2021年3月30日(先勝)その2

 ――そう、最後の夜である。

 例年であれば近くの飲食店へと移動して出演者と先生をふくめての打ち上げがある。

 今年もそこまではやる予定である。だが、問題はその後である。


 例年ならこの打ち上げは1次会に過ぎない。

 お開きになった後がある。在校生と卒業生が分かれての2次会、更に再度生徒とOBOGが合流しての3次会と続いて、夜10時に解散。

 そこから18歳以上のみを対象とした4次会、OBOGのみの5次会まで存在するという。


 だが今年は『1次会で解散! 絶対!』と、事前に間宮先生からきつく言われている。

 むろん感染予防のためではある。

 誰かが「間宮のクビが怖くてカラオケにいけるか」などと冗談も飛ばしたが、この流れで集団感染など出たらさすがに本当に責任を取らされての退職となりかねない。

 仕方なく、全員が合意した。


 打ち上げの席では未來、りょう、明衣には接点がなかった。

 1テーブル4人まで、しかもパートごとの塊でテーブルが宛がわれてしまった。

 これはこれで楽しかったが、最後の晩餐としては物足りなかった。


 それはほかの部員達も同様で、店を出てもすぐには動きださない。まるで猿団子のように寒さを避けた塊が談笑を続けた。

 これに見かねた先生が手を鳴らして解散を命じ、ようやく最寄り駅へと動き出す。


 その道で、3人はようやく並んで歩いた。

 未來をりょうと明衣が挟むという不思議な並びだった。

 もう誰も『密です』だの『ソーシャルディスタンス』だのということもない。


「こうしてると、なんか邪魔者みたいな気分だわ」

「何言ってんですか、美人を囲ませてくださいよ」

 ぼやく未來に、明衣はそうふざけて言った。セルフレームのおおぶりなメガネの明衣は、舞台の上で放っていたような存在感はない。短い髪のせいか、そこはかとなく中学男子っぽい。

