47話 エゴ

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 ――この立ち合いで、初めて敗北を喫したのは何時だったろうか。


 修練場の床を蹴り、俺は相手の懐へと詰め寄る。初撃で刃を砕き、即座に勝負を決めるために。

 なぜなら、もはや自身は挑戦される立場になく、挑む立場だ。


「…………」


 対戦相手である空色の頭髪をした騎士、オズワルドはどこか冷めた眼差しを送りながら、悠然と剣を構えた。

 その立ち振る舞いが以前の自分自身と重なり、知らずのうちに剣を握る手に必要以上の力がこもる。



 ――隣国との戦争が終結し、怪物どもの侵略が始まって一年と半年ほど。戦争終結の立役者であり、英雄とたたえられた【壊刃の騎士】の名声は、すでに地に落ちた。

 近衛となった俺は大進行の後、王女アイリーン・アルセイム、及び王城の警護を担うことになり、例え魔物との戦闘が起ころうとも戦いに出ることが許されなかったのだ。

 平民出身なのに護るものは王国貴族のみ、所詮は王家の犬か、などと民衆に蔑まれるようになったのも仕方がないことだろう。


 そんな俺に変わって名を上げたのが彼、オズワルド・ダンフォードだ。

 大進行の後も戦場で剣を振るい続けた彼は数多の屍を築き、その剣才をさらなる高みへと昇華させていった。このアルセイム王国で初めて魔法を扱えるようになったのも彼だ。


 日の目を見ることが無くなった【刃砕き】や戦死した【兜割り】に代わり、【炎閃の騎士】オズワルドは、アルセイム王国に生きる人々の希望となった。



「はぁッ!」


 下段から振り抜くようにして、木剣の【核】を狙った一撃を繰り出すも、いとも容易く受け流される。


 ――何時からだろう、刃を砕かねば勝利を収めることが敵わなくなったのは。刃を砕くことすら出来なくなったのは。


 オズワルドは身を翻し、俺の身体の側面向けて刃を突き出した。俺は身を屈め、刺突された剣身を狙い、下部から木剣を叩きつける。


「くっ――」


 押し返す心算で有らん限りの力を込めたが、直線だった軌道が僅かに歪曲するだけに留まり、顔の横を刃が掠めた。


 ――打ち合った木剣の重みが、自身のそれを上回ったのは何時からだ。


 刃を払いながら飛び退いて間合いを取れば、オズワルドは空いた手を虚空に掲げ、

 

