第4話(3/3) 不安じゃないの?

◆   ◇   ◆   ◇


 週末とはいえ、ピークにはまだ早い時間帯。ファミレスの人の入りはそこそこ。

 亜月あづき陽大ようだいは待たされることなく席に案内された。

 窓際の奥のソファー席に陽大が座り、亜月は向かい側の椅子に腰を下ろした。


「さてと……」

 早速注文しようと、陽大はタブレット端末を手にする。

 が、すぐに「しまった」と亜月に端末を手渡す。


「へー、高校生にもなればレディーファーストを心がけないといけない、ね。陽大もちょっとは気が利くようになったんだね」

「俺はそんなこと言ってない」

「言ってないけど心の中で思ったんだから一緒でしょ?」

「だからルールを守れよ。それよりさっさと注文してくれよ。腹減ってるんだよ」

「はいはい」


 亜月は恥ずかしさから顔を背ける陽大からタブレットを受け取り、手早く注文を済ませる。


「はい、どうぞ」

「おう」

 短く応える陽大。

 待ちきれなかったとばかりに、次から次へと目当ての料理を選択していく。

 マルゲリータに、カキフライ、から揚げに大盛りポテト。

 チーズインハンバーグにはもちろんスープとライスのセットを付けるのを忘れない。

 そんな陽大に亜月はあきれ顔を向けている。


「……いっつも思うんだけど、よくそんなに食べられるよね」

「成長期なんだから仕方ないだろ?」

「けどそんだけ食べたら太るんじゃないの?」

「大丈夫だって。学校に行くときには毎朝坂道を上ってるし」

「限度ってものがあると思うんだけど……」

「そんなに気にするなよ」


 つっけんどんに口ではそう言いながらも陽大は亜月の反応が気になって、つい思ってしまう。

(亜月は俺が太ったら幻滅するのか?)

「……別に」

「別にってなんだよ? それじゃ分からねえよ」


 心を読まれたくなくて、亜月は陽大の質問には答えず言葉を継ぐ。

「私が料理する時にはそんなに食べないでしょ? それなのに外では食べるって、もしかして私の料理は口に合わないの?」

「いや、そんなことはない。亜月の料理は好きだ」

「好き……」


 両手で口元を覆う亜月に陽大は目を白黒させる。

「かっ、勘違いすんなよっ! 料理が、だぞ。料理が好きなんだぞ」

「分かってるよ……」

 このヘタレ、という言葉は口には出さない。


 けれど陽大には当然、伝わるわけで、

「悪かったな……」

「まだ口に出してないんだから、気にしないでいいよ」

「……いずれ口に出すのか?」

「まっ、それは陽大次第かな」

 口の端に笑みをたたえながら亜月。からかわれた陽大は唇を尖らせる。


「ったく、亜月には敵わねえよ」

「そんなの分かってるでしょ?」

「そうだったな」

「でさ、さっきの答えを聞いてないんだけど?」

「あぁ、なんで外だとたくさん食べるかってことか」


 うなずく亜月に陽大は気まずそうな顔を浮かべる。

「今さら私と陽大の間で恥ずかしがることなんてないでしょ?」

(……亜月の手料理を食べると腹だけじゃなくて、心も満たされるからだよ)

 そんな心の声が聞こえてきて亜月はボワッと頬の色を変える。


「……これでいいだろ?」

 つぶやくように言う陽大に、けれど亜月は

「聞こえない。ちゃんと口に出して言って。ルールでしょ?」

 自分も恥ずかしいくせにそれを押しとどめながら声を絞り出した。


「こんな時だけルールのことを持ち出すなよ。亜月の顔を見れば俺が何を考えてたかが伝わってるってことは分かるんだから」

「あっ、そんなこと言うなら今度は私も口に出して言うよ?」


 陽大には「何が」と訊く必要はなかった。

(ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ、ヘタレ……)

