45話 同調

◆◆◆◆◆◆◆◆


 ――初めて人を殺した時のことは、今でも鮮明に憶えている。

 忘れようにも、忘れさせてくれないからだ。何度も、何度も、この夢を見る。



 傭兵団の一員として戦場に出た、当時十一歳であった俺の初陣。身を守る防具も無く、あるのは剣が一振り、そして己が身体だけ。

 戦の舞台は、戦火に焼かれた国境沿いの村であり、侵攻してきた敵の部隊を食い止めることが俺たちの役目だった。


「子供、か?」


 俺の目の前に立った人物は、そう小さく声を漏らした。

 新しい傷跡が見て取れる皮鎧、既に何者かの血を吸った様子の鉄剣。年の頃は二十歳前後か。

 鈍い灰色の髪は若干すすけており、顔からは疲労が見てとれた。

 恰好を見るに敵方の傭兵だろう。


 彼は直ぐにこちらを攻撃せずに、様子をじっと伺っている。

 俺は――


「ひっ……」


 ――怯えたかのような声を出し、剣の切っ先を震わせて見せた。


「……かわいそうに。見逃してやるから、はやく――」


 きっと、彼は良い人だったのだと思う。

 俺をこの村の生き残りとでも思ったか、あるいは若くして戦場に立たされた哀れな子供とでも思ったのか、彼はそう言って、俺から一瞬意識をそらした。


 ――それ見ろ。狙い通り、絶好のチャンスだ。


 そのタイミングに合わせて、相手の喉元目掛けて両手で剣を突き出した。

 皮膚を裂き、肉を抉った感触が手に伝わり、血汐ちしおが刃を濡らしていく。


 判断する。致命傷だ。


 理解する。人を殺した。


 そう、それだけ。驚くほどに何の感慨も湧かなかった。


「――ごふッ、――ぁ」


 ――彼の顔を見るまでは。


 俺の持つ特殊な『眼』には、相手の思考、感情を読み取る力が備わっていた。

 無論、目が見える者ならば、相手の表情からその心情を察する程度のことは誰でも行っているが、この『眼』はそんなものとは一線を画している。

 思案するまでもなく相手の思考を読み取り、おもんばかることもなく感情を理解するのだ。

 それは、言うなれば強制的な同調。


 彼は瞠目して俺の顔を食い入るように見つめ、口をしきりに動かして裂けた喉から声を絞り出している。

 驚愕、理解、絶望、後悔、嘆き――様々な感情と思考が死の間際に彼の頭の中を駆け巡り、それを見る俺もまた、同様の感覚に心が襲われた。

 死の間際、人は己の心情を隠すことなく曝け出す。その瞬間を目の当たりにして、俺はまるで目の前の相手と心が一つになったかのような錯覚を抱いてしまったのだ。


 ――何たる勝手、自分で殺した癖に。


 俺は、彼の死に顔から必死に目を背け、その場から逃げるようにして走り去った。

 必死に、振り払うように、忘れるように、走り、走り、走って――


 走った先で、次の敵と対峙したとき、俺の意識は氷のように冷え切り、二度目の殺生に躊躇はなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆


 崩れ落ちる黒鎧のオークの死体。それを眺めながら、ロディは得も言われぬ感慨にふけっていた。


(殺した相手に褒められるなんて、初めてのことだな)


