冬 屋上の桜 9
体育館を出て足が自然と運ぶ方へ向かいながらノートを開く。
オオカミ君、ミイラ先輩、透さん、そこにあったはずの空白は全て埋まっていた。
皆私が考えた不思議たち。
だとしたら、と、考えたくもないのにどうしても考えてしまう。
ミオは……。
でも空白はもう無い、無い、無いはずだ。
今更惑ってしまわないように自分自身に言い聞かせ歩く。気が付けば白い息といつの間にか戻って来た頬を染める冷たい空気を感じ、妙に急かす気持ちとどうしても不安で揺れる鼓動を抱えて。
職員棟に入って少しして私は足を止めた。薄暗い廊下に明かりが漏れていたからだ。私には何故かそれが記憶に光が射しているように思えてしまった。
「図書室」
覚えたのは知ってしまう予感。分かってしまう予感。身震いのように足が微かに震えるのはきっとそのせい。
それでも図書室のドアに近付き私はそっと小窓から中を覗いた。
するとそこには机に向かう私自身の姿があった。傍らには古い卒業アルバム、それと文化祭のしおりを広げて。一人夢中で何かをノートに書きこんでいる。
ドアの前、たった今不思議な体験をしていると言うのに、私は驚くより何より先にハッとして手に持っていたノートを捲った。
確かめたかったのはさっきまで空白があった私の不思議が書かれたページではない。それよりも先、何も書かれていない白いページ。
間も無くそこに紛れもなく自分自身の筆跡で文字が浮かび上がって来た。
『屋上の桜』
春、別れの季節、とある時刻に学校の屋上に行くと女子生徒の幽霊が現れる。そしてその幽霊の女子生徒と一緒に屋上から桜を見ると、時計の針が止まった散らない満開の桜が咲く終わらない学校生活へと誘い込まれてしまう。
上記のように、文化祭のしおりに載っていた不思議。屋上の幽霊だと味気無いので屋上の桜にしてみた。
ここからは私の推測だけど、普段彼女は屋上に佇んで学校中を見ているのだと思う。けれどそれは楽しそうに学校生活を送っている人を恨んでいたりする訳ではない。自分と同じような人を出さないために見守っているのだと思う。屋上に留まって居るのも誰かを助ける為なのだと思う。彼女は優しい子。そしてきっと私と少し似ている。
私は思い出した。
これはこの学校で唯一出会った本当の噂。私はその噂を忘れないように自分の考えも含めてノートに書いたんだ。
慌てて顔を上げもう一度図書室を覗く、今度は私が卒業アルバムを見ながら付け加えるように何かを書き込んでいるように見えた。
再びノートに視線を落とした、するとさっきと同じページの余白にまた文字が浮かび上がって来た。
それは名前だった。私なりに噂を調べて偶然古い卒業アルバムで見つけた名前。もう何度も呼んだことのある今の私がとても良く知っている名前。
「
口にした途端、思い出す冷たい風。
髪を揺らすその風に振り返れば廊下を歩くあの日の私の幻影。
呆然としていると幻影は図書室の前を通り過ぎて消え、次の瞬間、廊下の先の別の部屋の前に現れた。
図書室と同じように明かりの漏れるそこは、
「保健室」
呟いて、気付けば私は早足で歩き出していた。表出するのは感情より先に答えを求める欲求。今一本の記憶の糸を辿れば、現在の私と過去の自分、夢と現実は解けていくのだから。
「そうだ、あの日、私は体調を崩したふりをして、いつものように保健室に行って、それで……」
辿り着いた保健室、ドアを開ければ感じる暖かい空気と加湿器の吐き出す水蒸気に消毒液の匂い、それと強い既視感。
「あの日は……」
養護教諭の机の前の壁に貼ってあるカレンダー。丸の付いた日付。そこに書いてある文字を口に出す。
「卒業式」
その時ベッドに座っている幻影に気が付いた。そいつは窓の向こうに何かを見上げていた。
頭に浮かぶ映像記憶。ベッドからの視点、窓ガラスの向こう。斜めに見える校舎。その上の方。屋上。
そうだ、見ていたのは本校舎の屋上。
「私、卒業式を抜け出してここに来て……」
ベッドから立ち上がった幻影がこちらに向かい歩き始めてまた消える。
それを見た私は行き先に確信を持って振り返る。
「それから職員室に鍵を取りに行った」
保健室から振り返って視線を送ったのは職員室。果たしてそこに幻影の姿はあった。
私はすぐにあとを追う。次第に急いて行く気持ちのままに職員室に飛び込めば、鍵のかかったボードの前にあの日の自分。
「私はここに鍵があることを前もって確認していた」
幻影を前に、だけど私はもう立ち止まらなかった。
追い付き手を伸ばし影と重なるように鍵を取る。
「欲しかったのは屋上の鍵」
そして鍵を手にした私は幻を追い越して職員室を飛び出した。ついに蘇った記憶と一緒に。
卒業式の日、あの日私は式が始まる前に体育館を抜け出した。目的があったからだ。体調不良を理由に保健室で休んでタイミングを見計らった。養護教諭も式に出席するために出て行って一人になった。ベッドから見ていたのは本校舎の屋上。思い出していたのはあの噂。ノートにも書いたあの噂。屋上に行きたかった。最後にどうしても確かめたかった。私の最後に、幽霊に、彼女に会いたかったから。
あの日の道を辿るんだ。私の些細な最後の冒険の道。その先に必ずミオがいる。
鍵を強く握った。握る力はあの日よりも強かった。
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