32話 ハイタッチ

「右と左、どっちに行くべきだと思う?」


 暗い洞窟の内部、頼りの光源は左手の松明のみ。行く手には二方向の分かれ道。

 さてどちらへ進むべきか。ダンジョンが魔物の巣窟だというのなら、あるいはこの選択が命運を分けることもあるのだろうが。


「考えていても仕方ないんじゃないかな。ここは棒倒しで決めてはどうだろう」


「それ採用」


 時間をかけても仕方がない。十一フィート棒を右手に持ち、ロディの腰程度の長さを調整した。


「初めは手間取っていたというのに、慣れたものだね」


「まぁ、練習の成果よな。さて……」


 ダンジョンに到着するまでの移動時間に、棒の伸縮させ方を歩きながら練習していたのだ。初めのうちは一気に最大まで伸びてしまうなど、うまく調整が利かなかったのだが、今ではこの通り思いのままだ。

 地面に棒を立て、天に行く道を任せれば、カラリと音を立てて棒が右に転がった。


「右だな」


「はーい。……地図でも書いておくべきなのかな?」


「そうだな。買ってきた紙とペンがあるから頼むよ」


「アイアイサー、委細承知ー、合点だー、ヘイ喜んでー」


「最後、ちょっと違くないか?」


 よく考えれば、耳に聞こえているナディアの言葉は魔道具の『翻訳機』を通した言葉なわけで。細かいニュアンスの違いなど意味がないのかもしれない。


「…………」


 アランは、このダンジョンに足を踏み入れてから言葉を一言も発していない。入る前に「死んだら骨は拾ってやる」と語っていたが、裏を返せばこちらが死ぬまで手を貸す気はないということだろう。

 紙の上をペンが走る音が続いていたが、唐突にそれがピタリと止んだ。


「止まって」


 ナディアに小声で制止され、足を止める。


「奥で声がしたんだ。正確な数はわからないけど、たぶん複数。人型の魔物……だと思う。こっちに来てる」


 耳をすませば、ほんの僅かに物音がする。とてもではないが、意識していなければロディには聞こえることはなかっただろう。道が入り組んでおり、姿を確認することはできないが……。


「了解。明かりを消して、奇襲を仕掛けるか?」


「微妙かな。向こうがボクらに気付いているかもしれないし、敵が夜目が利く種族なら、こちらが不利になるよ」


「なら――少し進んだ先が広い空洞になっているみたいだ。俺がそこでわざと目立って囮になるから、ナディアはできる限り隠れて、先制射撃を頼む」


 小声で作戦会議を済ませて、ロディは広い空間の中心に進み出た。松明を置いて、右手に剣を構え、左手で十一フィート棒を隠し持つ。アランの姿は既にない。邪魔にならないように後方で待機しているのだろう。

 そのまま待つこと数十秒。醜悪な怪物の姿が、向かい側の道より現れた。


「……オークか」


 清潔とは程遠い、汚れだらけの薄緑色の体表。爛々と輝く薄気味の悪い黄色の瞳。ここまではゴブリンと同じだが、問題はサイズだ。

 小さく、細い体形のゴブリンと違い、その背丈は二メートルほどであり、身にまとう襤褸から覗く腕は丸太のように太い。

 その手に握られるは木の棍棒や槍。原始的な武器だが、その化け物が振るえば脅威になるのは想像に難くない。数が三匹なのがまだ救いか。


 オークたちは人間の存在に気づくと互いにうなずき合い、そのうちの二匹がロディへ向けて駆け出した。食料にでもするつもりなのか、唾液を散らしながら、ドス、ドスと音を立て、巨体が迫りくる。


