33話 ダンジョン
◆◇◆
俺は自分に宛がわれた天幕の中で、座りながら本を読んでいた。ペラ、ペラと紙をめくる音だけが響いていたが、テントの中に誰かが入ってくる音が割り込んだ。
「ロー、何を読んでいるの?」
その言葉を聞いた瞬間、ドクリと心臓が波打つ。ゆっくりと後ろに目をやれば、そこに立っていたのは群青色の髪をした少女、エリィだ。こちらを見下ろすその顔には疲れが見える。
今日の戦いではうちの傭兵団の仲間にも、多くの死傷者が出た。その治療に奔走していたのだろう。
「……それ、もしかして俺のことか?」
「そう。ロディって名前、呼びにくいじゃない。だから、ロー」
「お前も似たような名前だろうが」
「で、何読んでるの? かなり汚れているようだけど。それに、あなた字が読めたの?」
「聞けよ……」
字が読めるかと問われれば、最低限は読める、といったところだろう。クレアと違って、俺は勉強も本もそこまで好きではなかった。
もっとも、この本は雨に打たれ、血で汚れたため、一部だけしか読める部分が残っていないのだが。
「そんなこと、お前には関係ないだろ」
「またそれ? いい加減、少しは自分のことを教えてくれても良いじゃない。ていうか、『自由騎士の物語』でしょ」
孤児院にあった中で唯一俺が好きだった本。あの日、クレアがわきに抱えていた。
「……知ってたのか」
「ええ。――だから、いつか教えてね、ロー。あなたの、ホントの名前」
好き放題言いたいことを言って、エリィはテントの外へ出て行った。再び天幕の中に静寂が訪れる。
「そういうところが気に食わねぇんだよ、エリィ」
もう一度本を開く気は、起きなかった。
◆◇◆
「宝箱だよな、これ。なんで洞窟にこんなものが?」
オークとの戦闘を終え、洞窟を少し進んだ先、岩の地面の上の平らな部分に、放置されるように木製の箱が置かれていた。見たところカギがかかっているようだ。
「一応ダンジョンだからね。さてさて、中に入っているのは何だろなーっと」
「ストップストップ。罠の確認をした方がいいんだろ?」
ポーチをまさぐってピックツールを取り出し、ピッキングをしようとするナディアの手を止めた。《鑑定》の巻物を買ったときにそんな説明を受けた筈だ。
「おっと、そうだったね。確かこうやって――」
ナディアは巻物を開き、宝箱に《鑑定》を使った。ポンと音を立て、巻物に文字が刻まれていく。
「うん、罠はないみたい。ちゃちゃっと開けちゃうね」
カチャカチャと音を立て、ナディアは開錠を始める。慣れた手つきとは言い難いが、数分足らずで宝箱にかかった鍵を突破した。
「おぉ、できた。さすがはボクだ!」
「すごいな。どこかで泥棒でもしてたのか?」
「まさか! 村に来た冒険者の人に教えてもらっていたのさ」
「へぇ。もしかして、冒険者になろうと思ったのもその人が原因だったり?」
「そう言われてみれば、一因ではあるね、確かに」
そんな話をしながら、二人で箱のふたに手をかけ、中を見る。
「おぉー、お? 布……だよね?」
箱の大きさに見合わないタオルのサイズの清潔そうな白い布だ。これがただの布であれば、徒労もいいところだが、
「んー……いや、ただの布じゃないな、コレ。綺麗すぎるし、魔力もある。魔道具の類じゃないか?」
ナディアは再び巻物で鑑定を試みる。
「どれどれ……本当だ。『汚せぬ織布』だって。この布に付着した汚れは時間が経てば勝手に消えるそうだよ。つまるところ、洗う必要がない布ってことだね」
「いいね。旅のお供にはピッタリだ。……これ高く売れそうだな」
持ってきた手拭いは、すでにオークの血で汚れ切っている。武器や防具に付着した返り血を拭ったからだ。