「それで、その後うまくいってる?」


「毎日へとへとになるまで歌ってて、どうこうなるわけないじゃないですか」

「けど、この前いっしょに休んでたじゃない」

「あれは、明衣の誕生日で」

「一緒に祝えるの、最後かもねって言ってたら本当にそんな気がして、ちゃんとデートを」


「最後までは?」

 「まさか」と声をそろえる。

「それに、最近はゲームも家に行ってまではしてないものね」


「え、倦怠期?」

「俺の家で自主練です。ほんっと毎日伴奏と各パートの音、かされましたもん。……それに、来週からは予備校もあるし」

「そーそー」

「予備校も同じところ?」

「いいえ、それぞれ地元で」

「得意な教科が違いますから、同じところ行っても一緒には無理っぽいなって」


「12年になったら、一緒にこうやって帰れるのは週に何回かとかになっちゃうのかなって」

「りょうは歌とピアノのレッスンもあるし」

「ほんとにやる気ね」

「はい」

「そっか、じゃあもう止めない……けど3人でこうして歩くのも、これで最後かもなのね」

「いやいや、卒業しても面倒見に来てくださいよ」


「来るよ、言われなくても。けどね、生徒として並んで歩くのと、OGと在校生として歩くのって、たぶんいろいろ違うと思うのよ」

「外の世界を知っちゃうからですか?」

「それもあるけど……大学、ちゃんとやれるかな」


「コロナの影響、ですか?」

「それもある。けど、中学高校と、入学直後ってろくなことなかったのよ、私」

「あー、例のモテすぎ問題ですか」

「そう、男がじろじろ見るばっかりで、女友達もなかなかできない。ようやくできたと思ったら実はそんなに仲が良くない。気が付けば五月病よ」

「大学にもあるんですかね、五月病って」


「それより大坪さんはサークルクラッシャーとかやらかしそう」

 明衣がそうひやかすと、未來は頭を抱えた。

「やーん怖い事いわないでよ……けど、おトイレでご飯食べるような身にはなりたくない。ナンパ野郎しか傍に来ないのはもっとイヤ」

「連絡してくださいよ、そういう時は。近況報告なり愚痴聞きなりしますから」

 明衣がそう言った。


「ねえ、柾目くん」

「はい?」

「もしも大学で寂しすぎて守ってくれそうな人適当にひっ掴まえて彼氏にしちゃっても、怒らないでくれる?」

 りょうはなんともいえない苦み走った笑顔で頭を振った。


「大学までは殴りにいけませんよ」

 これに女子2人が笑う。

「そうだった、この子ゴムしない男殴るマンだった」

「なんだよそれ」


「まあ、そういう男は今度から自分で殴ることにする。殴り返されて顔にけがして帰ってきたら、その時はなぐさめて」

 そう言い未來は明衣にもたれかかった。明衣も調子ノリをあわせて肩を抱き、髪に頬を寄せる。

「いいですよ。一緒に警察でも病院でも行きましょう」

 声色を低くして、明衣は男っぽく言った。そして未來をよしよしと撫でる。

「はー、いけめん。ここにきて彼氏を見つけたかもしれない」

 未來にそう言われて明衣はかかかと笑った。

「私は予約済みです」

「予約済みか……ほんと、さっさと済ませなさいよ、ねえ」

「ねえ」

 そう言い合って、2人そろってりょうに視線を向ける。

 これに目を丸くして、ぷいと口をとがらせる。

「もう……そのうちしますよ。言われなくても」

 これに女子2人がハイタッチのように手を取り合う。

「してくれるってー!」

「せんぱーい」

「……ったく、往来でなんて話してるんだか」


 駅までたどり着くと、一同は輪になって最後の別れを惜しんだ。

 最後に声をそろえて、お疲れさまでした、と互いに声を掛け合い、三々五々にハグを交わした。

 その際、未來はマスク越しにりょうの頬にキスし、それからマスクを外して明衣の頬にもキスした。

 これに一同が驚きの声をあげる。


「なんで私なんですか!」

「んふふふ、大事にしてあげてね」

 そういって笑い、彼女は電車の改札のある階段を駆け上がって行った。

 これにいくらか遅れる形で、他の同線利用者の部員達も階段を上がっていく。


 明衣もそれに率いられるように、階段を上りかけた。

 だがすぐにその足が止まる。

 振り返ると、見送るりょうが独り立っていた。


 彼女は眼鏡をはずしながら引き返してきた。

「どうした?」

 そう尋ねるりょうの手を引いて、駅入り口脇の死角に入った。そこで2人はマスクをずらす。そのまま互いに躊躇いもなく抱擁と口づけを交わす。


「ニベアの匂いがする」

「化粧落としの匂い……私顔洗いきれてないかも」

「いいよ、久々に眼鏡姿の明衣も見れたし」

 ふたりは少し笑って、明衣は声を落とした。


「ごめん、今日は寄れない」

「ああ、親が客席にいた。うちのも、そっちのも」

「うん……私ら、不良にはなれないね」

 明衣の言葉に、りょうはさびしげに笑んで、もう一度唇を吸い合った。それからもう一度だけきつく抱き合って、体を離した。


 そして明衣はマスクと眼鏡をつけ直し、いつもと同じ跳ねるような足取りで階段を駆け上がって行った。

 向かった先では、他の部員達がまだたむろしている。

「遅かったじゃないの。ちゅーでもしてきた?」

 堤にくすくすと笑いながら言われて、明衣がぱっと目を見開いて駆け寄る。


「あんたにもしてやろうかー」

 そういいながら抱きつく。

「きゃーその趣味はねーからー」

 きゃあきゃあと笑いながら、じゃれ合いながら改札を抜ける。そしてそれぞれのプラットホームに別れていく。


 12年生達はいかにも離れがたそうで、泣いている者もいた。

 ……誰もが別れの惜しい夜だった。

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