30話 道具屋『トルテルト』
◆◇◆
――雨が嫌いだ。特に深い理由ではない。単に、雨の日にいい思い出がないのだ。だから、夢の場面は雨ばかりだった。そして、今日も。
「ク、レアぁ……」
這いつくばりながら、手探りで辺りを探る。降りしきる雨が、何かドロリとした液体が、服を、体を汚していくのを感じながらも懸命に。
「どこ、にっ」
切り裂かれた瞳はもはや何も写さず、痛みだけを伝えるばかりだ。
光の射さない暗闇の中で聞こえるのは、己の荒い呼吸と、地を這う音、そして雨が地面をたたく音だけ。
もがき続けていると、手に何かが当たった。手繰り寄せて確かめれば、手に伝わるのは濡れた皮と紙の感触。本だ。
「ち、がう……」
這って、探って、喚いて、地面に散らばった何かの破片に身を切られながら、たどり着いた先には、
「クレア、ここに――」
ぐちゃりという感触、物心ついた時から共に過ごした、友の骸。路傍に打ち捨てられ、心臓の鼓動は止まり、雨で体温を奪われていた。
何もかも、遅かったのだ。
「あぁ、あぁぁああああ――――」
――本が好きなやつだった。文字なんて、孤児の俺達には高尚過ぎるものを必死に覚えて。かくれ鬼の時でも、よく隠れながら本を読んでいた。ページをめくる音ですぐに気づかれるのに、夢中になって。
競争をすれば俺どころか、■■■や年下にも勝てない有様で、怖がりな癖にどこまでも俺に付いて来て、頭はいいのにどこか抜けていて、夢を語り合って、一緒にいっぱい笑って――
それが、奪われた。
「なんで、なんでだよぉ!」
俺は目を失い、■■■は連れ去られ、クレアは殺された。俺たちの何が悪かったのだろうか。今まで、必死に生きてきただけなのに。こんな仕打ちは、あんまりじゃないか。
自分を恨み、運命を呪い、世界を憎んだ。何の力もないガキには、それしか出来なかった。
ただ嘆くばかりで、動くこともできずに友の亡骸にしがみつく俺の傍で――足音が一つ。鎧の音は聞こえない。奴らではない。
そちらを見上げるも、当然何も見えない。ただ、目の奥で、何か熱のようなものが、強く存在を訴えかけているのを感じた。
「……そう」
自分よりも年上の少女の声だった。ただ一言、それだけ言って、彼女は俺の頬に手を当てる。
「あなたに、力を上げましょう。それが私にできる、唯一の――」
◆◇◆
目が覚めれば白い天井。アラン邸の客室だ。夢に見たのは、傭兵になる前のことだった。
ロディが魔眼を手にした日。友達が、死んだ日。
あの日から、長い時を戦場で過ごし、ロディは強くなった。今ほどの力があれば、クレアを助けられたはずだ。そんな想像に意味はないのだが、どうしても、考えずにはいられないのだ。
あるいは、生まれた世界が違ったのなら。
「なぁ、クレア。こんな世界に生まれていれば、今も俺たち、笑い合えたのか……?」
応える声はない。死人は、何も語らない。
◇◆◇
「よし、二人とも集まったなー」
ロディとナディアはアランの呼びかけで、とある店の前まで来ていた。
「集まったのはいいけど、結局何をするんだ? 確かダンジョンがどうとか言ってたよな」
昨夜、ナディアを宿に送るときにそんなことを言っていた。腕試しとも話していたので、戦いになることは間違いないと思うが。
「ダンジョンってのは一言でいえば、モンスターの巣窟だ。森だったり塔だったり、その形状は様々だが、そのすべてが魔界と通じてる――とされている」
「それに、ダンジョンからは色々なお宝が手に入るんだよ。ロディくんが買ってくれた鎖帷子みたいな魔法の武具とか、今の技術では作れない魔道具とか。そんな訳で、ダンジョンはボクたち冒険者には一獲千金を狙える夢のような場所なのさ」