だが、この魔道具があれば都度布を洗わずに済むのだ。旅のお供にこれほど助かる品はあるまい。この布では面積が足りないが、もし汚れない服が仕立てられれば買い手は数多だろう。
「実際、王侯貴族が着ているような高級な被服は、汚れることがないって話を聞いたことがあるよ。多分この布と同じなんじゃないかな」
箱の中の『汚せぬ織布』とやらを手に取り、売るか使うか、ナディアと話し合いながら暗い洞窟の中を進む。
「――まぁ便利そうだし、売らないってことで……ん?」
ロディがまず足を止め、続いてナディアが気付く。
「魔法陣? 目立たないように書かれているけど……罠、だよね」
黒い炭のようなもので描かれた魔法陣だ。常人であれば注視しなければ気づくまい。踏むか近づくと魔法が発動するのだろう。
「何が起こるか自分の目で確かめたい。ナディア、俺の後ろに」
「合点だよ。気を付けてね」
ナディアが自身の後ろに回ったことを確認して、ロディは長く伸ばした十一フィート棒で魔方陣を突き、急いで引き戻す。
「わわっ」 「マジか……」
魔方陣が発光し、勢いよく炎が立ち上る。数メートル離れた先のロディ達にまで熱気が伝わってきた。――あと、棒の先端が少し焦げた。
「こりゃ食らったら、ただの火傷じゃすまなさそうだ。罠には気を付けないとな」
「そのようだね。――おっ、消えた」
ごうごうと燃えていた炎が鎮火する。時間にして三十秒といったところか。下を見れば、地面に描かれていた魔法陣が消えていた。念のために魔法陣があった辺りを棒で突いて確認するが、今度は魔法が発動することはなかった。
「誰が描いたんだ? まさかオークじゃないよな」
「ダンジョンには必ずと言っていいほど、罠や宝箱があると聞いたけど、何故かまでは知らないなぁ」
「そうか……情報通みたいな人も仲間に欲しいよなぁ」
「やいやい、このナディアさんが無知蒙昧の暗愚だと申すかね、キミ。……ってのは冗談として、ちょっと悔しいけど、ボクも同意見だよ」
ロディは当然として、やはり所詮はただの村娘であったナディアもまた、知識が豊富とは言い難い。アラン辺りなら何か知っていそうだが、当の彼は先ほどから口をつぐんだままだった。
◇◆◇
「このままだと、通れそうもないね……」
二人|(とアラン)は、巨大ミミズや空を舞う炎など四度の敵襲を退け、五個の罠を避けて洞窟の最深部までたどり着いた。目の前には広い空間があり、そこに“何か”があるのは見えるのだが、半透明な壁が行く手を阻んでいた。
アランがドラゴンとの戦いで見せた魔法や酒場の決闘の際に現れた障壁と酷似している。魔法にも『核』は存在しているため、この障壁を砕くこと自体は可能だろうが、
「壊すと何が起こるかわからないか。それよりは――」
ロディは壁の手前にある台座を見据える。
「――これを何とかすべきなんだろうな」
削った石で作られた武骨な台座だ。上部の出っ張った部分、台の中心には、何かをはめ込むような円形の穴と魔法陣が彫り込まれている。
「これまた魔方陣……となると、これも魔道具なんだろうね。ここにカギになる何かをはめ込むと障壁が消えて、奥に進める、と」
「だけど、ここに着くまでにそんな物は見なかったはずだ。俺とナディアが揃って見落とすとは思えない」
奇襲や罠の警戒、金目の品の捜索など、周囲にかなり気を払いながら進んできた。ナディアの能力は信頼しているし、魔眼のあるロディであれば猶更だ。
「いや、あそこじゃないかな? ほら、この洞窟に入ってすぐの分かれ道だよ」
「あぁ、棒倒しの……。結構戻ることになるなぁ」
「まぁまぁ、いいじゃないか。もう敵は倒してきたんだ、道中も少しは楽なはずさ」
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