5話 我、もはや騎士たりえず
ロディはアランの助言通り、大通りを通らずに裏路地を縫うようにして隠れながら進んでいた。やはり戦いや血の跡こそあれ、死体などは見当たらない。そして、
(アランが空に気をつけろって言った意味が分かったな)
翼を大きく羽ばたかせる音と嘶くような声が路地裏に響き渡る。身を隠しながら上を見上げれば、空を飛ぶ存在が目に映った。
蝙蝠のような翼、退化した前足と長い尾を持つ翼竜、ワイバーンだ。その姿はロディが元の世界にいたときにも見たことがある。
空中を飛び回り、上空から炎を吐いて人を焼き殺していた。その鱗は固く、矢を通さない。剣以外の攻撃手段を持たない今のロディが敵う相手ではない。
飛び去るのを確認してから、また移動を再開した。
(俺は無力だ)
――足取りが重くなる。
(もしワイバーンに見つかっていれば俺はどうなっていた?)
――きっと死んでいた。
(足手纏いと言われて、みっともなく隠れて)
――戦士として失格だ。
(国も主も守れずに生かされて)
――こんな者を騎士などと、誰が呼ぶものか。
(名声も、誇りも、仲間も、喪った)
――片端から取りこぼしてきた。
(ならば何故――)
「何故、俺は――」
――まだ、生きているのだろう。
壁にもたれ掛かり、剣の柄に手をかける。音を立てず、ゆっくりと引き抜く。そして、その鋼鉄の剣を、数多の人間を屠ってきた、その剣を――
声が、聞こえた。
小さな、子供のすすり泣く声だった。
(俺は、何をしようとしていた?)
一時の感情に身を委ね、自らその命脈を断とうなどと、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。そんなもの、積み重ねてきた屍が、死なせてしまった者たちが、許してくれる筈もない。
そして、今の自分が騎士たりえないとしても、泣く子どもを見捨てる理由にはならない。剣を鞘に納め、路地を駆ける。声のする方へ。
そこにいたのは七、八歳くらいの女の子だった。壁にもたれ、蹲って泣いている。
その茶色の髪は肩のあたりまで伸ばされている。仕立てのいい服は、彼女がある程度裕福な家の生まれの証拠だろう。
街で歩いていても何ら不思議ではないような、ごく普通の少女だ。
――狐のような耳を除けばの話だが。
いや、きっとこの世界では普通なのだろう。あの猫耳女とは何も関係がない。だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、腰を落として声をかける。
「大丈夫かい? どうして泣いているの?」
声は、震えていなかっただろうか。この子を安心させられるような笑顔を作れているだろうか。
女の子は顔を上げてこちらを見つめる。
「ママとはぐれたの。キョーカイにいく、とちゅうで」
おそらくこの国では、緊急時に教会に避難する決まりがあるのだろう。一人で隠れていたのだ。不安で泣き出すのも仕方のないことだろう。
「そっか。……お兄ちゃんも今から教会に行くところだったんだ。一緒に来るかい?」
路地裏に少しばかりの静寂が流れる。
「うん」
女の子はこくりと頷いた。手を差し伸べて、立ち上がるのを手伝う。
「じゃあ行こうか」
何歩か歩いてから、あることに気づいて立ち止まる。
アランからは教会が北東にあるとしか聞いていなかったのだ。
「ところで……教会がどこにあるのか知ってる?」
……また泣き出しそうになる女の子を必死でなだめることになった。
◇◆◇
ひとまずは女の子が「あっちの方」と指さした方角に向かっていた。だが、
「クソ……このままじゃ追いつかれる……」
ロディたちは二匹の怪物に追われていた。
狐耳の女の子は獣人だからだろうか、同年代の人間の子供よりも足が速く、体力もあった。しかし所詮は子供だ。手を繋いで走る二人は着実に追い詰められていく。
追跡者は全長四メートルほどで、二足で地上を走る爬虫類のような生物だった。後ろ足に比べ前足は短いが、そこから生える鉤爪は鋭い。奴らの牙と顎は人間の頭蓋など容易く噛み砕くだろう。
人になど簡単に追いつけそうなものだが、遊ばれているのか、疲れさせてから襲う算段なのか。
――これは今のロディの知る由もない話だが、この生物は翼を持たず、地を這う竜族、
だが、野生の彼らは人間だろうと襲い、食らう獰猛なハンターである。疲れさせてから襲うつもりだと考えたロディの見立ては正しい。
(ここで迎え撃たなければ不味い!)
「あそこに隠れて!」
繋いだ手を放して叫ぶ。女の子は頷き、直ぐにそれに従って動いた。聡い子だ。
「さて……」
剣を引き抜いて構える。相手は二匹、この世界で初の戦闘。油断も迷いも今はない。息を整え、前を見据える。
こちらが戦う覚悟を見せたのが相手にも伝わったのだろう。
前方を走る一匹が両足を踏ん張り、大きく跳躍する。自分より巨体の相手だ。その落下攻撃を受け止めきれる筈がない。
走り、前転して鉤爪を躱す。当然その先には、後方を走っていたもう一匹の走竜がいた。
「おおぉぉっ――!!」
雄叫びを上げ、低い姿勢のまま剣を一閃して、こちらを噛み砕かんとする走竜を一刀のもとに斬り伏せた。残りは一匹。
すぐさま振り返り、再び上空から迫る鉤爪を、剣を引き戻すように振り抜いて迎え撃つ。相手の両手が切り落とされ、血液が噴出した。だが、
「ぐっ――」
走竜に押しつぶされ、その両足にロディの胴体と右足が押さえつけられる。足の鉤爪が食い込み、抜け出せない。走竜は叫び声を上げながら頭を振り下ろし、その牙がロディに迫る。
「ぐっ、おおぉっ――!!」
両腕で剣を突き出し、大口を開ける走竜の口内へと剣を深々と突き刺した。鮮血が飛び散り、走竜は力を失って倒れこんだ。
「はぁぁぁ……」
動かなくなった走竜の体をどかし大きく息を吐く。
紙一重だった。少し間違えば、ロディがここで屍を晒していただろう。
「お兄ちゃん! だいじょうぶ?」
駆け寄ってきた狐耳の女の子が心配そうにこちらを見つめてきた。
(正直、鉤爪が刺さったところがすごく痛い)
だが、心配させるわけにはいかない。無理にでも笑いかけ、虚勢を張る。
「大丈夫さ。なんたってお兄ちゃんは、カッコいい騎士様だからな」
また騎士を名乗った以上、格好悪いところを見せられないなと、そう思った。
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