43話 仮面の魔導士

 村の四方を囲う石の壁、本来では外敵の侵入を阻むためのそれは、今ではその機能を失っていた。

 門は破られ、壁のいたるところには穴が空けられる始末。


 当初予定していたルートの入り口には巨大な氷が張られており、壁に空いた穴ではサイズの問題で馬車が通過できないため、少しばかり迂回することになったが、一行は村の入り口に到達した。


「ロディくん、後でね!」


「あっしらは、このまま村の中を馬車で突っ切りやす! お兄さん、どうか達者で!」


「ええ、必ず!」


 ロディは村の入り口付近で幌馬車を飛び降り、ナディア達に別れを告げた。


 一行の作戦は至って単純。村がまだ機能しているなら、村の中の教会で籠城している者たちがいるはずなので、そこへ向かい、物資の提供と戦えない者の避難を行う。

 ロディは別行動をとり、逃げ遅れた者を教会へと連れていく、といったものだ。


 馬車が無事にたどり着けるかは不安だが、そこは仲間二人と一応は戦えるらしい(本人談)商人の実力を信じるほかない。

 速度を上げていく馬車の後ろ姿を一目見て、ロディは門の傍にある物見櫓へと駆け寄る。


「今は、俺ができることを――」


 梯子を登り、高所から魔眼で村の中を見渡した。


(どこかに、生き残りはいないのか……?)


 家屋の壁にもたれる母娘――首から血を流しており、母親の手には包丁が握られている。

 槍を手に赤いオークと戦う男性――たった今、その命を落とした。


 殺された男性の遺体は、杖を持ったゴブリンに焼かれ、そのまま何処かへと運び去られる。

 思わず動き出しそうになるが、唇をかみしめ、視線をそらした。


 ――今優先すべきは、死した者より、救える命だ。


 見る方向を変えれば、目に入るのはナディア達が乗る馬車だ。今のところは順調に進んでいる。

 この分なら、教会に付くのにもそう時間はかからないだろう。

 さらに視線を動かすと、


「あれは――!」


 その光景を目にした瞬間、ロディは急いで梯子を下る。

 盾と槍を持った紅髪の少女と彼女に守られる男の子の姿が、そこにはあった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――あの紅毛の少女のことは、ロディの記憶に深く刻みこまれていた。


 この世界に来て初日のこと。パールザールの街が襲撃され、偶然出会った狐耳の女の子、ミーコの手を引きながら逃げ回っていた最中、ドレイクに襲われた二人を彼女は助けようとしてくれたのだ。


 彼女の実力を思えば、それは無謀な試みであり、結果的に時間も大して稼げてはいなかった。

 けれど、あの凛とした声が、騎士然とした佇まいが、忘れられなかったのだ。



 そして今、かつての自身と同じような危機に陥った彼女の姿を見た瞬間、居ても立っても居られないような、どうしようもないほどの焦燥感がロディを襲った。


(あの時は、何故あんな無謀な真似を、と思ったものだが……今ならわかる)


