冬 屋上の桜 12

 涙の勢いのままに私は気になっていた様々なことをミオに聞いた。それはもう泣きじゃくる子供みたいに。

 彼女は少し困った顔をしながらも一つ一つ丁寧に教えてくれた。


 今、現実の私は眠っていてこの夢を見ていること。

 体は病院のベッドにあること。

 それはあの日、私が屋上から飛び降りた結果だと言うこと。

 あの時、私を強く想ってくれていた人が居たこと。

 それが尾上おがみ君、帯包おびかね先生、彩花あやかの三人であり、三人は今も後悔を持って眠る私を見守ってくれていると言うこと。



 一頻り泣いて落ち着いた私にミオは優しく続ける。


「私はここから皆のことも見ていたから、さくらに皆の想いを知って欲しいと思ったんだ」


 オオカミ君、ミイラ先輩、とおるさん、彼らはこの夢の中では皆の心の一側面であり代弁者でもあるらしい。


 私とミオはフェンスを背に並んで座って話を続ける。時折花弁を運んで来る風はいつの間にか暖かい。季節が変わるのだろう。


 私は少し黙って考えた。そして口に出す。


「ミオは?」


 短い質問に込めた色々。泣き疲れていても絶対外さないど真ん中ストレート。


「ん? 私? あー、そうですねぇ……」


 彼女も察したようで観念して改めて自分のことを話し始めた。


「さっきの話の続きなんだけど、私ね、もういいかなって思ってたのは本当なんだ。いつまでもここに居てもしょうがないしなぁって。どうなるのかも分からないのに、そろそろかなぁ、なんてさ。……でもね、そんな風に思ってる時にね、見つけちゃったんだ、妙に気になる子。その子は不器用で、人間関係下手くそで、一人で大丈夫って強がってるくせに、本当は寂しがり屋で、見えないところで溜息吐いて、それがなんか、なんかいつかの私に似ていて、自分を見ているみたいで」


 こちらを向いたミオと目が合った。優しい笑顔を浮かべていた。


「さくら、ごめんね、実は私、さくらのことずっと見てたんだ」


 それを聞いて私は弱々しく首を振った。

 違うよ、全然、ごめんなんかじゃない。

 声を絞り出す。


「私も……、私だってミオのことずっと探してた。あの噂を聞いた時からずっと。何度も、いつも、屋上を見上げてた」


「そっか、じゃあ、えへへ、両想いだ」


 それから彼女は前を向いて少し声の調子を落として、


「だけど、まさかここに来るとは思わなかった。しかも私と同じことをするなんて」


 私は卒業式の日、この屋上から飛び降りた。それは偶然にも時を超えミオと同じ状況だった。いや、本当は偶然では無いのかも知れない。私は心の底でそれを望んでしまっていたんだ。


「私も、学校、つまんなかったから」


「うん、分かるよ。私たち似てるから。でも、だからこそほっとけなかったんだ」


 彼女は遠い目をして思い出すようにしながら続ける。


「いつも思ってた。さくらが一人で居る時、私なら一人にさせないのにって。辛そうな時、そばに居てあげるのにって、楽しいことも悲しいことも分けてあげれるのにって。きっと、私なら気持ちを分かってあげられるのにって。心を守ることが出来るかも知れないのにって。あの時も、本当は抱きしめてでも止めたかった。でも出来なかった。私は幽霊だから」


