第1話(3/3) ルールは大事だよね
◆ ◆ ◆
「ちょっとだけ家に寄ってから行くから」という亜月と別れ、俺は一足先に家に戻っていた。
手を洗うと、リビングに面したアイランドキッチンに立つ。玉ねぎを刻んでおくように、
普段ろくに料理はしないので、刻むというのがどの程度のことなのかよく分からない。
まぁ、適当にざっくりと切ればいいかと、手を動かしていると亜月がキッチンに姿を現した。
戸棚を開け、南国の花があしらわれたエプロンを取り出している。
今日のようによく料理をしてもらうことがあるため、ここにいつも置いてあるものだ。
「そうだよー、ちょっとは感謝してよね」
エプロンを身に着けながら亜月が首だけこちらに向ける。
「さっきルールを決めたばっかりなのに、さっそく破るのかよ?」
「ここには2人しかいないんだから、いいでしょ?」
「それはそうだけど、普段から気を付けとかないと、癖になるだろ」
「その時はその時だよ」
俺の抗議をさらりと受け流して、亜月は冷蔵庫や戸棚の食材を確認している。
「うんっ、思った通りちゃんとあるね」
「姉ちゃんはいつも食材だけは買ってくるからな。料理はほとんどしないで、亜月任せだけど」
「まぁ、
こういう風に解釈してくれる亜月がいるせいで姉ちゃんが料理を放棄してるんじゃないかと俺は思う。
将来、嫁の貰い手がいるのか、自分の姉のことながら少し不安になる。
ただ、両親を早くに亡くしてから二人で過ごしているので、俺の面倒を見てくれているのには感謝している。
「それ、ちゃんと彩香ちゃんに言ってるの?」
「言うわけないだろ。面と向かって家族に感謝するなんて、思春期の男子にはハードルが高いんだよ」
「私と違って彩香ちゃんは
「分かったよ。そのうちな」
「あっ、それ絶対に言わないやつだ」
わざわざ食材を取り出す手を止めて、俺の方を指差してくる。
「いいだろ。うちの家庭のことなんだから」
素っ気なく言う俺に亜月は口を閉ざす。
だが、
》私もその家庭の一員になるかもしれないのに《
「ゲホっ、ゲホっ……」
とんでもない亜月の思考が飛んできて俺は思わずむせてしまった。
「なんてことを考えてるんだよ」
「ルールっ! 自分で決めたんでしょ? 私は何も言ってない」
亜月は顔を真っ赤にして、先ほど自分で否定したばかりのルールの運用を主張してくる。
たしかに俺としても今の一言にはツッコめない。あまりに破壊力が高すぎた。
ちょうど玉ねぎを切り終えたことだし、リビングに避難しよう。
「玉ねぎこんな感じでいいか?」
亜月に切り刻んだ玉ねぎを載せたまな板を示す。
「どれどれ……って、これ切り刻んでないじゃん! ただ、適当にざく切りしてるだけだしっ。私は刻んでって頼んだんだけどなぁ」
「大して変わんねえだろ」
「全っ然、違うよ。おいしいカレーを作るにはこの最初の一手が大事なんだよ。細かく刻んだ玉ねぎをきつね色になるまで炒めることで、コクのある味になるんだよ」
「あっ、今日カレーなんだ? だったら、なおさらどう切ったって良くないか。どうせ煮込んだらどろどろになるんだし」
「はぁー」
亜月はわざとらしいほどに大きなため息をついた。
「わざとらしくないし。ほんとにがっかりだよ。……まぁいいや、あとは私がやるからリビングで待ってて」
俺はその言葉に甘えることにして、リビングに移りソファーに座る。
亜月の料理は何でもうまいし、特にカレーは俺の好物だ。楽しみに待たせてもらおう。
しかし、姉ちゃんがこうしてたびたび料理をさぼるせいで、すっかり俺の胃袋は亜月に掴まれている。
心を掴むには、まず胃袋からとか言うらしいけど、そういう意味でも俺は完全に亜月に掴まっている。
なんて思っていると、
ザクっ――。
ひときわ大きな音がキッチンから響いた。
慌てて振り向くと、亜月が真っ赤な顔をして立っていた。
「大丈夫か? 指とか切ったりしてないか?」