 きっと当時の彼女も、こんな心境だったのだろう。


 村の中を駆け、ようやく辿り着いた先には、地に倒れ伏す紅髪の少女、そして赤い体表のオークが二体。

 今まさに、オークが棍棒を振り上げ、少女の命を奪おうと――


「やっぱり私は、彼のようには、成れないみたいね……」


 魔眼を開放、走る勢いを殺すことなく抜剣し、少女に棍棒を振り降ろさんとするオークの手首を叩き切る。

 ゴトリと音を立て、棍棒を握り込んだまま、ヘルオークの太い手が地面に落下した。


「――そこまでだ」


 あの時の彼女と同じ言葉が、自然と言葉になって表れた。

 振り返り、二人の安全を確かめれば、顔を上げた紅毛の少女が、その目を大きく見開き、ロディを見つめていた。


「あな、たは……」


「――俺は冒険者、ロディ・ストラウド。ここから先は、俺が引き受ける」


 ――騎士ではなく、冒険者と名乗ることに抵抗感を抱かなかったのは、何故だろう。

 そんな思考が一瞬脳裏をよぎるが、それを振り払うように敵へと向き直り、一閃。


「オオォ――!!」


 瞳を血走らせたオークは、残った左手でロディへと掴みかかるが、ロディの剣撃はそれより速い。

 オークの手は空を切り、首に一筋の線が刻まれた。


 ゆっくりと崩れ落ちる屍の横を過ぎ去り、次の敵へと向かう。


「グアァァ!」

「――はっ!」


 最後の一体が大声を上げて飛び掛かるも、ロディはそれを真正面から迎え撃つ。

 体格差は歴然、レベルも劣る、武器に特別な力など無い。


 されど、閃く剣筋に恐れなどなく、魔眼は狙いを違わない。


 木製の棍棒と鉄の剣が打ち合わされ――鈍い音と共に、棍棒が砕かれた。


「グ――!?」


 驚愕に目を見開くオーク、そこに生じた隙を逃さず、刃を胸に突き立て、心の臓を抉った。

 オークの上体がぐらりと揺れ、それを避けるようにロディは剣を引き抜き、血を払う。

 一度周囲に敵が居ないことを確認し、剣を収めた。


「よし……、二人とも、大丈夫か?」


「ええ。あなたのお陰で命拾いしたみたい。ありがとう」

「お兄さん、ありがとうございます!」


 紅髪の女冒険者と黒髪の男の子が揃って礼を告げる。

 だが、紅髪の少女は戦いのダメージが大きいのか、立っているのがやっと、といった様子だ。


「無理は――いや、ポーションがある。使ってくれ」


 ――無理はしない方がいいと口にしてしまいそうになるが、そんなことを言うわけにはいかなかった。

 村の窮地は続いており、戦力は一人でも欲しい状況なのだから。


「良いの?」


「ああ。その代わり、この村を救うために協力してもらうことになる。……すまない」


 つい先ほど、死にかけたところなのだ。そんな相手に、戦いを強要することへの引け目があった。

 だが、紅髪の少女は迷う様子も見せず、ポーションを受け取り、真っすぐにロディを見つめ返した。


「もちろん、協力するわ。何をすればいいのか、教えて」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 村の防衛のために派遣された冒険者は全部で八人。それに対し、敵の魔物の数は百に迫っていた。

 にも関わらず、ロディ達が村に到着するまである程度村が持ちこたえていたのは、村人の必死な抵抗、そしてある冒険者の活躍に依るところが大きい。


 その人物は、村を囲う石壁の上に陣取り、侵入を図る魔物たちを阻んでいた。

 足元まで覆うほど丈が長く、フードが付いた漆黒のローブを羽織り、顔の部分に白い仮面を付けた彼女は、五尺ほどの長さの杖を握っており、その手には灰色の手袋が嵌められている。


 全身どこを見ても素肌を一切晒していない姿は、端的に言えば怪しい風体ふうていだが、握っている木製の杖より低い背丈は年若い子供を思わせる。


「――――《氷矢の雨アイス・レイン》」


 詠唱と共に、細く鋭利な氷の矢が多数形成され、周囲に異常なほどの冷気が満ちていく。

 空中に静止していた数多の氷矢は、仮面の魔法使いが杖を振る方へと向きを変え、風を切る音と共に射出された。


「ギィッ!」

「ゴアァ!?」


 押し寄せていたレッドゴブリンやヘルオークたちは、雨のように降り注ぐ氷の矢をその身に受けることになる。

 肉体へ突き刺さった氷矢から、氷が徐々に体を覆っていき、体の一部が氷塊と化した。

 頭部に矢を受けたものはそのまま絶命し、足に矢を受けた者はその場から動くこともままならない様だ。


 しかし、ただ倒れ伏す者ばかりではない。

 武器で身を守った者、素早く躱した者、炎の魔法で氷を防いだ者、或るいは運よく当たらなかった者。


 生き残った彼らからの返礼は、射かけられる本物の矢と投擲される斧や槍、そして炎の魔法だ。飛来する矢や武具が、放たれる炎の弾丸が、一斉に仮面の魔導士へと襲い来る。


「《氷の壁アイス・ウォール》!」


 石壁の上を走りながら、彼女は魔法を発動。氷壁が矢や武器を弾き、迫る炎を寸でのところで避けていく。


 ――戦闘が始まってから、三十分程。

 既に多くの魔物の村への侵入を許してしまった。それは背後から上がる悲鳴や立ち上る炎からも明らかだ。


 いくら彼女が優れた魔法の使い手と言えど、その身は一つであり、一度に守れる場所は限られている。

 その場の魔物を殲滅しては移動を繰り返しているが、未だに終わりは見えない。


 そして、魔力は無限ではない。


「――――《氷槍アイス・ボルト》ッ!」


 最も厄介なゴブリンの魔導士に向け、魔法を撃とうとするも、不発。

 限界など、とうに超えていた。


 魔力の枯渇、それに伴う強烈な虚脱感に、少女は膝をつく。


「また、一人……」


 ――どれだけ誰かを助けても、どれだけ力を尽くしても、結局はいつもこうだ。

 一人きり、死んでいく。


 人助けに見返りを求めることが愚かなことなど、知っている。

 どれだけ必死になっても、それを分かってくれないことくらい知っている。


「なら……私は――」


 ――どうすれば、いいのだろう。


「ギャギャァ――!」


 降り注ぐ矢の雨が、彼女の身体を打ちつける――その間際。


「え……?」


 視界が大きく揺れ、ふわりとした浮遊感。遅れて、誰かに抱きかかえられたのだと、気づいた。


「――間に合ったッ」


 自身を抱きかかえる、その人物の瞳は、夜空に輝く星のような色をしていた。

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