘の音に気を取られ、手を伸ばしかけたまま静止していたヘルオーク・ヒーローは我に返り、急いでレッドキャップを鷲掴みにして地面から引き上げようとするが、その行動は一歩遅れていた。

 大地より先端の鋭利な巨大な氷塊が突出し、握られたレッドキャップごとヘルオークの赤い腕を刺し貫く。

 オークの勇士は苦々しく顔を歪めながら金棒で氷塊の根元を叩きつけてへし折るも、巨大な手のひらには風穴が空き、レッドキャップは再度胸を穿たれ絶命していた。


 足元で再度せり上がろうとしていた氷を具足で踏み砕き、ヘルオーク・ヒーローは下手人に目を向ける。視線の先はロディの横、仮面とフードで顔を隠した魔導士、ミアだ。

 その所作に先ほどまでのぎごちなさは見て取れず、魔法の威力も圧倒的に増していた。彼女にとっての障害が消えたことに加え、雨露馬の魔法で周囲は水浸しであり、氷魔法が最大限活かされる環境が作り上げられていたのだ。


 なれば、ヘルオーク・ヒーローの狙いがミアに定まるのも必定だった。


 勇士は金砕棒を地面に突き立てて、転がっていたレッドキャップの亡骸を掴み上げ、そのまま流れるような動作で投げ放つ。三メートルの巨体から放たれる肉の砲丸は、赤い軌跡を描きながら直線上にいるミアへと向かった。


「ふ、あっ《氷閉アイス・バウンド》!」


 横飛びで致死球を避けながら、ミアは金棒へと魔法を掛ける。接地している先端から柄まで全てが透き通った氷に覆われ、一本の氷柱が形成された。

 されど勇士は動じた様子を見せずに、拳で氷を砕く。その後金棒をブンと一振りして残っていた氷を払い、肩に担いだ。


「来ますっ!」


 踏み出した勇士に反応したレアードの声と共にロディ達は散開、対する勇士は凍った大地を砕き、地響きを立てながら進む。


「《氷の壁アイス・ウォール》!」


「ゴオオオォ――!」


 ミアの詠唱に応じて、高い五枚の氷壁が出現するも、片腕での金棒の一振りによって全てが薙ぎ払われた。

 舞い散る氷片、崩れる氷壁。その影に紛れたロディは、振り抜かれた金棒目掛けて一撃を加える。


「はああぁッ!」


 放った斬撃は、再度金棒を回転させることで防がれる。以前と同様ロディの剣は弾き返されるが、ロディの顔には笑みが、その手元には確かな手応えがあった。

 ピシリと大きな音を立て、金棒に深い亀裂が刻まれたのだ。そしてこの時、恐れを知らぬオークの勇士は、この戦いが始まってから初めて、一歩退いた。


 レアードの放った火の魔石によって熱されていた金棒は、ミアの氷魔法により冷却されることで、既にロディが作っていた綻びが更に大きくなり、耐久力が著しく低下していたのだ。ロディはそこを突いた。


(あと一撃。それで、砕ける)


「合図を!」


 ロディはレアードに向けて叫び、追撃に転じた。地を蹴り、敵への距離を詰める。

 応戦する勇士の振りには先ほどまでの覇気はない。敵を寄せ付けないための浅い薙ぎだ。


 それも当然、両の手で武器を構えてこそいるが、右手は実質破壊されたも同然であり、添えているに過ぎない。その一撃は比べるまでもなく軽い。

 武器もひび割れており、全力の強打を繰り出せば自身の力で砕けてしまうだろう。加え、ミアの援護もある。


「――《氷槍アイスボルト》」


 迫る数多の氷の槍を捌きながら、オークの勇士はロディの武器破壊を阻止しなければならないのだ。

 ヘルオーク・ヒーローは攻撃の手を止め、防御に回っていた。


(だが、奴も狙っている。一撃でこちらを粉砕するカウンターの機会を)