 呪詛じゅそのように亜月は心の中で繰り返していた。


「分かったって! 分かったから」

 根負けした陽大は軽く目をつぶって深く息を吸う。

 目を開くと亜月は期待で瞳をキラキラ輝かせていた。

「一回しか言わないからな?」

「うん、一回でいいよ」

「……俺は手料理を食べると腹だけじゃなくて、心も満たされるからあんまり食えないんだよ」


 亜月の、と付けなかったことに多少の不満は残る。

 けれど陽大が自分の望んでいた言葉で鼓膜を震わせてくれたことには、満足する。

 ちょっとはほめてあげようかな、と口を開きかけた時。


「へえ、手料理にはそんな効用があるのね」


 涼やかな声を発したのは、種井たねい紗羽さわ

 すっかり2人の世界に入り込んでいた亜月と陽大のテーブルのすぐ横に立っていた。


「紗羽ちゃん……?」

「こんにちは。それとも、もうこんばんはの時間かしら?」

「あぁ、うん、こんばんは。……って、いつから聞いてた?」

 亜月は身を乗り出してたずねる。


 陽大に恥ずかしいことを言わせたのは自分だというのに、それをほかの人に聞かれていたかと思うとそれはそれで気まずい。

 しかも相手が紗羽ならなおさらだ。

 同じ学級とはいえ、それほど紗羽は親しい仲ではない。

 それでも紗羽ちゃんなんて呼ばないといけない女の社会はやっかいだと思う。


「ちょうど中野くんが、『手料理を食べると心も満たされる』と話していたところからね。ついさっき店内に入ってきたものだから」

「そっか、それなら良かった」

「良かった?」


 キョトンと小首を傾げる紗羽を、亜月は同じ女でありながらかわいいと思ってしまう。

 と同時にそんな姿を見た陽大がどう反応するのか気になって、横目でそっと窺うと陽大は顔を背けていた。

 入学式の時はあれほど熱心に紗羽のことを見つめていたというのに、どうしたのだろうかと疑問が浮かぶ。

 でも空腹のあまり紗羽にも注意を払っていないんだろうと、さっさとその疑問をしまって紗羽に向き直る。


「ううん、なんでもない」

「そう」

「うん、それより紗羽ちゃんがファミレスに来るってちょっとイメージと違うんだけど」


 伝え聞いた話によると、紗羽はどこぞの社長令嬢らしい。

 だから自分たちが気軽に立ち寄れる場所には来ないだろうと勝手に決めつけていた。


「来たことないって言ってたから連れてきちゃった」

 亜月に応えたのは、クラスメイトの橋田はしだりん

 紗羽の後ろからぴょこんと姿を現した。


「そうなのよ。橋田さんが連れて来てくれると言うものだから厚意に甘えさせてもらったの」

「厚意だなんて。ファミレスに来るのなんて、大したことじゃないよ」

「そっか」

「そうだよ。高校生の放課後っていえばファミレスなのに来たことないって言うから」


 軽やかに応える凛を見て、亜月は誰とでも親しくできるこのなら紗羽にもそんな風に声をかけるだろうなと納得する。


「じゃあ、亜月ちゃんは中野くんとの時間を楽しんでね」

 私たちはただの幼馴染だからと告げる間もなく、凛は紗羽の背を押して店の奥の方へと向かう。

 遠ざかる2人を見送る亜月の胸に、ふと違和感がよぎる。


「なんだろ、これ?」

 ぽつりと漏らす亜月に陽大が怪訝そうな表情を向ける。

「どうしたんだよ、変な顔して?」

「変な顔なんて失礼なこと言わないでよっ! なんでもないから」

 亜月は自分でも正体の分からない感覚を頭の片隅に追いやって陽大に声を荒げる。


「なんでもないならいいけど。けど亜月が種井さんのことを紗羽ちゃんなんて呼ぶなんて意外だな。そんなに仲良さそうにしてるの見たことないけど」

「女の社会にはいろいろあるのよ」

「ふーん、大変なんだな」

「あっ、全然そんなこと思ってないでしょ?」

「まぁ俺には関係ないことだしな」

「ひっどーいっ!」


 そんな風に言葉を交わしているうちに注文した料理が次々と運ばれてきた。

 テーブルいっぱいに置かれた料理を手も口も汚しながら頬張る陽大を亜月はほほえましく眺めていた。




「紗羽ちゃん、ドリンクバーはこうやって使うんだからね」

 紗羽は凛に教わりながら初めて自分で飲み物をグラスに注いでいた。


 けれどその視線が向かうのは、少し離れたテーブルに座る陽大。

 あれほどおいしそうに食事をする人の姿を紗羽は見たことがなかった。

 しかも手料理なら心までもが満たされると、陽大は言っていた。


「私がつくった料理を食べても幸せそうな顔をしてくれるのかしら……?」


 か細くつぶやいた紗羽に凛が慌てて声をかける。

「ちょっと、紗羽ちゃんっ、こぼれてるよ!」

「あら、それは大変ね」

「笑ってる場合じゃないからね」

「ごめんなさい、どうすればいいのかしら?」

「もう、しょうがないなあ」


 口ではそう言いながらも凛は嬉しそうに機械の操作方法を紗羽に教える。

「初めてのことをするのって楽しいものね」

 凛の顔を見やって、紗羽も表情をほころばせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る