46話 行き、帰る

 蹄鉄ていてつが地を叩き、荒れた村の中を人馬が駆け抜けていく。

 馬上の風をどこか懐かしく感じながらも、ロディは左手で手綱を握り、右手を剣の柄に当て、急襲に備える。


 ――現在、ロディは青いたてがみのロバ、雨露馬うろばの背にまたがり、西門へ向けて移動している最中だ。

 目的は、今も西門付近で戦闘中と思われる魔導士を教会まで連れていくこと。


 南門を防衛していた村人の話によると、当初彼女は村人たちと共に南門を守護していたが、ある程度敵を間引いたところで西門の援護に向かったらしい。

 その後残った村人たちは南門を攻めていた魔物の集団を退け、他の村人の避難を手助けしながら教会へ向かったそうだ。


 フィオナや村人から聞いた話を纏めると、南門は敵の攻勢を退けたものの、北門と東門は防衛に失敗。村の中にいる魔物の多くはこの二つの門から侵入したと思われる。

 西門からは避難民こそ来れど魔物は来ず、されど門を防衛していたはずの冒険者たちの姿は見えないことから、西側は未だに交戦中なのではないか、ということらしい。


 多くの村人を乗せた馬車が機動力を損なうことは想像に難くない。また、村から逃げおおせたとしても道中で野生の魔物に出くわすと予想される。

 よって、遠距離攻撃や氷壁での防御が可能な魔導士が居ることが望ましい、という話になった。

 ――唯一安全が確保されている南門の出入り口が、彼女の魔法で塞がれてしまっているのも、件の魔導士が必要な理由である。


 幸い現状の戦力でも籠城が成し得ており、わざわざ馬車を出さずとも、彼女を連れ戻すことであわよくば敵を撃退することも可能かもしれない。

 そんな期待もあり、ロディは驢馬を借りて、単身救助に向かっているわけだ。


(なんにせよ、責任重大だ。――失敗は許されない)


 村の厩舎きゅうしゃは北門側にあり、もう使える馬はロディが駆る雨露馬うろばのみだ。絶対に失えない上に、迅速に教会へ戻る必要がある。

 そんな大役を任されたことは誇らしくもあり、同時にプレッシャーも重く伸し掛かる。


『まぁまぁ、失敗しても、皆一回おっんじまうだけでさあ。気楽にいって下せえ』


 などと商人には言われたが、無理だろう。少なくとも、ロディには土台無理な話だった。


「それにしても……」


 周囲を警戒しながら進んできたが、ここまでの道のりで魔物の姿はほとんど見かけなかった。


 ――つまり、件の魔導士はそれだけ多くの敵を抑えているということなのだろう。


 そのことを意識する度、手綱を握る手に強く力を込めてしまう。焦りが益を生み出さないことなど知っているはずなのだが、やはり自分は未だに心の制御が不得意なのだろう。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――初めに感じたのは、僅かな肌寒さだった。


「《氷の壁アイス・ウォール》!」


 駆けつけた先の光景は、最悪の想定よりは幾分かマシな状態であり、されど最良とは程遠い。


 ――驢馬から飛び降りる。


 村を囲む高さ三メートルほどの石壁、その向こうから飛来する火球や武具、そして矢の雨。

 それらを魔法や足運びで器用に捌き、石壁の上で大立ち回りを演じているのは、黒いローブを身に纏い、白い仮面を付けた背の低い魔導士――事前に聞いていた通りの奇怪な格好だ。

