41話 紅毛の少女

 依頼のため、一行は幌馬車でトット村を目指していた。


 ちなみに、この馬車を引いているのは、馬は馬でも驢馬ロバだ。

 レアード曰く、この体が大きく、たてがみがほんのりと青いロバは、『雨露馬うろば』と呼ばれる種らしい。

 雨露馬は産まれた時から水の魔法を会得しており、体内で水を生成することによって無補給で長距離の移動を可能とするそうだ。


 名前の由来は、水浴びの際に二匹の馬が集まり、互いに水の魔法を掛け合う習性を雨露うろの如し、と評されたから、とのこと。


 この話を聞いた商人は、


「はぇー、あっしはそんなこと全然知りやせんでした。物知りなんですなぁ」


 と言っていた。疑っていたわけではないが、レアードが幅広い知識を持っていることは確からしい。

 しかし、当のレアードは気がかりなことがあるようで、少々浮かない顔だ。


「どうかしたのか?」


「いえ、雨露馬を実際に見たのは初めてなのです。文献では、一般の馬と比べて体格も速度も一回りや二回りほど劣っていため、馬車馬には向かない、とされていましたが……」


「ふむ? ……そうは見えないねー」


 このロバの体は、ロディが知る馬よりもはるかに大きい。一匹で馬車を引き続けているにも関わらず、速度を落とす様子もなく、一向に疲れを見せない。


「いえいえ、実はコイツ、こう見えてもレベル35なんでさぁ。とんでもなく鍛えられてるそうで、重宝してますわ、ホンマ」


「へ、へぇー……」


 適当に相槌をうったロディだが、正直なところ内心穏やかではない。

 先日聞いたロディのレベルは17、このロバに二倍ほどの差をつけられていることになる。もっとも、何度か戦闘をこなしているため、登録した当時よりはレベルも上がっているだろうが、レベル35を超えている、ということはまずあるまい。

 ――少し悔しい。


 そうしてロディが不貞腐れていると、御者台のナディアが「おー」と声を上げ、前方を指さした。


「二人ともー、村が見えてきたよー!」


 ナディアの声を聞き、身を乗り出して前方を見据えれば、遠くに見えるは石の壁だ。

 どうやら村の周りを石垣で囲っているらしい。村の入り口と思しき場所には、やぐらのようなものまで見える。


 だが、何より目を引いたのは、


「氷に、煙……?」


 石垣の途切れた部分、村の入り口を覆うように塞いでいる分厚い氷、そして、家屋から立ち上る煙だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――彼らは知っていた。

 自分たちが大勢で村を襲えば、ニンゲンは食料や大事なものを一か所に集める。

 その建物は、大抵は石で出来ていると。


 ――彼らは知っていた。

 女や子供は、危険が迫れば即座に命を絶つことを。

 死体を放置していると、すぐに光になって消えてしまうことを。

 だから、素早く調理する術を必要とした。


 故に、火だ。


 ゴブリンの変異種、レッドゴブリン。

 オークの変異種、ヘルオーク。


 どちらも火に耐性を持ち、通常の個体よりも強靭な肉体を持った二種族、その連合部隊。

 それが、トット村を襲っている魔物たちの正体だった。

 ゴブリンの術師と弓兵が火を放ち、オークが略奪、殺害を担い、村を蹂躙していった。



 家屋は燃え、武器を持って立ち向かった男衆は死に、女子供は自死をする。

 村の中は半ば地獄の様な惨状であった。


 そんな中に、傷だらけの鎧を身にまとい、穂先が血で赤く染まった短槍を握る、女冒険者がいた。

 村の護衛依頼を引き受けた一人でもある彼女は、瑠璃色の瞳、紅毛の髪を長く伸ばした少女だ。

 その端正な顔立ちには、眼に見えるほどに疲労の色が浮かんでいる。


 それは村に攻め入った魔物と戦いを繰り広げていた証であり、今なお危険がその身に迫っている証拠でもある。

 赤みがかった体表、豚のよう顔立ち、身長二メートルを超える屈強な肉体、そして手にこん棒を持った魔物、ヘルオーク達に、彼女は追い詰められていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――村が襲撃されてから、どれだけの時間が経っただろう。おそらく、多く見積もっても半時間かそこらのはずだ。

