第1話(2/3) ルールは大事だよね
◆ ◇ ◆ ◇
『ちょっと話したいことがある。いつもの公園に来てくれないか?』
ブランコと滑り台、それに鉄棒だけがある小さな公園。陽大と亜月が幼いころから慣れ親しんだ所だ。
陽大たちが暮らすのは鹿児島市。まだ4月の初めではあるが南国らしく、夕日が照らす公園には暖かい空気がゆっくりと流れる。
入り口の脇には一本の桜の木。気が早いもので、入学式の前日だというのに、既に花びらを散らし始めていた。
「それにしても、亜月のやつ遅いな。もう30分は経つぞ」
右の手のひらに落ちてきた桜の花びらを眺めながら陽大は悪態をつく。
『ちょっと待ってて』と返信はあったから、来るのは間違いないはず。だけど、さすがに時間がかかりすぎなんじゃないかと陽大はいら立ちを募らせ始めていた。
自分の方から誘ったんだから、しょうがないと言えばそうなのだが、それでも限度ってものがあるんじゃないのかと思う。
亜月が来たらなんて文句を言ってやろうかと考えていた陽大の背後から声がかかった。
「女の子にはいろいろと準備が必要なんだから、仕方ないでしょ?」
全く悪びれる様子のない亜月が立っていた。
「それにしたって、遅くねえか? 家からここまで2、3分ってとこだろ」
「もうっ! そんなこと言うから陽大はモテないんだよ」
亜月はいたずらっぽく笑うと、両手を後ろで組んで、体を傾けて陽大の顔を見上げる。
突然見せられたかわいらしい仕草に陽大の心臓はドキリと跳ね上がる。
(ずるい。そんなかわいい表情されたら、何も言えなくなるじゃねえかよ)
「……なっ、何か言いたいことがあるの?」
ドキマギする陽大に、亜月も頬を赤く染めて訊ねる。
「……分かってるだろ?」
「分かってるけど、分からないよ。言葉にするのって大事なんだよ?」
「だけど、亜月は俺の心が読めるだろ?」
「それでも、だよ」
はあ、と陽大はため息をつく。
全く分からない。亜月の心は読めているはずなのに何を伝えたいのか分からない。
でも……やっぱりそんな強気なところもかわいいんだよな。
チラリと横目で亜月を窺う陽大。
「もうっ、さっきから人のことをかわいい、かわいいって何なのっ?」
「……っ。それは口に出して言ってないだろ?」
「伝わってくるんだから仕方ないでしょ」
強がって言いながら亜月は真っ赤にした顔を両手で覆う。
――やはり、これはまずい。
二人の思いは一致する。
だから、陽大は亜月を呼び出した理由を説明することにした。
「あのな、ここに来てもらった理由なんだが、明日からの高校生活のことなんだ」
「高校生活がどうしたの?」
「亜月と俺の間で、ルールを決めたいって思ってるんだよ」
「ルール? そんなの必要かなぁ?」
亜月はきょとんと首を傾げ、人差し指を頬に当てる。
「いや、必要だろ。今も身をもって体感してると思うんだけど、このままじゃいろいろとまずい気がしないか?」
「……そうね。同じ教室で過ごすことになるのだから、不都合も出てくるかもしれないね」
「だろ? 今みたいに突然二人で顔を赤くしてたら、周りの連中から何だあいつらって目で見られることになりそうだしな」
「それに……」
亜月は笑みを浮かべて続ける。
「陽大が『あの子の胸がでかい』とか『あの子のミニスカートから覗く足がきれい』とかって考えてるのが常に伝わってくる生活は大変そうだね」
「なっ、そっ、そんなこと思わねえし」
慌てて否定する陽大。
「そうかなぁ?」
「そうだよ。俺は一途なんだよ」
「へぇー」と、素っ気なく応えたあとで、亜月は陽大の言う一途が自分のことを指しているのだと気付く。
(そこまで想ってくれてるんなら、さっさと告白してよね)
亜月の心から漏れる声に陽大も黙りこくってしまう。
二人の間には再び気まずい沈黙が落ちる。
空は徐々にオレンジ色に染まりつつある。
その空を1羽のカラスが飛ぶ。
カアー、カアーという鳴き声をきっかけに陽大が沈黙を破る。
「……その、ルールの話に戻していいか?」
