第2話(1/3) 白黒はっきりさせたいでしょ?

◇   ◇   ◇


 入学式の日の朝。


「行ってきます」

 いつもより大きく声に出して玄関を出ると、空は私の門出を祝福してくれるかのように晴れ渡っていた。

 深く息を吸い込むと、春の新鮮な空気で肺が満たされるのを感じた。


「さて、と」


 陽大はまだ玄関先に姿を見せていない。

 一緒に登校する約束をしてるから先に行ってるはずはないんだけど、女の子を待たせるなんて何を考えてるんだろう。

 わずか数歩だけ離れた陽大ようだいの家に行き、勝手にガチャリと玄関を開ける。

 すると、


「なっ、勝手に開けんなよ」


 ちょうど靴を履こうとしていた陽大がいた。


「いつものことだし、それに陽大が遅いのが悪いんでしょ」

「それはそうかもだけど……。まぁ、いいや、さっさと行くぞ」


 陽大はそう言うと、玄関を出て鍵を閉める。

 真新しい制服には当然、しわ一つない。紺のブレザーとスラックス。胸元には細身の赤いネクタイを着けている。

 うん、なんか大人っぽい感じがしていいね。

 最近、身長も伸びてきてるみたいだし。私もいつの間にか追い越されてた。

 意外と高校では女の子の間で人気になるかもしれない。

 それは……ちょっと複雑な気分。


「……そんなじろじろ見るなよ」


 陽大はほんのりと頬を染めながら、ジト目を私に向けてくる。


「いいじゃない、別に減るもんじゃないし」

「減らなければ何をしてもいいってもんじゃないんだぞ」

「何それ? 意味分かんないんだけど。……そんなことより、何か言うことはないの?」


 私は陽大の前でクルリと回って見せる。

 紺色のセーラー服。襟には白いライン、胸元には赤いネクタイと、とてもクラシカルなデザインのもの。

 今時っぽくないのが、逆に私は気に入ってるんだけど、陽大はどうかな?

