冬 屋上の桜 10
階段を登っている、一歩一歩。
職員棟を抜け本校舎に入り迷わずに上を目指して来た。
足取りは普通に、だけど躊躇わず。
体の疲れも構わずにもう立ち止まることもなく。
荷物らしい荷物はなく、でも片手にはノートを持って。
感じる重さに持つ手は汗ばむ、けれど決して離したりはしない。
人の気配は遠く、あの日と同じ、校舎は静かで、思えば私を見守っているようで、自分が出す音に僅かばかりの緊張を覚えるも、無邪気な知りたい欲求はなお強く、心のほとんどを諦めの感情で満たしたとしても期待と不安の入り混じる胸の高鳴りはどうしても押さえられない。
けれど本当は行きたくない気持ちがある。ここで止まって目を瞑って深い水の底に沈んで行ってしまいたい気持ちがある。それを選んでしまいたい気持ちがある。
でもこれが夢で終わりがすぐそこに来ているのだとしてもそれでも私は行かなければいけない。
どんなにこの日々に後ろ髪を引かれても、前を向いた頬に当たる風が冷たくても、例え誰かに拒まれたとしても、大切な皆が導いてくれたのだから、そこに行けば答えを持って本当に彼女が待っているんだと私は感じているから。
ミオは――。
思えば私はずっと一人だった。
春の保健室も、耳を塞いで布団に潜って、夏の雨の日も、濡れた制服のまま冷えた体を抱いて、秋の文化祭も、楽しそうな人たちを遠目に来ない誰かを待って、冬の校庭も、雪の冷たさと孤独だけを感じていた。
だけどそれをミオは――。
彼女の存在や目的なんて私には正しく分からない、けれど、彼女は私の灰色の日々を変えてしまった。
不意に桜の花弁が鼻先をかすめ涙の気配を伝えて私の歩いて来た方へ流れて行く。
その流れに溢れた思い出が次々と零れ落ちる。
一緒にオオカミ君の正体を確かめに行った夕方、ミイラ先輩と出会った夏休み、透さんと話した用具倉庫、二人で見た雪景色、ううん、それだけじゃない、教室も、食堂も、廊下も、昇降口も、図書室も、体育館も、校庭も、授業中も休み時間も放課後も、他にも他にも他にも、全部。私の見る世界全部をミオが桜色に変えてくれた。
ミオは……。
私は気付いてしまった。
ミオは、私のために……。
「うぁ」
勝手に嗚咽にも似た声が漏れる。
駄目だこれ以上振り返っちゃいけない。思い出すな。
「ぅぅ」
嫌だ。泣きたくない。
まだ終わってない。何も決まっていない。
「ぅぅぁ」
それなのに桜の花弁は私の後ろに何枚も何枚も。
ミオが私のために見せてくれた日々の記憶。幾つも重なる彼女の笑顔。
「ぅうあああ……」
声も涙もだらしなく、それでも歩みを止める事無く私は前を向いて、ただ前を向いて進んだ。
最後の踊り場に着いた。
ポケットの中で鳴った微かな金属音。
顔を上げると数歩先に屋上へと続くドア。
外の光で白く輝く窓。
呼吸を整え改めて足を踏み出す。
歩きながらポケットの鍵を取り出し出来るだけ淡々とドアの前へ行く。
それでも去来する想いは未だ多く、絶えず心の何処かで葛藤が生まれている。
私はそれを彼女に会いたい一心で越えて行く。
それ以上もう考えない。思い出したあの日私が選んだ結末についても。
震える手で鍵を差し込む。たいして抵抗はないのに躊躇いを含んでドアは開錠する。
もう一度呼吸を、気持ちを整える。
ミオ。
私、それからそっとノブに触れゆっくりとドアを押し開けた。
ほとんど温度差はないが、前髪を揺らす空気に春を感じ顔を上げる。
そして目の前に広がる屋上の景色、その眩しさに、私、目を細めて――。
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