【3】霊感少女

 仕事のマナーその三、依頼主ならどんな状況であれ手を出してはいけない。

 そう心で唱えながらアホの頭を音速で叩いた、しっかり手を縦にしてだ。

 九月六日、午後四時。俺はよりよく域遥のことを知るべく、彼女の住む家に向かっていた。

 「痛いよ!鷺ノさん!女の子に手を出すなんて最悪だよ!」

 「鷺ノじゃない!路ノ鳥だ!俺も痛いな、心がはち切れる思いだよ。暴力は嫌いなんだけど、害虫駆除だから仕方なかったんだ。」

 「鷺ノさん、それ本気で言ってます?だとしたら酷いですけど!厨二病が作った歌の歌詞ぐらい酷いですよ!」

 「なあお前、俺のこの暇潰しのモットーを知っているか?『人を騙すな』なんだぜ?」

 「すみません爺や、私はついに法を犯す時が来たみたいです。」

 アホは空に向かってそう言い、肩にかけていた大きめの鞄に手を伸ばした。

 「何!お前怖いんだけど、今手に掴もうとしてるのは鋭器か!鈍器か!!」

 「いいえ、幸せですよ鷺ノさん。」

 目にも止まらぬスピードでアホが手に持った何かを俺の顔に押し付けた、こいつは本当の変人だからナイフの一つや二つ持ち歩いていても不思議じゃない。だから内心ガクガクのブルブルだ。反射神経で目をつぶってしまい、一体何が起きたのかわからず目を開けると笑顔のアホがいた。

 「何ビビっているんですか、これただの黒ペンですよ?私、目の下にホクロある人が好みなので、鷺ノさんの目の下にホクロ描いちゃいました!」

 「はは、それは良かったな。」

 ゲンコツ


 一応説明しよう、ただの腹いせでアホの頭を叩いた訳じゃなく、こいつが俺の事務所に張り込み、そして俺が出かけようとした瞬間に「あっれー?偶然、偶然!」とわざとらしく出会い、今から域遥の家に行くと言うと「うわ、パパ活じゃん」と低めの声で引かれたので叩いたのだ。

 いや、言い訳ではないぞ。俺はクズだからそんなことしない。

 「というかな、お前。俺は今から域遥の家に行くんだぞ、お前が着いて来たら迷惑だと思うが?」

 「あーいや、私も遥ちゃんに用があるというか、なんというか。」

 「お前、俺の仕事について来たいだけだろ。」

 「そうです!」

 「正直でよろしい!」

 仕方がない、こいつには何か手伝ってもらうか。


 「ここが域遥の家、か。」

 どこにでもありそうな、誰でも住んでいそうな普通の佇まい。幽霊が出そうな事故物件の雰囲気はない、というか、母親の幽霊なら事故物件もクソもないか。

 問題は家という括りではなく、お風呂場にある。

 インターホンを鳴らして少しすると、ドアの鍵を開ける音がした。

 「待ってましたよ!路ノ鳥さん、と、宇佐さん?」

 「あ、すまないな、こいつがどうしてもと言うから仕事の手伝いをしてもらおうと思って。」

 「そうなんですね!全然いいですよ、どうぞあがって下さい!」

 域はこんな変人が家に入ることに抵抗は無いのだろうか。泥棒が玄関に立っていても「お茶を出しましょうか?」と言いそうなくらい、なんでもすんなり受け入れてしまいそうだ。

 「それじゃ、お邪魔します。」

 「鷺ノさん、鷺ノさん。」

 玄関に入り靴を脱ぐあたりでアホが俺の耳元で囁いてきた。

 「今のうちに沢山の空気を吸っといてくださいよ?女子高生の住む、いや、女の子の住む家に入ることなんて以後無いので。」

 「は?」

 こいつ今なんて言った?女子高生を女の子と言い直した挙句、「以後無い」って言い切ったぞ?え、なんか普通に傷ついたというか、もう手が出せないくらいにうんざりしたぞ。

 違う、うんざりしたんじゃない、これは現実を突きつけられた時に味わう絶望感だ。図星だったが故にこのアホに攻撃が向かない、これではなぜか身体に怒りの様なものだけが残ってしまう!どうしたら、どうしたらこの感情を抑えられる?

 はっ!こいつ、こいつ今「鷺ノ」と呼んだ!

 「俺は鷺ノじゃない!」

 「そこ!?」

 ゲンコツ


 「路ノ鳥さん、宇佐さん。紅茶か珈琲どちらにします?」

 域は丁寧に『もてなし』までしてくれるのか、真面目というか、育ちが良いというか。

 「私は紅茶で!」

 おっと、アホは躊躇なく同級生を店員さんのように使いよるな。じゃあ俺も一息吐きながら域の話でも聴くとしようか。

 「なら、俺は珈琲で。」

 「あ、ボク珈琲の匂い苦手なんで紅茶でいいですか?」

 「あ、うん。」

 なんで、選択肢に珈琲入れた?


