エピローグ

2021年4月

 むろん、再三彼女たち自身が語るようにこれが最後の別れではなかった。

 入学式に際しては、卒業式と同様に校歌斉唱の要員として合唱部が駆り出される。


 まだ、例のベールのようなマスクはつけたままだ。

 皆、毎度持ち帰って丁寧に洗っているために、幾分くたびれてきている。

 間宮先生いわく「新入部員を迎えたら、部費から洗い替え用を含めての買い増しをする」という。

 それは『そうした措置そちが必要な程度には、ワクチンの接種は先になるだろう』という見立ての裏返しでもあった。


 入学式への参列が済むと、合唱部員達は音楽室に帰る。

 そして改めて発声練習から、翌日のオリエンテーション用の練習をする。

 曲は『Seasons of Love』だ。それに合わせて、NHKコンクールの課題曲も軽く通して歌う。


 翌日のオリエンテーションを迎えると、早速に最初の新入部員たちが来る。

 その傾向は毎年分かりやすい。

 まず、かつての未來や小柴と同様、将来音楽方面を志望進路した子ら。

 そしてりょうのように元々音楽に素養があって、その流れでやってきた子らである。


 迎える側は12年生になったりょうや明衣と共に、未來の姿もあった。

 だがそこにいる彼女は既に標準服を着ることはなく、学校の受付で渡される入館証を首にさげた大人びた私服姿であった。

 そして新入部員の指導の手伝いのために、卒業生たちは在校生に寄り添うようにして歌の輪に加わる。それとなく傍について、発声や音取りのエスコートをするのだ。

 この慣習は変わらない。


 ――既に世の中にcovid-19のワクチンというものは存在している。

 開発国では去年の年末より接種を開始している国もあった。

 だが日本はそうした国よりは幾分か遅れている。

 政府は国民の大半に相当するワクチンを年内に確保するとしている。少なくとも、夏の五輪には間に合わせようと焦っていることだろう。

 それでも感染時の重症化リスクも低いとされる若く健康な高校生に、それが巡ってくるのがいつになるかはわからない。

 故に、いまだ彼ら彼女たちは、マスクと静寂の中で生きることを強いられ続けている。

 

 桜が散るか、梅雨が来るか、それとも夏か。

 covid-19という災難が本当に払われる日を、誰もが不要不急などとそしりを受けぬ日を、心から待ち望んでいた。

 

 ――部活を終えた、夕暮れ。

「りょう、今年の誕生日は何が欲しい?」

 鈴木明衣は、柾目りょうを名前で呼ぶようになった。

「そうだなあ――」

 ふたりはこの春も、柾目家へと帰り続けている。

 ――去年の今ごろは、ズームや顔の見えないボイスチャット越しだった。

 互いに、毎日会える、その幸せを噛みしめていた。

 今はまだ、それで十分だった。それが変わるのはいつだろうか――。


                            (おしまい)

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合唱禁止、公演中止。~covid-19で部活ができないのでオペラをやってみた~ たけすみ @takesmithkaku

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