第9話(1/3) 私たちにとっての当たり前

◆   ◆   ◆


 ついこの間、高校に入学した気がするのにいつの間にか5月。

 インターンシップ翌日からのゴールデンウイークもあっという間に終わってしまった。

 朝の通学路はさわやかなはずなのに、どこか気だるい。


》あっ、変な顔《

 駅から学校までの坂道。隣を歩く亜月あづきが俺の横顔にジト目を送ってくる。

 別に変な顔じゃないし。ただあくびをしただけだ。

》ふーん、じゃあそれが陽大ようだいのいつもの顔なんだ《

 そうだけど、悪いか?

》そんなことないし《

 そんなことって?

》だから、ほら……《

 亜月は思考を中断して俺から目を逸らす。

 何が言いたいのかさっぱり分からない。


「何なんだよ?」

 思わず口に出してしまった俺に亜月は

「ルールは守ってよねっ!」

 ビシッと人差し指を突きつけてくる。


「いつもルールを破ってばかりの亜月がそれを言うのかよ?」

「それはそれ、これはこれでしょ?」

 つまり……亜月はルールを破ってもいいけど、俺がルールを破ったらダメということか?

》その通り。さすが陽大だね《

 口には出さずそんな心の声を送ってくる。

 まったく都合のいい考え方だ。亜月らしいと言えば亜月らしい考えだけど。

 けど、なんか違和感がある。


》どうかしたの?《

 キョトンと首を傾げる亜月が俺を見上げてくる。

 やっぱり何かがおかしい。

》普段と何か違うってこと?《

 そう。何かが違う。

 ルールを無視して亜月が俺とテレパシーで会話してくるのはいつも通り。


 違うのは……そうか。


 考えをまとめると俺は口を開く。

「亜月、どうして今日はあんまり話さないんだ?」

「えっ、話してるでしょ?」

「たしかに会話はしてるな。でもいつも以上に、言葉にはしてないだろ?」

「そういえば、そうかもね」

「いつもなら亜月の方が何でもかんでも口に出して言うから、俺がルールを守れって亜月をしかるだろ? それなのに今日は亜月の方がしゃべらないから、さっきは亜月がルールを主張したよな?」

「うん、そうだね」

「何か理由があるのか?」

「えっとね、あるといえばあるかな」

「もったいぶらないでさっさと白状しろよ? どうせ俺をからかおうとかそんなとこなんだろ?」

「違うしっ!」


 プイと顔を背ける亜月。そんな仕草もかわいいけれど、理由が気になるからさっさと話してほしい。


「ほめてもおだてても何も出ないからねっ!」

「いや、何も出さなくていいから、とにかく理由を教えてくれよ」

「そこはもうちょっと優しく言ってほしいけどなぁ」

 不満げに唇を尖らせる亜月は「まぁ陽大だから仕方ないか」と言葉を継ぐ。

 俺だから仕方ないというのは、いかがなものかと思うが、今は亜月の話を聞きたいので俺は何も反論しない。


「仕方ないものは仕方ないでしょ?」

「……さっきルールを守るように言ったのは亜月だったよな?」

「私の話を聞きたいの、聞きたくないの、どっち?」

 まだ俺には不満があるけど、もうこうなると亜月のペースに乗るしかない。


「聞きたいよ。だから教えてくれ。お願いします」

「その棒読み口調はなんとかならないの?」

「ちゃんと心は込めてるからいいだろ?」

「まぁそうだね」


 亜月は一つ頷いてから再び口を開く。

「インターンシップの時のこと覚えてる?」

 もちろん覚えている。

 でも突然そんなことを言うなんて、もしかして俺が種井たねいさんをかばったことをまだ根に持っているんだろうか?

「違うって、そうじゃなくて。むしろあれは堂々としてる陽大のことが……」

「俺のことが?」

「だからっ!」


 亜月は声を上げたかと思うと口をつぐむ。

》かっこいいなって見直したの……《

「そ、そうか。それはありがとう」

「私は何も言ってないっ!」

「だったな。うん、ルールは大事だからな」

「そうだよっ!」

「悪かった。で、亜月は何を気にしてるんだ?」

「陽大が変なことを言うから話がズレちゃったじゃない。……私が気になってるのは、インターンの時に、そのほら?」

 と、亜月はいったん口をつぐむと周りを見回す。

 誰も俺たちの会話を気にしていないことを確認すると俺に視線を向け直す。


「心の声が聞こえなくならなかった?」

「そういえばそうだったな」

「なんか人ごとみたいな言い方だね?」

「別にそんなつもりはないんだけど。でも今は普通に聞こえてるだろ? さっきから俺は亜月の心の声がちゃんと聞こえてるぞ」

「私も陽大の声は聞こえてるんだけど。だから気になるっていうか……」


 実際、俺もインターンの時は気になってはいたんだけど、ゴールデンウイークをだらだらと過ごしているうちにすっかり忘れていた。

「結構、大事なことだと思うんだけど。そんな簡単に忘れてほしくないな」

「聞こえなけりゃ聞こえなくてもいいんじゃないのか? 普通の人たちにとっては、それが当たり前なんだし」

「そうだけど。私たちにとっての当たり前が急に変わるのって嫌じゃない?」


 嫌かどうか、か。

 何にせよそれまで当たり前だと思っていたことが変わるのは、たしかにすっきりしない。

 でも心の声が読め合えるなんてのはおかしな状況なわけだし。

 それが解消されるのは、別に悪くはないようにも思える。

 そもそも心の声が聞こえない状況が続いているわけでもない。

「でもこの間ので2回目だよ? クラスマッチの時にもあったし」

「そうだったな」


 インターンの時には思い出せなかったけど、クラスマッチの時にも同じような状況はあった。

 あの時は亜月が試合を見てなかっただけかと思ったけど、違ったし。


「そうだよ。私はちゃんと試合を見て陽大に指示を送ってたの。でも伝わらなかった。インターンの時もそう。私は陽大に声を送ってたのに届かなかったし、陽大が何を考えているのかも分からなかった」

「けど今は伝わる。それでいいんじゃないのか?」

「いいのかもしれないけど、だけどなんかモヤモヤする」

「すっきりしないのはたしかだな」


 そう短く応える俺に亜月は

「もうっ、陽大はちゃんと考えてるの?」

 と声を荒げる。


 亜月の不安みたいなもの分からなくはない。

 でも、考えろって言われても考えても分からないものはしょうがない。

「どうなっても知らないよ?」

「どうもならないから平気だって」

「ふーん、そうなんだ」

「とにかく今はちゃんとお互いに考えてることが伝わってるんだからいいだろ?」

 亜月に落ち着いてほしくてそんな風に言ったのだが、

「考えが伝わっても分からないことってあるんだね」

 亜月は寂しそうに浅く唇を噛んでいた。


 そんな顔は見たくないんだけど……。

「うん、ごめんね。いろいろ考えすぎちゃったみたい」

「いや、俺の方こそ悪い」

「いいの……。ちょっと急ごうか?」

 言われて周りを見てみると生徒の数は少なくなっていた。

 俺たちがああだこうだと話しているうちに、さっさと学校に向かったのだろう。


「そうだな。遅刻すると面倒だしな」

「うん」


 遅れを取り戻そうと、俺たちは口をつぐんで歩を進めた。

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