 テーブルに置かれたクッキーを二、三個食べて紅茶を飲んだ後、域に依頼のことを詳しく聴いた。

 「母が亡くなってから二日後、お風呂に入っていたら背後から視線を感じて、恐る恐る後ろを見ると母親が立っていたんです。」

 域の母が亡くなってから二日後に幽霊を見たのか、なら普段より母の顔を見る機会が増え、母が亡くなったという状況と顔の印象が脳に残り幽霊として見えたと考えるのが妥当。

 「域遥、風呂場以外で幽霊を見たことは?」

 「無いです、一度も。ほぼ毎日見えますが全て風呂場です。」

 風呂場だけで見えるというのは気がかりだな。人間がシャワーを浴びる際に目を閉じて視界が暗くなり、不安が恐怖に変わり、目を開いた瞬間幽霊が見えるというのはよく聞く話だが。それは就寝時でもあり得る訳だ、なのに風呂場でだけ出てしまう。

 「こんなこと聞くのもなんだが、母親の死因を話して欲しい。」

 「死因、ですか。交通事故です、飛び出して来た車に跳ねられて死んでしまいました。」

 「そうか、気の毒だったな。」

 風呂に関係ない、水にも関係ない死因。何か母親の死因に関係するものがトリガーになって見えたと思ったがそれは無さそうか。

 「ちょっと鷺ノさん。」

 アホが俺の服を引っ張り自分に手繰り寄せると域に「ごめんね」と謝った。

 「なんだよ、何かあったか?」

 「それは質問しない方がいいって言おうとしてたのに、忘れてた。」

 「別に気を配らなくていいですよ、宇佐さん。この件を解決するのに必要な質問ならなんでも言ってくださいね、路ノ鳥さん。」

 なんだこの不穏な空気は。

 アホが珍しく眉を少し困らせたようにして黙り込み、域の紅茶を混ぜるスプーンの音だけが部屋に響いた、俺は域が何かを言いたげだったので話し出すまで待った。

 「私の母は。」

 話し出したと思うと隣でアホが申し訳ない顔になり、目を紅茶の方に背けた。

 「目の前で轢かれて死んだんです。だから誰もこの事に触れてこない。」

 そうだったのか、知らないのが当然だったが悪いことをしたな。たとえアホでも人の悲しみの感情には遠慮をするんだな。あんなにモラルの無い野郎だと思っていたの、に…。なんだ、何かが鼻につくな、どこかおかしいぞ。

 突然訪れた違和感に記憶を遡る。

 昨日のアホとの会話だ、そういえば「遥ちゃんの事は何も思い出せない」と言っていたのに域が目の前で母親を失ったことを知っていた。こいつの記憶力に限ってたまたま今思い出したなんてあり得ない。

 少しアホと二人で話す時間が欲しい。

 「すまない域遥、一服をしたいので少し家を出ていいか?」

 と、席を外すきっかけを作った。「父も吸うので室内でも問題ありませんよ?」と言われたが俺が気にするからと言い通し、一緒にアホも連れて行くとも言った。

 「なんで私も連れて行くんですか鷺ノさん。私は吸いませんよ?」

 「いやいや、お前と域を二人きりにすると域が可哀想だからな。」

 「それ、どういうことですか!」

 二人でこんなやりとりをしていると域は慣れたように笑い、「玄関の鍵は開けておくので一服が終わったらいつでも入って下さいね」と言った。

 あれは子を見る保護者の目だったな。


 「どうしたんですか、一緒にお外に出たかったんですか?なら「いっちょにいきたいのぉ」って言えばいいのに。」

 「言うかそんなの!ただ二人で話したいことがあってな。」

 「告白ですか?」

 「言うと思った。」

 阿吽の呼吸でノリとツッコミをする、最早阿吽というか阿阿の呼吸みたいだが。

 「ただ気になったんだ。お前は域遥の事は何も思い出せないと言っていたのに、なんで母を目の前で失った事を知っていたんだ?」

 アホは域の家の前にある塀にもたれかかり、タバコを吸う真似をしてから「ふーー」とわざとらしく架空の煙を吐いた。

 「私、元々遥ちゃんのことなんて知らなかったんです。」

 アホは取り柄である記憶力を使い、域遥との出会いを語り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

元・詐欺師にも良心あり。 狗帆小月 @koki_1216

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