 それから彼女は付け足すように言った。


「これが私の後悔」


 ミオが黙って少し出来た間に、何も浮かんでいないのに私は何かを言おうと口を開きかけた。すると彼女がこちらを向いて私より先に、


「だけど奇跡が起きた。どんな奇跡だと思う?」


 明るくそう問われて私は口を閉じ首を振る。


「私たち友達になれた」


 ミオは笑って立ち上がり校庭の方を向いた。

 私は彼女を見上げる。背景には青空と桜の花弁。綺麗な髪色が良く映える。


「ここはね、現実じゃなくて夢の中だよ。だけどさくらと私が一緒に見てる夢。ずっと夢見てた、私たちが友達になれた世界」


 彼女は「ふふ」と小さく幸せそうな笑みを浮かべる。


「最初はすごく緊張してたんだよ。ちゃんと出来てたかな私。でも、楽しかったなあ。全部。全部楽しくて嬉しかった。見て」


 そう促されて私もよろよろと立ち上がり彼女と同じ方を向く。

 目にしたのはなんでもない景色。平凡な町の誰もが通り過ぎる学校と言う景色。だけど今鮮やかに記憶を呼び覚ます景色。


「灰色でなんにもなかった学校が今はさくらとの思い出だらけだ。教室も、廊下も、階段も、昇降口も、校庭も、体育館も、保健室も、図書室も、どこもかしこもだよ」


 満開の桜色が舞い上がる花弁と共に学校中を彩って行く。それは、一人で居た頃の記憶を塗り潰してしまうくらい優しく鮮明に。


「さくらにも見えるでしょ」

「……うん」


 見えるよ、だって、私も同じ風に、思っていたんだから。だから――。


「私もさ、こんなに楽しいなら、明日も、明後日も、来年もさくらと一緒に居たいって思っちゃったもん」

「……ミオ?」


 そんな彼女の言葉に私は迫る別れを感じてしまった。

 それでも彼女は軽い調子で話す。


「でも駄目なんだ。前を向いたさくらに、明日も生きたいって思えたさくらのそばに、私は居ちゃいけないんだ。だって私、やっぱり幽霊なんだもん」


 ミオは笑った。曇り一つない綺麗な笑顔。青空に舞う桜の花みたいに。

 それから私と向かい合って言う。


「今さくらに必要なのは私と別れること」

「嫌だ」


 即答する。


「へへ、さくら、ありがとう」

「嫌だよ私、ミオと別れるなんて」


 強く言う。


「でもずっと夢を見ている訳にはいかないでしょ?」

「いいよ、ミオと見る夢ならずっとだって」


 本当にそう思う。


「だけどこのままだと皆が悲しいままだよ。皆の後悔を優しさに変えてあげられるのはさくらだけなんだよ」


 足元に置いたノートが風に遊ばれて小さく音を立てた。

 尾上おがみ君、帯包おびかね先生、あやちゃん……。

 皆、私のことを待っている。


「でも」


「それに私が飛び降りようとしたの止めてくれたでしょ。だったら私だってさくらがこのまま夢を見続けるのを止めるよ」

「でも、だって……」


 そんなの友達なら、大切な人なら、死んで欲しく無いって思うのは当たり前だから。

 だから、そう、ミオも私のことを今……。


「もうさくらの体も心も前を向いているよ。あとは意志を持って明日を選ぶだけ」

「だけど……」


 それは、明日もミオが居るなら……。


「私もさくらには元気に生きていて欲しいな」

「そんなの私だってミオに……」


 でもミオは……。


「ね、私はもうさ、だから私の分もさ、さくらはまだ間に合うんだから」

「だけど私は、私はミオが居ないと」


「ううん、さくらは大丈夫だよ」

「駄目だよ」


「大丈夫、それにもう一人じゃない、皆が居るよ」

「それでもミオが居なきゃ嫌だ」


「ん、んー、あはは、もう、しょうがないなあ……、あはは……、あれ?」


 ミオの瞳から大粒の涙が零れた。

 それを見て私はどうしようもなく胸が痛くなった。


「あー、もう、ね、あはは、駄目じゃんね。泣くつもりとか無かったんだけどなあ。あーあ」

「ミオ」


「ねえさくら、さくらが生きててくれなきゃ全部無かったことになっちゃうよ、私たちの夢が、だから、ね、お願い」


 それでもどうしても頷けない私。

 ミオが涙を拭いながら、


「じゃあこうしよう。私たちは未来で会える。さくらは素敵な大人になって、私も生まれ変わって、ね、だから約束して、また私たち会おうって。未来で、会おうって、ね」

「……そんなの、ずるいよ」


「えへへ」


 笑っているのに泣いている。もう拭いきれないくらい涙を零して。

 なんとか私も笑おうと思ったのに出来なくて、結局泣いていた。


 納得なんて出来ない。だけどこれ以上彼女を否定なんてもっと出来ない。

 私はついに静かに頷いた。


「……うん、分かった、絶対、また、私たち、今度は未来で」

「うん、約束」


 そう言ったミオが軽やかに私に抱き着いた。

 小さな彼女を胸の中に、前を向く私の視界に無数の花弁が舞っている。

 校庭の満開の桜が揺れ、終わりの時を伝える。


「さくら、ありがとう」

「うん」


「生きていてくれてありがとう」

「うん」


「一緒に夢を見てくれてありがとう」

「うん」


「大好きだよさくら」

「うん、私も、ミオ、全部、ありがとう、大好き」


 それがこの夢の最後だった。

 あとはまどろみの中に溶けていくように緩やかに感覚も意識も消えて行った。


 ただ、桜舞う風に遠く歌が聞こえた気がした。それは別れを惜しむ歌、そして、再会を願う歌だった。

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