「……何でもないっ! テレビでも見ててっ!」
心配して声をかけたのだが、肩をプルプル震わせて怒鳴られてしまった。
余計なことを言うと、また怒られそうなので、俺は素直にテレビをつける。
ちょうど夕方のローカルニュースが始まる時間。
男性と女性のアナウンサーが、「いよいよ明日から新学期ですね」「そうですね、街中で初々しい姿が見られますね」なんて会話を交わしていた。
その後、テレビはウミガメの初産卵が確認されたことや、ちょっと早めにスイカの収穫が始まったことなんかを伝えていた。
番組の後半、天気予報が終わるころ、キッチンから声がかかった。
「できたわよ。運んでくれる?」
「いい匂いがするな」
俺は応えながら立ち上がる。
「当たり前でしょ? 陽大の好みに合わせて作ったんだから」
「はいはい、ありがと」
軽口をたたき合いながら、俺と亜月は配膳を済ませた。
「じゃあ、いただきます」
「はい、召し上がれ」
スプーンでルーとご飯を一緒にすくって口に運ぶ。
ちなみに俺はカレーをかき混ぜて食べることはしない。
そのことを知っている亜月は、当然の様に深めの皿に、ルーの部分と米の部分をきっちり分けてよそってくれている。
パクリと口に含むと、程よい辛さと甘さが広がる。
うん、今日もうまい。
》でしょ? ちゃんと玉ねぎを炒めたからこその味だよ《
俺と同じようにモグモグと口を動かしている亜月の考えていることが伝わってくる。
ものを食べている時はしゃべらないようにと言われるが、こういう時だけはテレパシーは便利だ。
でも、玉ねぎをちゃんと炒めたことがこの味につながっているのかは、いまだに疑問だということは主張させてもらおう。
》もう、分からず屋さんだなぁ《
だって、こんだけ丁寧に煮込んだらどう切ろうが変わらないだろ?
》違うってば。そんなに言うんなら、今度はそのやり方で陽大が料理してよ《
ほんとにいいのか? 俺が普段する料理と言えば、カップラーメンか袋ラーメンぐらいしかないんだけど。
「はいはい、素直に『俺は亜月の料理が好きなんだ』って言えばいいんだよ?」
口を空っぽにした亜月は、今度は声に出して言う。
「俺は亜月の料理が好きなんだ」
「まったく少しぐらいは心を込めて言えないの?」
「ほんとにそう思ってるって」
「まぁ、陽大は私に嘘をつけないから、ほんとなんだろうけどね」
そう言って亜月は両手で頬杖をついて俺をにやにや見ている。
食事中に肘をつくなんて、行儀が悪い。
「誰のせいだと思ってるのかな?」
「そうやってなんでも俺のせいにするなよ。……それより、ほんとに明日から俺たち大丈夫かな? せっかくルールも決めたのに、亜月は全然守る気はなさそうだし」
「大丈夫だって。人前ではちゃんとルールも守るし」
「頼むぞ。特に初日から失敗したら高校3年間、大変になるんだからな」
「分かってるよ。それに……失敗したらしたで、なんとかする方法はあるしね」
フフンと上機嫌そうに亜月は笑っている。
でも、なんとかする方法って何だ?
さっぱり分からない。
「えー分からないの? そっかー、まっ、そうだよね、陽大だし」
「いったい何なんだよ? そんなにもったいぶるなよ」
「それは、ヒ・ミ・ツ」
唇に人差し指を当てる亜月。
……その仕草は、とんでもなくかわいいからやめてほしい。この場なら許されると思うが、他の人がいる前だと、俺は悶え死ぬ様子をさらけ出してしまうことになる。
「……うん、分かった。気を付けるよ」
亜月は耳まで真っ赤にして小声でそう言った。
そんなこんなで、俺と亜月の高校入学前夜は過ぎていった。
だけど、ほんとにこんな調子で大丈夫なのか。
考えれば考えるほど不安が募り、その晩はなかなか寝付けなかった。
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