 チラリと表情を窺う。


》ちょっ、そんな短いスカートでクルって回るなよ。中が見えるだろ。……っていうかちょっと見えた気がする。黒……、いや、あれは影で、白か……《

「陽大くんは何を見てるのかなぁ?」


 目の笑ってない私の笑みを見て、陽大は慌てる。


「いや、見たっていうか、見えたっていうか。……とにかく、俺は悪くないっ」

「ふーん、そんなこと言うんだ」


 人差し指を顎に当てながら言う私の目を陽大は見ようとしない。

 ……そっちが、そのつもりなら。


「そんなに気になるんだったら、見せてあげよっか? 白黒はっきりさせたいでしょ?」


 私はスカートの裾をつまんで、陽大を上目遣いで見つめる。


「なっ、何言ってんだよ」

「えー、一緒にお風呂にだって入ったことあるのに、今さら何を照れてるの?」

「そんな子どものころのことを持ち出すなよ。まだ幼稚園のころの話だろ?」

「だけど、陽大は気になるんだよね? 私のスカートの中身が」

「分かった、分かった。俺が悪かった。変なことを考えたことは謝るから、ほんとに許してくれ」


 陽大は私を拝むように両手を合わせて懇願している。

 まぁ、こんなもんで許してあげようかな。そろそろ学校に向かわないといけないし。


「だろ? 入学式から遅刻するなんてあり得ないからな」


 そう言うと、陽大はスタスタと歩き始めた。

 まだ許すとは口にしてないんだけどな。

 でも、かわいい表情が見れたから良しとしますかね。


》男に向かって、かわいいとか言うなよ《


 陽大は振り返ると、ギロリと私を睨みつけてくる。

 でも、私は何も言ってないもんね。

 口に出して言わないことは、聞こえなかったフリをするってルールを決めたのは陽大だしね。


「……はぁ、分かったから、さっさとしろよ」

 陽大はやれやれと首を左右に振ると、再び歩き出した。


 私たちが今日から通う県立魚見丘うおみがおか高校の最寄り駅は、私たちの家の最寄り駅から3駅先。

 だから電車に乗っている時間はあっという間。

 ただ、問題はここからなんだよね。

 駅から学校までは長くて急な上り坂が続く。春休みに下見に来た時には、上りきるのに15分もかかった。

 坂道の入り口に差しかかり、私は思わず深いため息をついてしまう。

 これが3年間続くのか。


「足腰も鍛えられるし、いいんじゃないか?」


 私につられる様に立ち止まっていた陽大はこともなげに言う。


「こんな坂道を毎日上ったら、足が太くなっちゃいそうで嫌だな」

「そんなこと気にしてるのかよ?」

「そりゃ気にするでしょ。女子高生なんだよ、私」

「ふーん、でも、今は細すぎるぐらいだからちょうど良くなるんじゃねえの」


 陽大は私の足を舐めるようにじっとりと眺めている。


「ちょっ、そっ、そんな変な描写をするなよっ。せいぜいチラリと横目で見た、ってとこだろ」

「いいんだよ、そんなに恥ずかしがらなくても?」

「何をバカなことを言ってんだよ。亜月あづきは、あれだ、ほら、もっと自分を大事にしろ」


 陽大は目を逸らしながらそう言うと、私を置いて歩き出す。


「ちょっと、置いてかないでよね」

「だって、周りを見てみろよ。みんなさっさと歩いて行ってるぞ」


 たしかに私たちと同じように真新しい制服に身を包んだ生徒たちがどんどん私たちを追い越していっている。

 今日は在校生は休みで、入学式だけだから、きっと同じ新入生なんだと思う。

 そんな風に見回している間にも陽大は私を置いて、さっさと坂道を上っている。

 まったく、もうちょっとは私を思いやってほしいものだね。

 徐々に離れていく背中に追いつこうと、私は小走りになる。

 おろしたてのローファーはまだ足に馴染んでいない。

 小指の辺りが窮屈な感じがして、ちょっと痛い。

 けどこのまま陽大に置いていかれるのも嫌だし、ちょこちょこと足を動かす。


 あと何歩かで追いつけると思った時。

 道路の小さな段差に足がかかってしまった。


 わ、わ、わわっ。


 衝撃に備えようと、目をつぶった次の瞬間。

 私は温かい感触に包まれていた。


「ったく、何してんだよ?」


 私は陽大の胸に抱かれていた。

 もうちょっと距離があると思ってたのに、いつの間に戻ってきてたんだろう?


「亜月が変な声出すから分かったんだよ。わわわ、とかなんとか」

「……そっか。ありがと」


 私はささやくように声を絞り出す。

 ――って、早く陽大から離れなくっちゃ。

 通り過ぎる生徒たちは私たちの方を眺めて、羨ましそうだったり、妬ましそうだったりする視線を投げつけてきている。

 入学式の日からこんなことじゃダメだよね。

 私は陽大から体を離すと、改めてお礼を言う。


「ありがとう。ほんとに。高校初日から転んだりしたら、幸先悪いしね」

「気にすんな。……じゃあ行くか」

「うんっ」


 陽大はそそくさと私から顔を背ける。

 ……何を照れてるのかな?

 人前で抱き合うような形になっちゃったから、それは分かるんだけど。でも、どうにも、それだけじゃない気がする。

 と、思っていると、陽大の心の声が応えてくれた。


》やっぱり、女の子って柔らかいんだな。亜月も胸はなさそうに見えるのに。……いや、もしかして、着痩せするタイプなのか?《

「ちょっとー、何を考えているのかな?」


 私は腰に手を当てながら、ビッと陽大を指差す。


「わっ、悪い。ついって言うか、どうしてもって言うか。出来心って言うか」

「それに、私の何がないって言うの?」

「いや……聞こえただろ?」

「聞こえたけど、聞こえない。聞かない」

「健全な男子高校生としては当然の反応なんだよ。仕方ないだろ? 口には出さないように我慢したんだからそこは評価してくれよ」

「口に出さないなんて当たり前でしょ」

「ほんとに悪かったって」


 とかなんとか陽大はまだ惨めにも言い訳を並び立てていたけど、私は陽大を置き去りにして歩き出す。

 けど今になって、陽大が昨日、ルールを決めようって言った理由が分かった気がする。教室の中でも今みたいなやり取りをしてたら、クラスメイト達から不審がられるのは間違いない。

 そうなれば、とてもじゃないけど平穏な高校生活は送れないと思う。

 ……でも、このルールを守るのも難しそうだね。

 今もそうだったし。

 チラリと後ろを見ると、陽大と目があった。


》やっぱり、足はスラリとしててきれいだな《


 ――なっ、またっ、変なこと考えてるっ!

「もう知らないっ!」


 私はそう言い残すと、歩くスピードを上げた。

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