冬 屋上の桜 11
目が慣れ見えて来たのはあの日と同じ景色。
足元一面のコンクリート、境界のフェンス、風を感じる淡く始まる春色の空。
その中で私、一点を見つめてしっかりと足を踏み出した。
途端少し眩暈を覚える。
邪魔するものが無い空は、何処までも広く深く、気を抜くと落ちて行ってしまいそう。
あの日も同じように感じた。
細く鋭く頬を撫でるまだ冷たい空気の感触。
これも知っている。
でも、あの日の私が映した景色の中、あの日と違うものがある。私の視線の先、光の加減で金色に輝く髪。風に揺れて不思議と桜色を感じる髪。
叫んでしまいたいほどの逸る気持ちを抑えて私は一歩ずつゆっくりと彼女に近付いて行く。確実に。驚かせたりしないように。何かのバランスが崩れて彼女の存在が目の前から消えてしまわないように。
すると私の耳に声が届いた。
「ねえ、皆には会えた?」
もう少し、彼女までの距離。そんなところまで来た時、彼女が口を開いたのだ。
足を止めて私は答える。
「うん、会えたよ。ありがとう。皆とまた会えて嬉しかった。だけどオオカミ君、キャラ違うよ。ねえ、ミオ」
私の返事に彼女は振り向いて少しいたずらな顔で笑った。見慣れたいつものミオの笑顔だった。
「えへへ、ごめん。だって
彼女と私の間には胸の高さほどのフェンス。彼女はその向こう側、一段上がった屋上の縁にいる。
「ミオ……」
聞きたいことも言いたいこともたくさんある。だけど言葉はいつも上手く出て来ない。今だって。これじゃあミオと知り合った頃のようだ。気持ちは全然違うのに。今はもう灰色で空っぽなんかじゃないのに。こんなに伝えたい想いがあるのに。
彼女が少し笑って私から目を反らす。それからいつものように私の言いたいことを察してくれたみたいに優しくゆっくりと話し始める。
「私ね、ここから飛び降りたんだ。ずっと前に」
彼女が空を振り仰いだ。風が髪をほどくように吹き流れる。
「学校、つまんなかったんだぁ」
あっけらかんとした声で彼女は言った。私は思わず目を伏せた。
じゃあやっぱりミオは。
「初めはね、恨みとか、妬みとか、憎しみとか、そんな感じのあったんだよ。なんで? どうして私なのって? 今でも忘れられないこともあるよ」
彼女は話を続けながら屋上の縁をゆっくりと一歩一歩バランスをとるように歩き始めた。
「私の噂、もう思い出したでしょ? あの噂が流れ始めた頃はそうだったな。幽霊としてちゃんと尖がってたんだ、私。へへへ」
クルリと方向転換をして今歩いてきた所を戻り歩く彼女。声の調子を少し変えて、
「でもね、ここからこの学校の三年間を何度も見て来て、私、運が良かったのかな、その内に恨みとかどうでも良くなって来ちゃってさ。それに気付いたら不思議と一気に視野が広くなって、人のことちゃんと見えるようになって」
彼女は立ち止まって何かを思い出しているように目を瞑った。
「色んな人、居たんだ。本当に色んな。皆、それぞれ悩みを持っていて、皆それに向き合っていて、泣いたり、笑ったり、怒ったり、それでもちゃんと前を向いてさ。あ、そうだ、私ね、私のことを忘れないでいてくれた子が居たことも知れたんだ」
彼女は微笑んでまた歩き始めた。
「そしたらなんかね、妬ましいとか羨ましいとかってどうしてもちょっと思っちゃう時でも、それと一緒に、大切にしてあげなきゃって思えるようになっちゃったんだよね。嫌なこととか人のことばっかり考えてると疲れちゃうし、年取ったのかな、幽霊なのにね」
そう言うと彼女はまたくすぐったそうに、ほんの少し自虐的に「へへへ」と笑った。
「だからね、もう私、いいんだ。いつまでもここにいてもしょうがないし。生まれ変わったりもしてみたいし」
彼女の雰囲気に不穏な物が混ざる。
私も彼女の言葉に不安を覚える。
「……ミオ?」
私が呼びかけたあと、彼女はそれには返事をせずに、私の正面で立ち止まって背中を向けゆっくりと両手を横に広げた。それは、あの日の私みたいに。
風が彼女の輪郭をなぞり花弁を私の元へ届ける。
「だからまたここから……」
「駄目」
彼女の言葉が終らない内に私は声を出していた。反射的なもので続く言葉を考えていた訳ではない。
一瞬間を置いて彼女が問う。
「どうして?」
どうして? どうしてって――。
何か言いたくて、反論したくて、すぐに口を開けてみても言葉が出て来ない。単純な問いなのに私は簡単に答えられない。何も無い訳じゃない、逆だ、今の私には込み上げて来る想いが多くある。多過ぎて適切な言葉を選べない。
「駄目」
胸の中には確かにあるのに何も表現出来なくて、結局無様にかっこ悪く繰り返すだけ。
それなのにあの日自分のしたことが今彼女の行動と重なって涙すら込み上げて来る。
「駄目だよ、お願い」
意味があるのかも分からないのに懇願する。
自分と過去の彼女がしてしまった選択。
今、目の前に居る彼女にそれを選んで欲しく無くてただ願う。
「駄目……」
行き交う風に花が舞う。
しょっぱく感じるのは涙がここにあるから。
少しして彼女は手を下ろし振り向いて優しく笑った。
「あの日、私も同じ気持ちだったよ。うん、上手な言葉なんか要らない。今さくらがそう思ってくれたことが嬉しい。ごめんね、こんな試すようなことしちゃって、大丈夫、飛び降りたりしないよ」
そして縁から降りて一歩こちらに近付くミオ、それと彼女の言葉に安心した私、零れた涙に同時に声を出した。
「へ」
一粒零れてしまえば止まらなくなってしまって、フェンスを挟んで彼女の前で号泣し始める私。
ミオ、今度は慌てて私に駆け寄って、謝ったり慰めたり取り繕ったり、それまでの緊張感が一気に無くなってしまった。
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