 死の間際に、「見事」などとロディへ賛辞を贈るものなど、これまでの人生で一人もいなかったのだ。

 この世界の造りが元いた世界と大きく異なるとはいえ、その言葉にどこか救われる思いをしたことは確かだ。


 思えば、この世界に来てからは意識の同調を感じることなどなかった。

 殺した相手も魔物ばかりな上に、死が大きな意味を持たないからか、強い感情が伝わることが無い。


 仕方ないことだ、と自分の心を殺す必要など無い。

 敵と斬り結ぶ高揚感にだけ集中できる。


 ――ああ、この世界での殺生の何と楽なことか。


「ロディくーん! 無事で何よりだよー!」


 ナディアの声が耳に届き、思考が現実へと引き戻される。


 声の方に目をやれば、教会の入り口辺りで彼女は大きく手を振り、こちらに呼び掛けているようだ。

 その隣ではレアードがスリングを引いて敵を狙撃しており、更に前方ではアクロバティックな動きで赤い魔物を引き裂いている獣人商人の姿も見える。


「そっちも無事そうでよかったー!」


 一先ずこちらも大声を出して返事をして、ロディは再び剣を握りなおした。


「ギャギャアッ!!」


 赤い体表のゴブリンが三匹こちらへと詰め寄り、大きく口を上げて威嚇の様な動作をとった。

 強敵こそ倒したものの、敵方の戦意は衰えることはないようだ。どうやら先ほどのオークは敵の親玉ではないらしい。


 とはいえ、先の戦いを観察していたのか、魔物たちもロディを警戒した様子であり、なかなか間合いを詰めてこない。

 力で勝るとは言え、数の上では一対三。どう崩したものか、と思案していると、


「手伝うわ」


 そう言って、紅髪の少女が短槍を構えながらロディの隣へと進み出る。

 救出した村人の安全を確保するためにロディが先行していたのだが、黒鎧のオークとの戦いの内に追いついたようだ。


「助かるよ。――行こう」


 頷き合って、同時に地を蹴った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ロディは紅髪の冒険者と幼い子供の窮地を救ったあと、道すがらで村人を数人助け出していた。

 ナディアなど外の者達の援護もあり、彼らを教会の中へと送り届けることに成功。


 現在は教会の内側、正面扉のすぐ傍で、立ちながら紅髪の少女と言葉を交わしている最中だ。


「私の名前はフィオナ・バーネット。この村を警護する依頼を請けた冒険者の一人よ」


 紅髪の少女――フィオナは自らの名を名乗り、ロディに向けて深々とお辞儀をした。


「まずは、この村を助けに来てくれてありがとう。きっと私たちだけなら、この教会を護ることすら叶わなかったわ」


「いや……礼なら、外にいる俺の雇い主に言ってあげてくれ。この村を助ける決断を下したのはあの人だ」


 打算がゼロというわけでは無いにしろ、最終的にはこの村の人達を助けたい故に、あの商人は救援を申し出たのだ。

 礼を言われるべきは彼の方だろう。


「だとしても、私とあの子を助けてくれたのは貴方よ。だから――本当に、ありがとう」


 それでもフィオナは、目を逸らさずにこちらを見つめて謝辞を述べた。

 その真っ直ぐな瑠璃色の瞳に、ロディは思わず息を呑み、瞬刻二人の間に沈黙が流れた。


「――ん、どういたしまして。……そういえば、他にもこの村の防衛を請け負った冒険者はいるんだろう? どうして君一人だけだったんだ? この村が襲われてからの経緯いきさつもできれば教えてほしい」


 気恥ずかしくなり、教会に付く前から気になっていたことに話題をそらした。

 この村に何が起こったのか、想像することしかできていないのだ。


「最初に異変に気付いたのは、見張りをしていた魔導士の女の子だったわ。でも……遅すぎた。その時既に、敵は村のすぐそばにまで迫っていた」


 そう語るフィオナは、硬く拳を握りしめている。

 自責の念に駆られているのだろう。君のせいではない、などと無責任なことを言う気にはなれなかった。


「それまでも、不穏な兆しはあったわ。村近くのダンジョンに突入した冒険者の帰りが遅かったり、狩りに出かけた村人の帰りが遅かったり……狩りは危険で、命を落とすことも少なくないと村の人は言っていたけれど、もっと私達が警戒を強めていれば、何か変わったかもしれない」


「過去のことを悔やんでも仕方がないさ。大事なのはこれからだ」


 ――どの口がそれを抜かすのか。心にもない慰めの言葉を吐いて、ロディは話の続きを促した。


「そうね、ありがとう。――それから、私達冒険者と村の男の人達で各門の防衛に就いたのだけれど、私のいた東門は敵の攻撃に耐えきれずに突破されて、村の中にまで後退することになったわ。あとは知っての通りよ。私に出来ることをしようと、せめて村人を一人だけでも助けようとして、あの様」


 自嘲するように彼女はそう締めくくった。

 ロディ達が馬車で突入した箇所が東門のはずだ。


「おそらく、他の門も突破されていると思うわ。北門の守りを担当していた冒険者がこの教会の防衛に参加していたもの」


 皮鎧を着ていた、緑髪の彼のことだろう。

 だが、彼女の言葉に何か引っ掛かるようなものを感じた。


「そういえば、南側の門が氷で塞がれていたな。あれも君たちの誰かがやったのか?」


 その言葉にフィオナは目を丸くして、


「氷――私たちと一緒に来た魔法使いの女の子が氷の魔法を使えるはずよ。門がまだ塞がれていたなら、まだ生きているのかも」


 村に突入してからかなりの時間が経過しているはずだが、もし生存しているなら是非その力を借りたい。


「なるほどな。なら――」

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