第9話(2/3) 私たちにとっての当たり前
◆ ◇ ◆ ◇
登校中、
けれどその日の午前中の授業を終えるころには、何が起きているのかを真剣に考え始めていた。
――教室に着いてから、亜月の心の声がまったく聞こえなくなったからだ。
クラスマッチやインターンシップの時とは全然違う。
授業中や休み時間のふとした瞬間に亜月と目が合っても、互いに何を考えているのかさっぱり分からない。
その方が正常だと亜月に言っていた陽大だが、突然の事態に戸惑ってしまう。
だから昼休みの開始を告げるチャイムが鳴っても頬杖をついたまま机から動けずにいた。
「どうしたんだよ?」
昼休みになれば昼食をとるため部室に向かうはずの陽大の異変に気付いた
陽大はゆっくり顔を動かし、視界に心配そうな悠斗の顔を捉える。
「……別に。何でもない」
「そんな顔してないぞ?」
「いや、ほんとに何もない。ちょっと考え事してただけだ」
「考え事してるってことは何かあったってことだろ? 話してみろよ」
「…………」
自分のことを気遣ってくれるのはありがたい。
でも、亜月と自分との間にはテレパシーみたいな力があるということを知らない悠斗に事情を説明するわけにはいかない。
そもそもそんなことを説明しても信じてもらえないだろうと陽大は大きく伸びをして誤魔化す。
「五月病ってやつだと思う。大したことじゃない」
大きく口を開けてあくびをしながら応えるが、悠斗はなおも食い下がる。
「ほんとか? 亜月ちゃんと何かあったんじゃないのか?」
普段はおちゃらけているくせに意外と鋭い、と陽大は思うが、まともに応じるつもりはない。
「悠斗の頭の中には女の子のことしかないのかよ?」
「悪いかよ?」
「開き直るとはさすがは悠斗だな」
「お前だってそうだろ? もっとも陽大の場合は女の子というか亜月ちゃんのことばっかりなんだろうけどな」
そう言って含み笑いをする悠斗を陽大はジトっと睨む。
「そんなわけないだろ。俺はたまには世界平和のことだって考えたりするんだよ」
「そうだな。世界平和のためには陽大は亜月ちゃんと仲良くしないといけないからな」
「何だよ、それ?」
これ以上悠斗の相手をしていても貴重な昼休みの時間を浪費してしまうだけだと、陽大は立ち上がる。
それでも何やら言ってくる悠斗を適当にあしらいつつ、弁当を取り出そうとカバンを開ける陽大の背後から震える声が聞こえた。
「あ、あの」
「ん?」と陽大が顔だけで振り返ると、そこに立っていたのは
「どうかしたのか?」
「ええ、少しいいかしら?」
「いいけど、今じゃないとダメか?」
悠斗のせいで昼休みが始まってから随分と時間が経ってしまった。
そろそろ部室に行かないとゆっくりと弁当を食べることができなくなってしまう。
そんな思いを込めた陽大の言葉を聞いて、紗羽は顔を俯ける。
「おい、陽大。そんな冷たくするなよ」
小声で告げる悠斗に陽大は「お前のせいで昼飯を食えなくなりそうなんだけど」と言うのだが、悠斗は気にしない。
紗羽の方に向き直り、
「陽大はいいってさ」
「っ……! よかった」
顔を輝かせる紗羽を見ると、陽大も抵抗する気が薄れる。
「悠斗、お前も弁当だったよな?」
「そうだけど?」
「持ってこい。今日は俺も教室で食べるから」
「分かった」
悠斗が自分の席に向かうと、紗羽の方に顔を動かす。
「昼飯を食いながらでいいか?」
「ええ、その方が都合がいいわ。少し待っていてもらえるかしら」
紗羽も自席へと戻っていった。
陽大は都合がいいという言葉の意味を考えながら弁当箱を広げる。
この日のメニューは、から揚げにハンバーグに焼きおにぎり。
どれも陽大の好物ではあるのだが、冷凍食品を解凍しただけというのが味気ない。
もっとも陽大も姉の彩香もほとんどまともに料理をしないから仕方がない。
そんなことを思いながら
「いただきます」
陽大は手を合わせる。