「おおおおぉぉぉ――!!」


 ロディは雄叫びを上げ、剣を構える。自分に気合を上げる所作――ではない。


「グルァ!?」


 影より飛来した矢が、右方のオークの右目を正確に貫いた。先ほどロディがしたことは、注意を向けること、そして矢が風を切る音を出来るだけかき消すことだ。

 矢が目に突き刺さったオークは、その場で尻もちをついた。だが、そんな様子を笑うほどの余裕はない。


「オオォォ!」


 左方の棍棒を持ったオークが、大声を上げてロディに殴りかかった。――オークの恐ろしさは、そのパワーだ。『大進行』の後、世界を荒らしまわった闇の軍勢の中で、最も民間人を殺した怪物がゴブリンならば、最も兵士を殺した怪物はオークだろう。

 力が強く、タフであり、その強さは並の兵士三人分とされる。そのうえに徒党を組むオークは、人間たちに大いに恐れられた。


 もっとも、


「ァ――!?」


 ――仮にも英雄と呼ばれた己が、並の兵士三人に劣るはずもない。

 頭上より迫る棍棒の軌道を魔眼で読み、引き付けてから避ける。地面を強く叩いた棍棒を右足で踏みつけ、抵抗をさせぬまま首筋を撫でるように切り裂いた。


 血が噴き出し、グラリと倒れ伏すオークに目もくれず、ロディは次の獲物に向かう。


「オオオォォ――!!」


 左目を貫かれたオークが槍を構え、仲間を斃した存在へと突撃をかけていた。その動きは鈍い。見れば、オークの右膝付近に矢が突き刺さっていた。


「助かるッ」


 ロディは左手に隠し持った魔法の棒をオークに向けて伸ばした。物体が眼前に勢いよく迫って驚かない生物はそういない。このオークもまた、そうであった。

 注意がロディから棒の先端へと移り、避けようと一瞬オークが身を引く。その隙を逃さず、空中に置くように棒を手放して、ロディはオークの目に矢が刺さった側、つまり死角に入り込み、背後から心臓へと刃を突き立てた。


「グ、ァァ――」


 オークがゆっくりと首を回して振り返るが、それ以上は何もできず、地面に吸い込まれるように倒れた。これで、残るは一匹。


 だが、最後の一匹の狙いはロディではなかった。ほかの二匹より一回り大きいそのオークは、顔目掛けて飛来した矢を手に持った棍棒で防ぐ。

 オークの双眸が、ナディアを捉えた。いくらナディアが隠密に長けていたとて、矢の軌道が見抜かれれば居場所が気付かれることは必然だ。


「ナディア! 俺の後ろへ!」


 言うが早いか、ナディアはロディの背後めがけて駆ける。オークも、ナディアを追うのは無駄と判断したのか、ロディ目掛けて走り出した。

 ――刃の反射越しに、ナディアの行動を


 ナディアは走りながら落ちていた石を拾い、オークへと投擲。それ自体ではダメージを与えられず、オークの疾走は止められないが、ほんの一瞬注意がそれた。

 ロディはそのタイミングに合わせ、二匹目のオークが持っていた槍を拾い上げて突き出した。剣の間合いだけをはかっていたオークは、その動きに対応できず、槍が胸部を貫く。しかし、


「くっ――!」


 抵抗により、心臓から狙いが僅かに逸れた。オークは槍が刺さったまま、手に持った棍棒を横に薙ぐ。ロディは飛び退いてそれを避け、お返しとばかりに腕を斬りつけた。肉が裂け、血が飛び散る。


「グオオォォ――!」


 それでもなおオークは武器を手放さず、執念でロディへと叩きつけようとするが、


「とやッ!」


 再び隠れながら後ろに回り込んだナディアが、オークに飛びつき、その首元をナイフで掻き切った。

 オークは目を見開き、なにか言葉を発しようとするも音は出ず、そのまま膝をついて崩れ落ちた。


「――ふむ」


 過去の反省か、ナディアは周囲を見渡し、動くものがいないか念入りに確かめてからロディに振り向いて、ニッと笑った。


「ボク達の勝利だね!」


 ナディアは片手を上げ、何かを期待するようにロディを見つめる。

 ロディは一瞬何を求められているのか分からなかったが、理解すると同時に自然と笑みがこぼれ、


「だな」


 膝を折って、ナディアと手と手を合わせ、ハイタッチを交わした。

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