 おそらくその一撃で獲物が砕けようとも、ロディさえ片付ければ無手でも全滅ができると踏んでいるのだろうか。

 勇士の視線は、ロディを強く意識していることを示していた。


 だが、ここで再び、この戦いを終わらせる終局の鐘がなる。


 レアードはロディの指示を聞き、空に火の魔石を放っていた。その合図は、教会にいる神父に向けたものであり、再度【魔封の鐘】を鳴らすためのものだ。

 先の高い音色とは違い、重く低い音が一度だけ鳴り響き、ヘルオーク・ヒーローの動きが目に見えて鈍る。レッドキャップが死に、魔封じを防ぐ手立ては彼にはない。


 なれば勇士はどうするか。ここでの彼の選択は、攻撃だった。


「ゴオオォォ――!」


 勇士は思う。敵は自分の力が弱まったこの瞬間を好機とみて、踏み込むだろうと。その瞬間を狙い、叩き潰さんとした。


 そして、その思考をロディは読んでいた。

 故にこそ、勇士の放った全力の振り下ろしに、ロディは真っ向から受けて立つ。


『どうせなら、技に名前でも付けたらどうですか。――学の無いアナタの代わりに、ワタシが考えてあげますよ』


 無駄な一言と一緒に貰った、技の名前。結局、彼女の前でその名を叫ぶことはなかったけれど。


「――無明斬ッ!!」


 その瞬間、ヘルオーク・ヒーローの目には、ロディの握る剣が消失したように見えた。



 相手の予測を逆手に取り、刃が揺らいだように錯覚させるロディの技、【揺らぎの剣】。【無明斬】とは、言わばその応用版だ。

 見えているはずなのに、聞こえているはずなのに、無意識のうちにそれを無視してしまい気付けない。そんな現象を誘発させる。

 ロディが思うに、人の意識は波のようなものであり、驚愕、恐怖、緊張などで、その波は荒さを増していく。


 ロディの魔眼には、相手と深く関わるごとに、あるいは長く斬り結ぶ程にその波が明瞭に見えるようになり、波の荒立たせ方も自然と理解できるのだ。

 その意識の波間を縫うことで繰り出される、見ることも聞くこともできない知覚不可の斬撃。それが【無明斬】だ。


 当然、対峙する相手の剣を見失わせるほどの波を起こすには相応の時間がかかる。並の相手なら二合で片がつくロディにとって、この技を使うのは、何度も立ち合いを重ねたオズワルドを除けば初めてのことだった。



 ヘルオーク・ヒーローの意識は仲間が斃され、【魔封の鐘】が再度発動したことで強く揺さぶられていた。

 そこに、予想外の反撃が合わさり、【無明斬】を使う土台が整った。


 オークの勇士は腕を引き、攻撃から防御に転じようとする。――彼はロディを警戒しすぎていた。体格差とレベル差がある二者が打ち合えば、どうなるかは自明のはずだった。

 にも拘らずロディが反撃の姿勢をとり、見えぬ剣を繰り出したことで、これは自身の一撃をも上回る必殺の技なのではないかと誤認した。


 そうして、勢いの落ちた金棒と渾身の力を乗せた鉄剣が打ち合わさる。金棒の全体に亀裂が走り、柄の部分だけを残してバラバラと砕けて落ちた。だが、ロディは止まらない。


「おおおぉぉ――!」


 雄たけびを上げ、返す刃で勇士の手首を斬り裂いた。血しぶきが舞い、腕の先が斬り落とされる。勇士は驚嘆しながらも、残る右手で血の滲む拳を握り、ロディへ向けて振り下ろした。


「グガアアァァ――!」


 砕ける大地、舞う砂ぼこり、されど勇士に手応えはなく。


「はぁッ」


 ロディは通り抜けざまに手首を斬り裂き、一筋の赤い線を描いた。その勢いのまま巨体の足元に入り込む。その時、背後から声が聞こえた。


「《加速クロックアップ》!」


 風と共に現れたフィオナは、加速する勢いのまま短槍を自身の上、右脚に向けて突き出した。それに合わせ、ロディも左脚の膝裏へと刃を振るう。


「グ、ロオォォ……」


 両足同時に攻撃を受けたヘルオーク・ヒーローは、左足が支えを失って崩れ、突きを受けながらも右足で踏ん張りをかけようとするが、フィオナの二撃目に耐えられずそちらも崩れた。

 しかし、そのまま地に伏せることはなく、勇士は両腕の肘から先を支えに四つん這いの姿勢で耐え、ぐぐと体を押し上げようとしている。


「ロディくん、屈んで!」


「……?」


 左方からのナディアの声に、何故と疑問を感じながらも従えば、


「とうっ」


 肩に衝撃が走り、自分の上を跳ぶナディアの影が見えた。追って、踏み台にされたのだと理解する。


「なっ! ……はぁ、決めろ、ナディア!」


 ナディアはニッと笑って巨体の上を駆け抜け、勇士の首に真銀の刃を這わせる。


「ボクらの、勝ちだぁッ!」


 赤い飛沫が舞い、遂に勇士が地に倒れ伏した。

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