箸を手に取りどれから手を付けようかと悩んだ一瞬の間。
ドスンっ――
鈍い音を響かせ陽大の机に置かれたのは紫色の風呂敷包み。
「……これは?」
「お昼ご飯よ」
紗羽が陽大の疑問に応えながら風呂敷包みをほどく。
現れたのは二段重ねの重箱。漆塗りの表面が鈍く輝いている。
紗羽は蓋を外して陽大に微笑みかける。
「気に入ってもらえたら嬉しいのだけれど」
「えっ、これ俺が食べていいの?」
「ええ、そのつもりで用意したのよ」
重箱の中には、陽大が目にしたことのないほど大きなエビや、表面がツヤツヤな牛肉の厚切り、甘い香りがたつだし巻き卵、エトセトラ、エトセトラ……。
陽大はゴクリと唾をのみ込む。
「種井さんがつくったの?」
「その、料理は少し不得手なので……、家の者に準備してもらったわ」
口元に手をやりながら応える紗羽に、陽大は慌てて声を上げる。
「いや、別に料理ができないことは恥ずかしくなんてないぞ。俺もカップラーメンぐらいしかつくれないし」
「そう……。私はそのカップラーメンというのも準備できるか分からないわ」
「そんなの全然いいって。カップラーメンは体に良くないしな」
フォローになっていないフォローをしていると悠斗も戻ってきた。
「すげえな」
机の上に広げられた重箱に目を見開く。
「どうしたんだよ?」
「この間のお礼をしたくて」
「あぁ、そういうことか」
悠斗は納得するが、陽大にはまだ何のことなのかピンとこない。
「この間って?」
「陽大、マジで言ってるのか?」
「俺はおかしいことを言ったか?」
「ほんとにお前って奴は……」
わざとらしくため息をつく悠斗に紗羽は苦笑を浮かべる。
「いいわ。私がちゃんと説明するから。というよりも改めて言うべきね」
紗羽は居住まいを正すと、まっすぐに腰を折り曲げる。
「中野くん、インターンシップの時はありがとうございました。あまり人に叱られるという経験をしたことがないものだから、すっかり頭が真っ白になったのだけれど、おかげで助かったわ」
陽大はようやく2人が何を話していたのかを理解する。
ただそれでも分からないのは、目の前にある豪華な弁当。
「ここまでしてもらわなくてもいいんだけど?」
「いいえ、これでも足りないぐらいよ。だって中野くんは手料理なら心もいっぱいになると言っていたでしょう?」
そういえばファミレスで亜月とそんな話をした時に紗羽に聞かれていたなと、陽大は思い出す。
少し恥ずかしい思い出に黙ったままでいると、紗羽が言葉を継ぐ。
「だから本当は手料理にしたかったのよ。ゴールデンウイーク中に練習をしたのだけれど、家の者に『お願いだからやめてください』と懇願されてしまったので、こうなってしまったわ」
黒髪をサラリとかき分けながら紗羽は小さく舌を出す。
凛とした印象の強い紗羽のそんな表情に陽大の心臓はドキっと高鳴る。
ヤバい、こんなところを亜月に見られたらのちのちなんと言われる分からないと、キョロキョロするが姿は見当たらない。
セアラもいないし2人で部室に行っているんだろうと、胸を撫で下ろす。
「俺も少しもらっていいか?」
悠斗がよだれを垂らしそうな勢いで重箱を見つめていた。
「ええ、もちろん。みんなでいただきましょう?」
「じゃあ、遠慮なく」
周りの空席を陽大の机にくっつけて、自分と紗羽の分の椅子を並べると悠斗は手を合わせて弁当を食べ始める。
「中野くんもどうぞ?」
「……残したら悪いからな。いただきます」
誰に聞かせるわけでもない言い訳を口にしてから陽大も弁当に手を伸ばした。
冷凍食品とはもちろん違う。亜月がつくってくれる家庭的な味とも違う。
味わったことのない高級な食材をゆっくりとかみしめる。
「うまいな」
「そう。良かったわ」
満足そうな陽大を紗羽は目を細めて眺めていた。
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