 それでも、その時間戦い続けた肉体は疲労を訴え、程度の低い回復魔法による治癒では誤魔化しきれない痛みが、少女の思考を蝕んでいた。


「――ッ!」


 膝を落として歯を食いしばり、横に薙ぐ一撃を盾で受け止める。だが、膂力の差は歴然であり、体に伝わる衝撃は尋常ではない。背にまで響くような重い打撃だ。

 さらに、敵は一体ではなく、三体。


「「グオォォ!!」」


 先の一体の隙を埋めるかのように、残る二体が雄叫びを上げながら同時に少女へ殴りかかった。

 盾を構え再び身を守った次の瞬間、盾目掛けて左右から棍棒が同時に叩きつけられる。


「くっ――ああっ!」


 衝撃を殺しきれず、大きく後ろに仰け反り、そのまま民家の壁に激突した。

 体中が鈍い痛みを訴え、視界が赤く染まるも、盾を突き立て、少女は立ち上がる。


 なぜなら、


「お姉さん……」


 小さな子供が、寄り添うように隣に現れる。心配そうな顔で、こちらを見つめる黒髪の男の子だ。逃げ遅れ、死に遅れてしまったらしい。

 この子を守らねばならない。――否、これはただの願望だ。守りたいし、死なせたくない。


「だい、じょうぶ。お姉さんに、任せて。必ず、悪い奴らをやっつけるわ」


 背後には壁、隣には子供、一匹でも手こずる魔物が、三匹。

 これを覆せなければ、二人とも碌な死に方はできないだろう。あるいは、自死の選択もあるが――あの日見た光景が、それを拒んだ。


「――《加速クロックアップ》!」


 無属性の自己強化魔法が一つ、《加速》を魔法の名を唱えるだけの簡易詠唱で行使する。

 完全な詠唱をした場合に比べて大幅に効力が劣るが、目の前の魔物たちは詠唱を待ってはくれないだろう。


「はぁッ!」


 少女は自ら盾を手放し、短槍の絵を両手で握り込んで、強く地を蹴った。その勢いのまま、風の如き速さで豚鬼の胸を突き穿つ。

 一瞬の出来事に対応が遅れ、彼女の正面にいたヘルオークは防御も回避もままならぬまま、槍の先が体へと埋め込まれる。

 速さが増したことにより、大幅に威力の向上したその一撃は、ヘルオークの頑丈な肉体に風穴を開けた。


 少女が斃したその一体は、このオーク達にとってのリーダー格のような存在であった。


 ――しかし、相手は魔物であり、腐っても好戦的な戦闘種族だ。

 残された彼らに走った動揺は一瞬のうちに掻き消え、即座に二体の魔物は紅毛の少女と距離を開けた。


 本能ゆえか、戦いで身に着けた経験からか。何にせよ、彼らのとったその判断は正しい。


「くっ……」


 少女が、即座に追撃に踏み切れなかった理由は、少女の背後にいる子供の存在ゆえだ。

 ここで距離を詰めて攻撃すれば、彼が危険に晒される可能性がある。


 だが、このまま無駄に時間を費やすのも不味い。

 自己を強化する魔法、その中でも抜きんでて強力なこの魔法だが、長時間の維持が難しいという欠点があった。魔力消費量や肉体へ掛かる負荷が非常に大きいことに起因するものだ。

 《加速》の魔法が切れれば、この二体を同時に相手取ることは厳しい。


 しばらくの思案の末、少女は攻撃に踏み切った。


 できるだけ相手に悟らせないように、限りなく小さい予備動作で――突撃をかける。

 だが、先ほどと違い、相手はその速さをいた。


 右のヘルオークは、突き出される槍の刺突に対して、ただ、二歩下がった。

 少女はそれに追いすがるように、更に前へと踏み込むが、


「――っ!?」


 疲労、過度の魔法行使、肉体へのダメージ。様々な要因が重なり、《加速》の魔法が普段よりも早く消失する。

 結果、疾風のようにオークの身体を穿つはずだった一撃は、その威力を大きく落とし――


「グハハアッ!」


 槍の柄を片手で握り込まれ、完全に静止した。

 醜悪な笑みを浮かべるオークは、そのままもう片方の手で握る棍棒を軽く一振り。それだけで、少女の身体は大きく吹き飛び、地を転がった。


「ぐっ、うっ……」


 そうしてここに、武器を奪われ、魔力も尽きた少女は抵抗の術を失い、ただ数瞬後の死を待つのみとなる。


「ここまで、ね……」


 ――頭に浮かぶのは、背後にいるあの子が、逃げ延びるか、せめて楽に死んで欲しいという願い。そして、


「やっぱり私は、彼のようには、成れないみたいね……」


 眼前のオークが、人の胴ほど太い棍棒を振り上げ――


「――そこまでだ」


 しかし振り下ろされることはなく、その手首が両断される。


「あな、たは……」


 風に棚引たなびく緑色のマント、煌びやかな鋼鉄の鎧、手には曇りのない片手剣。

 少女を庇うようにして立った金髪の青年は、黄金に輝く双眸を向け、


「俺は冒険者、ロディ・ストラウド。ここから先は、俺が引き受ける」

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