「ってことは……アランの馬車とか、その刀もダンジョンから手に入れたわけだ」
乗り手の人数によって形状が変化する馬車、竜の首を落とせるほどの刀。どちらもそう簡単に見つかるものではあるまい。
モンスターだらけの場所を夢のようと言うのは違和感があるが、死が怖くないこの世界の人々にとってはそんなものだろうか。
「そうだぜ。だが、ダンジョンも良いことばかりって訳じゃねぇ。放っておくと魔物が溢れて、外の人間を襲いだすのさ。一昨日あった竜種の襲撃がまさにそれだ。この間まで遠くの国に遠征に出てたんだが、騎士団やこの街の冒険者じゃどうにも出来ねえってんで、俺達が呼び戻されたわけさ」
「あぁ、もしかして昨日は、その竜が出たダンジョンを攻略しに行ってたのか?」
「そのための下見だな。騎士の連中と合同でダンジョンを潰す手筈なんだが、もう少し時間が欲しいってんで、本格的な攻略は明日になった。だから、今日はお前たちの面倒でも見てやろうってな」
普通、明日のために休養を取るべきなのではないか。あるいはアランほどの実力者には不要なのだろうか。
「それで結局、ボクたちは何故この店に?」
パールザールの街を囲む巨大な壁、その南側の壁際にある、暗い路地にその店はひっそりと佇んでいた。店の名前は『トルテルト』。
外観は小ぢんまりとしており、場所の悪さも相まってとても人が寄り付くような店には見えないが、先ほどから何人かの冒険者がその店を出入りしていた。
「ダンジョン探索に必要なアイテムの買い出しと――新人と先輩冒険者のお約束ってやつだな」
そう言ってアランは、二人に銀貨を十枚ずつ手渡した。
「ここ数年で廃れつつある伝統なんだがな、この街の冒険者は新人が来たとき、先輩冒険者が新人に銀貨十枚を渡して、あの店で買い物をさせるのさ。何を買ってくるかによって、そいつの将来を予想する……ってヤツだ。それに、何も買わずにダンジョンに行けってのは、一遍死んで来いって言うのと変わらんしな」
「また俺は、君に借りを作るのか? これ以上は――」
アランは手でロディの言葉を制し、穏やかに笑いかける。
「俺がしてやるのはこれくらいだ。それに、俺もこの伝統に助けられた一人なんだぜ。お前ら、酒場でよくケンカしてるジジババのこと、知ってるか?」
「あっ、昨日会った人達だよね、ロディくん」
「知ってんなら話が早え。もう引退しちまったんだが、あの人達の息子も冒険者でな。俺もその人から銀貨十枚を貰ったんだ。だから、受け取ってくれ」
「分かった。アラン、ありがとう」
◇◆◇
一歩、店に足を踏み入れたロディは、目の前で世界が大きく歪んだように見えた。世界が揺れ、空間が割れ、二度三度暗転を繰り返し――おそらく時間でいえば一秒にも経たない奇妙な経験を経て、視界が元に戻った時には、薄暗い店内に立っていた。
ふと後ろを振り返れば、入ってきた扉は音もなく閉まっていた。
「どうかしたのかい? 変な顔をしてるけど」
ナディアは不思議そうに、ロディの顔を下から覗き込んでいる。今の現象に気づいていない様子だ。つまり、ロディが見た光景は魔眼由来のものであり、今起きた出来事を一言で言い表すなら、
「魔法、か……?」
「その通りでゴザイマス」
人の声とは思えないような、ノイズがかった甲高い声がロディの疑問を肯定する。ゴチャゴチャと物が置かれたカウンター越しに居る声の主は、黒い服を身に纏い、黒い頭巾を被っていた。性別ははっきりとは判別できないが、おそらく女性だろうか。
「いらっしゃいませ、お客様ガタ。道具屋『トルテルト』へヨウコソ。何をお求めですカナ?」
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