「そっ、そうだね。ルールは大事だよね」
先ほどルールの必要性に疑問を呈していた亜月だったが、態度を180度転換する。
陽大はその様変わりに突っ込むことはしない。話が逸れれば、また二人して顔を赤くしてしまうことになりかねないと思ったからだ。
「うん、俺が決めたいルールってのは、まぁ、ここまでの話で分かってるとは思うけど、俺たちのテレパシーに関係するものだ」
「まぁ、そうなるよね。で、陽大はどんなルールを考えてるの?」
「あぁ、簡単に言うとだな、お互いに心を読み合っても、実際に口に出さないものは知らなかったことにするってことだ」
「つまり……陽大が心の中でどれほど私のことを好きだって思っていたとしても、私は知らないフリをするってこと?」
「……ぐっ。その例えは、ちょっとあれだけど、まぁ、そういうことだ」
「それはいいかもしれないね」
亜月は大きく首を縦に振る。
「だろ? さっき亜月も言葉にするのが大事って言ってたしな。簡単じゃないかもしれないけど、やってみる価値はあると思う」
「うん。そうだね、やってみよっ!」
満面の笑みを浮かべる亜月に、陽大は満足げにうなずく。
これで、少しは落ち着いた高校生活が送れるかもしれないと、胸を撫で下ろす。
「でも、明日から私たちも高校生なんだねぇ」
「そうだな。けど、そんなに変わらないだろ?」
「えーっ、そんなことないよ。中学生と高校生じゃ全然違うよ」
唇を尖らせて抗議する亜月に、陽大は少し戸惑う。
「何が違うって言うんだよ?」
「だってさ、高校生ってちょっと大人になった感じがしない? 行動範囲も広がるし、18歳になれば選挙にも行けるようになるんだよ」
「そうは言ってもな。あんまり実感がないな」
「もう、陽大は夢がないなぁ」
「まぁ、新しい制服を着たりしたら少しは気分が違うのかもな」
「そうだよっ。あっ、今、私の制服姿を想像したでしょ?」
「……っ。さっそくルールを破るのかよ? 今さっき決めたばっかりだぞ」
「いいでしょ、どうせこの場には私と陽大しかいないんだし。二人っきりの場だったら別に問題ないじゃない?」
珍しく正論を言う亜月に、陽大は言葉を返せずにいた。
すると、
「あっ、そんなに見たいんだったら、今から見せてあげよっか?」
「いや、いいよ。俺はお楽しみはあとに取っておく方なんだよ」
何気ない返答に亜月の胸が弾む。(……お楽しみなんて。確かに言葉にするのは大事って言ったけどさぁ、不意打ちはやめてほしいよね、ほんとに)
頭の中に響く亜月の声に陽大も困惑する。
かといって、自分でルールを提案したばかりなので、茶化すわけにもいかない。
視線を交わしたまま気まずい二人。
どうしたものか、と悩む陽大を救うかのようにジーンズのポケットに入れたスマホが震えた。
「どうしたの?」
「あぁ、姉ちゃんから」
「
「あぁ、大学の友達とご飯を食べに行くことになったから、晩御飯は適当に済ませてだって。……ったく、それなら早く言ってくれればいいのに。まぁ、袋ラーメンの買い置きがあったはずだから、いいけど」
「ダメだよっ!」
半ばひとり言のつもりで漏らした言葉に思いのほか力強い反応が返ってきて陽大は驚く。
「何がダメだって言うんだよ?」
「明日は高校の入学式なのに、その前日に袋ラーメンなんて風情がない」
「いや、風情ってこんな時に使う言葉じゃないだろ?」
呆れ気味の陽大に亜月は構わない。
「とにかく、ダメなものはダメなのっ!」
「じゃあ、どうしろってんだよ?」
「そんなの決まってるでしょ。――私がつくってあげる」
「いや、それはありがたいけどさ。それこそ、亜月も明日入学式なのに、家族と食べなくていいのか?」
「いいのっ!」
ここまで亜月が何かを主張すると、どう反論しても無駄だということを陽大は経験から知っている。だから、素直に亜月の厚意に甘えることにした。
「分かったよ。じゃあ、よろしく頼む」
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