 素肌は一切晒しておらず、外見的特徴から性別を判断することはできないが、声音から察するに恐らく十代前半の女子ではないだろうか。


 そんな彼女は、今まさにその生を終わらせようとしていた。


 ――石壁の上へと昇る階段を一足飛びで駆け上る。


「――――《氷槍アイス・ボルト》ッ!」


 仮面の少女は敵へ向けて杖を翳し、懸命に叫ぶも、氷の影は露ほどもなく、一瞬手を中心として魔力が迸るのみ。

 魔法に疎いロディであっても、魔力が枯渇している状態だと容易に想像が付いた。


 ――こっちだと、少女へ向けて叫ぶ。


 疲労が限界に達したのか、あるいは抗う気力を失ったか、少女はその場に膝をつき、小さく項垂うなだれる。

 手袋を嵌めた手から杖が零れ落ち、カラン、コロンと転がって、壁の内側へと落下した。


「また、一人……」


 ――声は届かない。ならば、


「なら……私は――」


 ――腰を低くして、小脇に抱えるように、少女の身体を持ち上げる。


「え……?」


 小さく声を漏らし、仮面がロディの顔を覗き込んだ。


「――間に合ったッ」


 ――安堵と達成感に思わず声を上げたが、まだ危機を脱してはいない。


 左手の剣で降り注ぐ矢を弾きながら、ロディは壁から下へと飛び降りた。耳元を矢が掠めていく感覚を味わいながら、両足をそろえて着地。

 足腰に強い衝撃が走るが、即座に壁際にしゃがみ込み、矢の雨をやり過ごした。


 ――ここで、違和感。軽い。驚くほどに。


 到底背が高いとは言い難いこの少女だが、元より背が低い種族のナディアよりは勝っている。にも拘らず、ナディアに比べ余りに軽いのだ。


 一瞬肉体の一部を失ったのかと考えるが、そんな様子はない。いや、手に伝わる感触から考えれば、これはまるで――


「だれ、ですか……?」


 小さな声に、思考を中断される。――そうだ、今は考えるよりもやるべきことがあるだろう。


「ロディだよ。ロディ・ストラウド。君は?」


 矢の雨が止んだことを確認して、近くまで寄って来てくれていた雨露馬の背中に少女を乗せる。ふと地面に転がっていた木の杖が視界に入り、忘れぬうちに回収した。


「ミア、です。あの、何を……」


「決まってるだろ?」


 そう言いながら、自身もロバの背に跨り、


「――逃げるのさ!」


 背後から聞こえる魔物の怒号を無視し、ロバに発進の合図を出して、来た道を駆け戻った。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――ズシン、ズシンと重い足音が迫る度、皆の表情が段々と曇っていく。

 きっと、彼らの横顔を眺めているレアード自身もまた、そうだろう。


 誰もが一様に口を開かないのは、あの魔物が自分たちには対処不可能な相手だと、本能に告げられているからだろうか。


「……アレ、かなりマズいんじゃないかい?」


 ようやく口火を切ったのは、ハーフリングのナディアだ。今まではどこか状況を楽観視していた様子の彼女だが、今回ばかりはそうもいかないらしい。


「ええ、とても厳しい状況です。……ロディさんを向かわせたことが裏目に出てしまいました」


 ――足音の主の名は、ヘルオーク・ヒーロー。

 その身長は三メートル強であり、ヘルオーク・エリートを上回る高い戦闘力と統率力を兼ね備えた怪物だ。

 身に纏う鎧はリーダーと同様に漆黒に染められているが、鎧に施された装飾やマントを羽織っていることから、より高い地位にいることが見て取れる。


 《鑑定》で記載されたレベルは52。絶望的な数値だ。


 生計を立てるという本来の意味での職業として冒険者を名乗る場合、それは一般的にC級以上の者のことを指す。そんなC級冒険者の平均レベルは30代中盤とされる。

 専門家、つまりプロとして認められ、一定の地位を築いた冒険者がB級であり、平均レベルは50前後。


 要するに、ヘルオーク・エリートを倒すためには、B級相当の実力者が必要なのだ。


 この場に残った者の中で最も強いのは、商人の彼だろう。だが、戦闘力はおそらくC級中位の冒険者相当。

 この場にいない迷い人の彼もかなりの実力者のようだが、本人によればレベルは20にも満たないらしい。


 いくら『魔封の鐘』があるとはいえ、この差を覆すことは出来まい。

 さらに、敵はオークの勇者だけではない。


「ギャ、ギャギャッ!」


 ヘルオーク・ヒーローの肩に乗り、楽し気に腹を抱えて笑う、皮膚が赤く、頭が肥大化したゴブリン、通称レッドキャップ。

 巨大な頭を笠に見立てて名付けられたそうで、同種の中でも特に魔導に秀で、知能も高い。

 レベルは42。こちらも難敵だ。


 このゴブリンは遠方より味方を呼び寄せる魔法、召喚魔法が扱えるらしく、家屋より背が高いヘルオーク・ヒーローは、突如としてこの場に現れた。

 通常のヘルオークやレッドゴブリンの襲撃も止まったわけではない。むしろ、増したと言える。


(まさか、ロディさんが離れるタイミングを見計らっていた? ですが、それ以外にもここを攻め落とす機会はあったはず……)


 なんにせよ、戦力が欠け、逃げるための騎馬も失った状態を攻められたことに変わりはない。


「私達が、時間を稼ぎます。あなた方は、村人を逃がす準備を」


「承りました」

「それしか、なさそうですなぁ……」


 紅髪の女冒険者と緑髪の男冒険者が前に進み出て、神父と商人に行動を促した。

 ロディが戻り次第、最悪戻らずとも逃げるための準備が必要だ。


「ロディくん、早めに戻って来ておくれよ……」


 ナディアの呟きに、レアードは心底同意の思いだった。

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