「――《炎槍ファイア・ボルト》」


 詠唱と共に形成された炎が唸りを上げて、槍の如く鋭利に、敵を穿たんと迫る。


「はぁぁッ――!!」


 大きく息を吐き、炎の槍目掛けて袈裟斬り。刃が魔法の核を断った瞬間、初めから何も無かったかのように炎が霧散する。

 魔法の核を砕けば、摂理を無視した奇跡の力は無に帰すと、俺は彼との立ち合いで知った。


 次の手を見極めようと、じっと彼を見据えれば、


「なぜ……」


 弱弱しく震える声が、俺の耳を打った。

 その言葉には、その表情には、行き場のない憤りや悔しさが、悲しみが、浮かんでいて。俺は、その理由を分かっていたけれど、気づかないふりをして。

 居ても立っても居られぬ焦燥に身を任せ、再度オズワルドとの距離を詰める。


「ぜやぁッ!」


 斬り、突き、払い、降ろし、剣戟を重ね、斬り結ぶ。

 だが、こんなものは剣速と剣筋を相手の目に馴染ませるための、いわば前座に過ぎない。


 人の目には、ほんの僅かに先の未来を見る力が備わっている。それまでの経験から、物体の動くスピードや軌道を予測しているのだ。

 その力を逆手に取り、相手のして、ズレた一撃を繰り出すことで感覚を狂わせ、まるで剣身が揺らいだように錯覚させる【揺らぎの剣】。


 オズワルドとの立ち合いの中で、編み出した俺の技だ。

 単体ではして脅威になり得ない技だが、相手の想定からインパクトのタイミングを外すことで、核の破壊を容易とする。


 しかし、


「――私の刃は、二度と砕けませんよ」


 オズワルドは真っ向からの迎撃を止め、俺の剣を上段から打ち付ける。

 木製の刃と刃が打ち合い、バキリと鈍い音を立てて、片の刃が沈み込み、――俺の剣が、二つに折られた。


 衝撃で下がる腕に引きずられるようにして、俺の膝が気付かぬうちに地に着いていた。

 俺の首元に添え当てた刃を、オズワルドがゆっくりと引いていき、収める。その姿を見て、ああ、自分は負けたのだと、遅れて実感が湧いた。


「また……俺の負けか」


 そう、まただ。白星しかなかったはずの戦績は、大進行から数か月も経たぬうちに初めて黒星がつき、いつしか敗戦の方が増え、遂には黒星ばかりが並ぶようになった。


 身体能力でも、純粋な剣技でも、【刃砕き】でも、【揺らぎの剣】でも、【無明斬】でも、届かない。

 その努力と才能を評価する一方で、どこか見下していた相手は、俺が高みだと思っていた場所を踏み越え、さらに先へと進んでいたのだ。


「なぜ……なぜですか、ロディ!」


 そこまで平静を装っていたオズワルドが、我慢ならないといった様子で吠える。


「貴方は強い! そんなことは、私が! 誰よりも知っています! なのになぜ、前線に出ずに、こんなところで燻っているんだ!」


「それは……俺は、王家の近衛で、王都から出ることを許されては――」


「ええ、確かに大進行の直後はそうだったかもしれません。【兜割り】が討ち死にし、王族や貴族は【刃砕き】という戦力が遠くに離れることを恐れた筈だ。ですが――今の貴方には、そこまでの価値はない」


 その通りだった。

 オズワルドのように、前線で戦い続けた者たちは人としての限界を超えた。

 大進行の直後に比べ、俺の価値が相対的に下がっていることは火を見るより明らかだ。


「強く嘆願すれば、彼らも首を縦に振るでしょう。――前線で戦い続けるうちに、私は強くなりました。貴方を下せるほどに、です。ならば、貴方が同様に前線へ出て、力を蓄えたのなら、再び【壊刃の騎士】の名が国中に轟くはずだ」


 前線の兵士たちに発生した飛躍的な身体能力の向上や魔法などの異能の発露は、無意識のうちに倒した敵から力を吸収している故ではないか、という仮説が立てられていた。


 ――そして、その仮説は正しかったことが、異なる世界に来て証明された。

 つまるところ、オズワルドは俺がレベルアップすることを期待していたわけだ。


「貴方がいれば、助かったかもしれない命が、助かるかもしれない命が、あるんだ!」


 オズワルドは腰を落として、膝をつく俺と目線を合わせ、両手で肩を掴んで訴えかける。

 完璧主義で、見栄っ張りな彼が、ここまでの激情を露わにしたのは、初めてのことだった。


 なのに――


「……無理、だ。俺は、俺は、もう……遠く、手の届かない場所で、何かを失うことに、耐えられないんだ……。もし、俺が戦いに出ている間に、アイリに――姫に、何かがあったなら、俺は二度と、立ち上がれない……」


 ――俺の口をついて出た答えは、醜く歪んだエゴの塊だった。


「そう、ですか……」


 その呟きには、隠しきれないほどの失望が含まれていた。

 オズワルドは俺の肩を掴んでいた手をどけて、ゆっくりと立ち上がり、


「……近く、怪物と渡り合えるだけの精鋭を集め、こちらから攻勢に出る作戦が立案されています。ですから、もし貴方が、私を――」


 不自然な停滞、続く言葉は紡がれず、彼は目を伏せて、こちらに背を向けた。


「いえ、忘れてください。……私が不在の間、王都を、頼みます」


 歩き出したオズワルドに、俺は何も言葉をかけることが出来ず、ただ遠ざかる背を見送るのみで。

 ふと視線を落とせば、床に散らばる木片が、無様な俺自身の姿を映しているような気がして、見えない様にと、強く、強く、握り込んだ。



 ――結局、俺はただ近くにいただけで、守ることなんて、出来はしなかったんだ。



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